物書き生活と道具箱

そらで考え、書いて考え、書き連ねて考える

最近、そらで考えることが増えた。宙に浮かんで考えているのではなく、頭の中だけで考える、ということだ。散歩中が多い。

ポッドキャストも聞かず、音楽も流さず、ただ歩く。すると、思念が湧いてくるので、そのまま思索に取り組む。情報を詰め込むことに躍起になっていたころならば、ひとまずメモを書き続け、インプットを継続していただろうが、今は静寂の中そらで考えることが増えている。

そらで考えて終わりというわけでもない。WorkFlowyに書きつけたり、最近始めた作業記録なんかにも文章として展開したりもする。それで、思索は一つの形をとる。その思索を見返すと、ふと別の思索と混じり合って、別の形になることを見つけることがある。そうなったら、たとえばこのブログやメルマガのように少し長めの文章をこしらえる。あるいは、やがてそうした文章を集めて、一つの本を作ることがあるかもしれない。

考えるためには、考える時間が必要だ。エネルギーも必要だし、ツールも必要だが、ともかく頭を働かせるための時間が必要なのだ。それらを総合的に見つえて、梅棹忠夫は「秩序としずけさ」と知的生産の技術が求めるものを述べたのだろう。

「考え方」にも、いろいろある。それはフレームワークや発想法が多様だ、ということ以前に、そらで考えたり、書いて考えたりするその様式そのものが多様であり、また効能も異なる、という点がある。「ハイブリッド」という用語が大好きな私は、その点にもきちんを目配りしていく必要があるだろう。

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