他人の文章を補助線として使う – Word Piece Blog
そして不思議なことに、他人の文章をそのまま書き写しているうちに、写している文章とは関係ない文章がふと頭に浮かんでくることがある。写している文章に関係した内容のこともあれば、まったく関係ない内容のこともあるけれど、とにかく本に書かれているのとは違う文章だ。個人的には2段落くらい写したあたりで、写している文章の「続き」として自前の文章が流れ出してくることが多い。
思考は駆動する。
本を読むとき、読んだ文章に触発されて何かを思いつく。その文章に関連することかもしれないし、そうでないことかもしれない。
思考は駆動する。刺激によって起動し、その後駆動する。
私たちは文章を読み、論理を組み立て、情景を思い浮かべる。その瞬間、思考は駆動している。その余剰とも呼べる力で、私たちは私たち自身の思考を駆動させる。ほら、今あなたも何か考えたろう。そういうことだ。
静止状態から一瞬でトップスピードに移行するには猛烈なエネルギーが必要だ。他人の文章に触発されるとき、まさにその他人の文章が宿したエネルギーを拝借することができる。二段階式ロケットのように。
書き写すときには、読む。読むは、思考の起動点だ。そして、すでに手は動いている。余剰で生まれた思考を書き留めるのは容易い。
そして、10秒前の自分を他人と仮定するならば、私が書いた一文もまた余剰のエネルギーを有している。そこからは、自己参照の機関である。書いたことが、次の書くことを引き寄せる。もう少し言えば、書いたことを読み、読んだことが次のエネルギーを生み出す。
エネルギーは次なるエネルギーを呼ぶ。そして、それが繰り返される。この世が静寂に包まれるまでは。
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思考は自生しない。思考は駆動する。駆動させられる。
神の視点、神の力など不要なのだ。ただ、流されるものであればいい。出力吐き出す関数のように。
だから、勢いを殺さないことが大切だ。また、エネルギーに満ちた文章に触れることも有用だろう。
さあ、そろそろ手を動かす時間だ。検討を祈る。
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