0-知的生産の技術

ペイフォワード/レビューシフト

先日Amazonのカスタマーレビューを書いた。初めてのことだ。

一応著者として活動しているので、あんまりレビューに参画するのもどうかとは思ったのだが、とある本にあまりに一方的なレビューがついていたので、さすがにそれは評価がねじ曲がってしまうだろうと思い筆を執った。

正直なところ、複雑な思いはある。

第一に、さきほども述べたが私が著者として活動している点。この点が、いろいろややこしい問題を引き起こしそうだという懸念があり、その懸念がレビューを書くという行為を遠ざけてしまう。

第二に、本というものに五つ星で評価を与えるということがどうにも気にくわない。最近のAmazonはレビュー本文は抜きにして、星だけの評価ができるようになっているが、むしろ私が逆がやりたい。つまり、星はつけずにレビュー本文だけを投下したいのだ。そのレビューからどのような評価を読み取るのかは、(レビューの)読者次第、というのが私にとっての好ましいレビューの在り方である。

そうはいっても、Amazonという大きな土俵があり、そのルールを決定しているのは彼らなので、そこで行為する私たちはそのルールに従わなければならない。プラットフォームとプレイヤーの絶対的な力の差がここに現れる。

しかし、やらない口実を探し始めればいくらでも見つかるのが現実である。いささか憤りに近い感覚も感じていた私は、上記のような話はすっとばして、レビューを書くことにした。

背中を押したものは別の要素もある。しかも、ぜんぜん違う要素だ。

『Scrapbox情報整理術』という本に一番最初についたカスタマーレビューは、mehoriという人によるものだ。あえて語るまでもないが、その人も著者として活動しておられる。上にかいたような心境を持つ私としては、このレビューはほんとうにありがたいと思った。ボタンが押せるなら100いいねしたいくらいである。

とは言えである。mehoriさんにカスタマーレビューを書いてもらったからといって、mehoriさんの本にカスタマーレビューを書き始めると、話がややこしい方向に流れていく。さすがにこのブログを読んでいる読者で純粋無垢な方はあまりいないと想像するので(失礼な話だ)、具体的に記述するのは避けるが、そういうことをやりはじめると泥沼に入り込んでしまう(星五レビューを集めるなんてごくごく簡単なことになるだろう)。

この感謝の気持ちがありながらも、どこにも解消できない状態があった。私がとある人のカスタマーレビューを書いたのは、その解消されないうやむやも関係している。

ようは、直接の知り合い(ないしは利害関係者同士)でレビューを書き合うから、ややこしい泥沼の足音が聞こえてくるのだ。だったら、特に利害関係のない人の本であればどうだろうか。それなら泥沼的事態はやってこないのではないか。

そうまでして、レビューを書くことにどれだけの意義があるのか、という疑問もあるかもしれないが、全体的に二つの点が気になっている。

その1:どうにもまっとうなレビューを書ける人が多くない気がする
その2:普通に面白い・すごく面白いと感じた人でもなかなかレビューを書くことは少ないにもかかわらず、ちょっと面白くないと感じた比較的時間をお持ちの方ひとりがつけた星1や星2つが販売に与える影響が大きすぎる

レビューは広義に感想を含めてもいいが、たいへん多くの人が利用する場所という意味でのパブリックなAmazonというWebスペースに何かしらの意見を投稿するならば、それなりの様式は必要だろう。駅前で大声をあげないように(別にあげても法律違反ではないだろうが)、公共の場ではそれなりの振る舞いが要求されるのだ。表現の自由があるから何を書いてもいいが、公共の場で役立つ情報の書き方というのはやっぱりある。

で、そういう役立つ情報の書き方がされていれば、否定的な評価であっても十分本を選ぶ役に立つのだが、現状のレビューは「星による足切り」くらいしか役立っていない気がする。もちろん、きわめて有能なレビューアさんは存在しているが、コンテンツの領域が広すぎるので、十分に賄えていないきらいはある。全体的に人材不足なのである。

でもって、たいていの著者は多く本を読んでいる。有能な読者かどうかはさておき、ある程度の読書家ではある。そういう人間を、レビュー執筆者から弾いてしまうのは、ずいぶんもったいないことのように思われる。

しかも、全体的にレビューア不足だと、不幸な出会いによる評価を回復することが難しい。本というのはたいてい「誰か」「特定の読者層」に向けて書かれたものなので、その対象から外れている人にとっては無価値であることが多い。よって、不幸な出会いは一定の確率で起きてしまう。当然、星が低い評価もついてしまう。しかし、一番最初のレビューがそれだと、本当に本の売れ行きは悪くなる。まったく売れないわけではないが、持続的な伸びは期待できなくなる。低評価を書いた人が、「こんな本、もう一冊も売れなければいいのに」という怨念を込めていたとしたら、見事にその呪いは成就されたことになる。

一方で、違う評価軸を持つ人には、違う評価が出てくることはありえる。この世界は誰かひとりの評価軸で成り立っているわけでもない。でも、星による足切りが以降の出会いを大きく抹消してしまうのだ。それはちょっと悲しいことだと思う。

コンテンツが秘めている価値をひっぱりだすのは、実は技術が必要な仕事であり、だからこそ書評家という役割がお金を発生させる仕事になっている。つまり、ある程度の訓練(かセンス)が求められる。それが不足していると、本の価値を見つけるのは難しい。面白さは地中に埋まったままである。で、現状かなりの面白さが地中に埋まったままになっているのではないか、という疑問がある(Honkureをやっているのもそれが理由の一つだ)。

かといって、著者もばんばんレビューを書きましょうなどと言い出すと、あの泥沼の足音が聞こえてくる。本当にやっかいな存在だ。

だから私は、極力利害関係のない人の本のカスタマレビューを書いていこうと思う。何も見返りは求めない。で、その人も同じようにぜんぜん関係ない人のレビューを書いていったらいい。その連鎖がもし続くなら数学的帰納法的なつらなりが生まれる。ペイフォワードのように。

たぶん、そんな迂遠な方法でしか、泥沼を避けながら、しかし面白いレビューが増えていくことは望めないのではないか。私はあまりに悲観的に考えすぎているのかもしれないが、たぶんそうではないのだろうと思う。

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