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憲法改正

憲法改正についても、いろいろな意見がさまざま人から出ている。
その詳細につっこんで、コレは良い、コレは間違っているなどと議論するのは、すくなくとも政治家の仕事であろうと思うので、ここでは触れないことにする。

この問題でもっとも重要なことは、「基本的な理念」を確立することであろうと思う。
それ以外の問題は、樹木でいうと葉にあたる。まず幹をきっちりと育てることコレが感じである。

たとえば、アメリカから独立した日本独自の憲法制定なんていうと、すぐにナショナリズムの台頭だ、なんて意見が聞こえてきそうである。

じゃあ、どうするんだと、このまま憲法解釈をどんどんひろげっていって、憲法の価値そのものをなくしてしまうのか、と問うてみたい。

アメリカの押し付けだとか、そういうことはとりあえず置いておいて、制定から一度の改正されていない憲法が現状にマッチしているとは到底考えられない中で、改正の必要性が最大限に高まった、で、改正する、というのがスタートラインである。

50年前の「平和主義」と現在の「平和主義」では、それを実現するのに必要な法律がどうしても変化してしまう。

だから、改正そのものには、思想性はない。必要性があるだけだ。

そして、新たに作られる憲法には「理念」が必要であると思う。

たとえば、憲法9条に関して加憲という意見があるが、その他の条項を変える必要がないか、といえばやはり必要あると思う。
全体から見れば、憲法は新たに作り直す必要があると思う。

ただ、何かを付け加えるだけでは、無理やりの憲法解釈が「違憲」でなくなるだけである。

今、この国に欠けているものは何であろうか。

やはり、国が提示する「理念」であろう。

たとえば方向性が曖昧な企業はもはや生き残ることはできない。それと似たようなことだと思う。

この国が、国民と、世界に対して、一つの態度、姿勢の方向性を示す、それが憲法であるとおもう。

条項そのものについての議論よりも、もっと大きな枠組みでの議論が行われることが、必要なのではないか、と思う。

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