『「リスト」の魔法』には、リストについての重要な指摘がいくつもある。
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このようにリストがなにかをまとめているのかという情報は、リストの外側にあることがほとんどです。
もっと抽象的な話をすると、リストの項目を埋める際には大きく分けて「すでにわかっていることを書く」場合と、「まだ意識していないことを引き出す」場合の2種類があります。
リストという構造自体がある程度ロジカルであることを強制しますので、慣れてくるうちに、自然とこうした切り分けができるようになってくるはずです。
どの部分に無理があるかわかったら、思い切ってもう1枚新しいリストを作ってみます。
これは紙でリストを作るときの思考方法と、デジタルツールを使うときの思考方法が根本的に違うということでもあります。
さあ、どこから話をはじめようか。
リストが促すロジカルさ
箇条書きリストは、たしかにある程度ロジカルであることを強制する。だから、話を端的にまとめるために箇条書きを使えとよく言われる。一方、逆側からの指摘もある。箇条書きリストを作ることで、あたかもロジックがたったかのように思えるが、実際はまるで繋がっていないこともあるので箇条書きではなくきちんと文章にせよ、という警句だ。
ようするに、リストはある程度まではロジカルであることを促すが、しかしそれは完全完璧な強制ではなく、まぎれが入り込む余地が残っていることを意味する。先程の警句はその余地について注意しているものと考えられる。
買い物リスト
・ジャガイモ
・にんじん
・牛乳
・卵
・
こんな風にリストを書き始めるとき、自ずと私たちはトピックの粒度に気を払う。そこには素材が並ぶはずであり、たとえば「カレー」といった料理名を加えることはない。それが、リストが促すロジカルさである。
しかし、それは完璧ではない。
買い物リスト
・ジャガイモ
・にんじん
・牛乳
・卵
・カレー
という風にリストを書くことはいつだって可能だ。こう書いても、「粒度がそろっていません。書き直してください」と告げる声はどこからも聞こえてこない。よって、難しい話を要約しようとすると、ロジカルなエラーが出てきてしまうことはある。リストという形式は、それを排除することができない。
だからこそ、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』では、リストへの警句として「混ぜるな危険」をあげた。リストという形式に完璧なフィルタリング作用がない以上、使い手の私たちによっていくらでも「不純物」が入り込んでしまう可能性は残されている。
しかし、それはリストの弱点だろうか。私はそうは思わない。それはリストが持つ一つの可能性でもある。
(つづく)
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