0-知的生産の技術

あたかも手帳を開くように

最近、自作のメモツールについていろいろ考えていたのだが、今朝ふと自分が必要なのはダッシュボード的なツールなのではないか、ということに思い至った。

直近の自分のプロジェクト、ホットな話題(メモ)、スケジュールなどが一ページにまとまっており、MacからもiPhoneからも閲覧できて、それぞれで編集ができる。そういうツール。

おそらくそのツールは、ふとしたときにiPhoneやMacで開いたりするのだろう。作業中でもなく、遊び時間でもない、とりとめも名前もないそんな時間に。あたかも手帳を開くかのように。

手帳は、複数の情報が一冊にまとまったツールである。そして、私たちは自由にそのツールに書き込める。

そのようなツールを、私たちは手にすることができているだろうか。デジタルにおいて。

デジタルツールにおいて、情報はさまざまなツールで分担的に処理されている。それがアプリ的設計というものだ。それはそれで便利なのだが、統合的な視点を持つことができない。ツールを越境して、情報を閲覧することは難しい。

仮に情報の越境が可能だとしても、そこに自分で書き込むことはさらに難しい。あなたは手帳にシールを貼ったことがあるだろうか。あるいはちょっと落書きをしたことは? そういうことが、デジタルツールではなかなか難しい。

これまでのデジタルツールを否定しようというのではなく、それらをインテグレートする視点があれば、もっとツールと身近になれるのではないか、という話である。

私のCLI仕事術 – Qiita

上の記事では、Githubでメモ管理、Todoistでタスク管理、Togglで実行管理が行われている。おもしろいのは、TodoistとToggleの連携だ。こういうことがスムーズにできればできるほど、使い勝手は向上していく。その他のツールにも似たようなことが言えるのではないか。

しかし、それを実現するためには、ある程度の知識が必要となってくる。ここがネックなのだろう。

技術が進むほど、私たちは知識がなくても、情報処理ができるようになる。しかし、その情報処理はツールが規定する枠組みの中に限定される。知識は、その枠組みを超えるための力でもあるのだ。

便利さの井戸と、その井戸からはい上がるための知識。

手帳への道のりはまだもう少し遠いようだ。

そんなことを考えながら、自作のWebツールについての妄想を膨らませている。

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