0-知的生産の技術

個人の知的生産の技術本にフォーマットは必要か

次の記事を読みました。

一個人であるがゆえ〜一個人の、知的生産・タスク管理の技術①〜 – iPhoneと本と数学となんやかんやと

これから連載が始まるようですが、以下の提言には私も同意します。

そんな個人個人が本を出せるようになった、まとまった情報を提供する方法ができたとき、個人個人はどういうものを作って提出すればいいのか。
明確な答えはないものの、ぼくとしては、個人個人の、その人独自の手法がたくさん世に出てくれば面白いのではないか、と感じます。

今のところ、私やTak.さんなどがセルフパブリッシングで知的生産系の「本」を作っておられますが、その数は十分とは言えません。提示されている選択肢の数は少ないものです。「コーヒーにしますか? それともカフェオレ?」。ぜひとも紅茶やホットミルク、タピオカやアルコール飲料なども揃って欲しいところ。

だからこそ、いろいろな人が自分の知的生産の技術を「本」の形で開示してくれたらいいなと私も考えています。その背中を押すための試みが電子雑誌「かーそる」なわけですが、、まあいろいろあって第四号がまだできていないので、ちょっと横に置いておきましょう。

さて、個人がセルフパブリッシングで知的生産の技術を開示する場合、本のフォーマット的なものを決めておくと、書きやすいのではないかと思いました。まず最初に全体像を示しておいて、次にツールの解説に移り、そして細かい技術論を開示して終わる、といった具合に。そのようなフレームに沿って進めていけば、構成での悩みからは解放されます(これが悩むんです、ほんとに)。また、そうして統一感が生まれるなら、「知的生産選書」のようなレーベル化も視野に入ってきます。

一方で、天邪鬼な私としては、あまりにもテンプレート化されてしまうとつまらないかもしれないな、という思いも持っています。なんとなく金太郎飴ブログなどが彷彿とされますね。とは言え、あまりにもてんでばらばらだと、押さえるべき点が抜けてしまい、面白さや有用度が欠落してしまうことがあるかもしれません。それはもったいないことです。それに、世の中の論文には形式が決まっているものの、そこでは個性的な「内容」が論じられていることを考えれば、テンプレート化も行き過ぎなければ効果はあるかな、という気もします。

とは言えです。たとえば、知的生産の話をしようとして、「読書」を主軸においてみたところで、結局書斎の話や読書ノートの話、アウトプットとの関係性の話は出てくるでしょう。「ノート」を主軸においても同じことは言えそうです。

結局、情報はつながっているのです。どこから始めても、真摯にぐるぐると巡っていけば、ある程度の網羅性は得られるでしょう。あとは、扱う要素の強弱の違いという点に過ぎません。

そして、そのつながり(つまりネットワーク)の切断の仕方が、それぞれの書き手の個性でもありますし、またその方法論によってどういう「本」が生まれるのか、ということをその(書かれた)本が一番の好例として機能します。なるほど、こういうやり方をしたら、こういう本が書けるのか、と。そう考えれば、過剰にフォーマット化を進めるのは、効率性と引き換えに大事なものを失うかもしれません。

とは言え、どうしても構成に困ってしまう人のために(叩き台となる)最低限のサンプルやパターンを示しておくのは有効でしょう。

その内容については、また改めて考えてみたいところです。

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