1-情報ツール考察 断片からの創造

リストについての考察3

前回:リストについての考察2

リストには中身があり、そのタイトルがある。しかし、中身とタイトルが合致しているわけではない。そこには常に脱線的危うさがある。

たとえば「今日やること」についてリストに書き出していたら、「そういえばちょっと落ち着いたら旅行にでも行こうかと相談してたよな」と思い出す場合がある。そんなときは、そのままリストに書き出してしまえばいい。

当然それは「今日やること」ではないが、たとえば、「旅行についてのリストを作る」というタスクにはなるかもしれない。脱線して書き出された項目が、新しいリストを作ったのだ。

あるいは、こんな例もある。

リストは思考を飛躍させる「輝ける雲」である (往復書簡 No.2)|ほりまさたけ|note_

しかし、いざ筆をとって、頭のなかにある企画をそれこそリストの形で並び替えたときに、私はもうライフハックやテクニックといったことにほとんど興味がないということに気づきました。

ここでは、企画のネタ出しのつもりで書き出されたリストが、実際自分は興味がなかったことが確認されている。

もっと抽象的な話をすると、リストの項目を埋める際には大きく分けて「すでにわかっていることを書く」場合と、「まだ意識していないことを引き出す」場合の2種類があります。

「すでにわかっていること」を書き出したおかげで、「まだ意識していないこと」のトリガーが引かれたわけだ。リストのタイトルと中身が確実に一致しているなら(あるいはその束縛から逃れ得ないなら)このようなことは発生しない。

あるいは、文章を書こうと思い立ち、それぞれの章の項目を書き出しているうちに、どんどん要素が出てきて新しい章が立ったり、あるいは章の中身そのものが入れ替わってしまうことも起こる。これもまた逸脱した項目が変化を呼び寄せる一例であり、Tak.氏が「シェイク」と呼んでいる操作(ないしは現象)の一つでもある。

ぶつかり合う二つのベクトル

まとめてみよう。

リストという形式はロジカルさを促すが、それは強固な縛りではない。そこにはいつだって逸脱の可能性が残されている。リストが何を表すかは常にその外側にあり、それはタイトルの形で表されるが、タイトルは恣意的なものでしかなく、それは常に誤る(誤配される)可能性を持つ。内容とタイトルの不一致。そのズレがもたらす創造力。

しかし、その逸脱は、なんでも許容する自由さを(≒無限の可能性)持つものではない。リストの形式をとる限り、それは常にロジカルさに晒されている。それがリストの書き直し、構造変化、新しいリストの創造へとつながる。

つまり、二つのベクトルが常に働いているのだ。

逸脱可能だからこそ変化し、ロジカルにおくからこそそれを仮固定できる。

それが創造的に見た場合のリストの力である。そして、だからこそ、リストは「まだ意識していないことを引き出す」使い方ができる。ある時点でのロジカルさを乗り越える可能性を持つのだ。その可能性こそが、有限なリストが無限をほのめかす力となる。

この点は、クリエイティビティーにとって言祝ぐ要素と言えるだろう。では、別の側面ではどうだろうか。たとえば、タスクや目標管理にとっては。

(つづく)

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