0-知的生産の技術

Webをもう一度やり直すために

僕たちに電話レンジ(仮)はないし、リーディング・シュタイナーな能力も持ち合わせてはいない。それでも、僕たちは世界をやりなおすことができる。この道は行き止まりだと思ったら、新たな道を歩み直すことができる。それが、科学的な態度でもあろう。

インターネットは道を誤った。現状は悲惨と呼ぶしかない状況が訪れている。

あるいは、単に早すぎただけかもしれない。少なくとも人々が日常的に世界中に発信できるメディアや、個人が10年以上もデジタル情報を蓄積していける状況などというのは、文化的・文明的に言ってもまったく未体験であり、それがファーストトライで成功する見込みは低い。

だから素直に認めてしまおう。私たちは道を誤ったのだ。

分岐点はどこだったのだろうか。Googleアドセンスが怪しいと私は睨んでいる。特に、「Googleアドセンスが通らないからアルコールについて(あるいはアダルトについて)は書かない」みたいな話が聞こえてきた辺りから、少々雲行きが怪しいことを感じていた。

かつてのWebは、自由に物が書ける場所であった。商業的見込みが低い、あるいは多くの人に読まれる可能性が少ないものを、収益性などを気にせずにパブリッシュできる場所。それがWebであった。さまざまな広告は、そういうものを書いていながらもお金が手にできる(可能性がある)魔法のような存在であった。

しかし、大きすぎる力は反動を持つ。今では、お金を稼ぐためにWebで何か書くことが常態化しているし、それをやらないと「損」だと評される。あげくの果てに「読まれないコンテンツは、意味がない」と断罪だ。まさに、その「読まれないコンテンツ」を出す場所だったWebのおもかげは、もうどこにも残っていない。少なくとも、ごく一部の辺境を除いて。

結果、検索結果は悲惨なことになっている。たしかに、Googleのアドセンスが一種の規範となって、「やばい」コンテンツは書かれなくなったのかもしれない。しかし、その「やばさ」を決めているのは、単なる一企業なのである。そして、人は自ら考えたものを出すのではなく、ウケるもの、儲かるものを出すようになった。

雑誌的コンテンツがWebに流入してきたあげく、それらのコンテンツの質はまったく担保されていない。まったくだ。

正直、ここまでGoogleの検索がひどくなるくらいだったら、「欲しい情報は雑誌を買って読む」という情報環境が残っていた方がはるかにマシだった。今なら、雑誌の定期購読もあるし、そう高い買い物ではないだろう。少なくとも、「いかがでしたかブログ」を開いては閉じ、開いては閉じしている時間が帰ってくるなら十分見返りはある。

単に検索にノイズがあることだけが問題ではない。その人が書く、その人しか書けないコンテンツが世に出ているのかが、疑問なのだ。Webがクリエイティビティーの宝庫であったのは、まさにそうしたコンテンツが見境なく流れ込んできたからだろう。金太郎飴からどのようにしてクリエイティビティーの創発が生まれるというのか。

最終的に大企業・大資本が卓上のチップをかっさらっていくゲームに、Webのプレイヤーの時間と労力が使われている。それって、本当に善き状態なのだろうか。

最近、Addless Letterという自作のサイトを作っている。動的なブログではなく、静的なHTMLサイトだ。そこには、何のアクションもない。単に、記事を書いて、公開するだめだけの場所である。

あるいは、佐々木大輔さんがやっておられるのを知って、Substackというのも始めてみた。何の変哲もないメルマガだが、Webにページもある。

観測範囲ではまだ小さいが、「かつてのWeb」に帰ろうという動きが徐々に生まれている。もちろん、単純に古いメディアを使えばそれで問題が解決するわけではない。しかし、私たちはどこかからやり直す必要がある。懐古主義ではなく、現状の「巨大なプラットフォームの方向性によって何もかもが決まってしまう」ことが前提になっていることを疑い、別の道を見つけるための模索である。

別にこれは「Webのジャーナリズム復興」とか、そういう真面目なものを目指しているわけではない。もちろん、そうしたものが生まれてきたら嬉しいが、あくまでそれは副産物のようなものである。そうではなく、「こういうコンテンツを出せば、成功しますよ(収益化できますよ)」という理念から生まれてくる、きわめて「真面目な」(そしてどうしようもなく退屈な)コンテンツとは、違ったコンテンツの出し方を肯定しよう、ということである。

とんでもなくバカな投稿であってもいいし、とんでもなくニッチな投稿であってもいい。その人が書きたいことを、書けることを書いて、バズりとは違った形でそれが承認されること(あるいはされないこと)。そういうムーブメントが起こらない限り、ネット外の世界だけでなくネット内の世界でも閉塞感は続いていくだろう。

一時期は私の考えが間違っているのかもしれないと思って静観していたが、うるさく騒いでいた人たちがどんどん退場しているので、やっぱりそうだなと思い、ここにこうして記事を書いてみた。

もし何かご意見あれば、コメント欄なり、以下のScrapboxなりに書き込んでいただければ幸いである。

「Webをもう一度やり直すために」記事の掲示板 – 読む、書く、考える

4件のコメント

  1. ご無沙汰しております。SlackやScrapboxではお世話になりました。残田です。

    この記事の話題はわたしにとって、テーマも技術も、この数年ずっと考え続け、模索し続けていた話題でございました。そのため、たまらずコメントさせて頂きたくなりました。

    物凄く長くなってしまいましたので、以下のScrapboxに書かせて頂きました。
    お読みいただければ幸いです。

    https://scrapbox.io/readrashita/%E3%80%8CWeb%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%99%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E3%80%8D%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

  2. 何かすごく考えさせられた記事でした。
    懐古主義は嫌いだし、お金儲けが悪いわけじゃないけど、何か違うよなという気がしてたのを、言語化された感じがします。
    世の中に与える影響が大きくなると仕方のないことなのかもしれませんが、、

  3.  この記事の論旨には同意です。
     希望に満ちて幕を開けたはずのインターネットが、今は地獄しかない。
     ただただ、同意しかない。

     ただ、私は『道を誤った』とされる分岐点は『アフィリエイト』にあると思っています。
     Google Adsenceが出てくる以前から、『痛いニュース』『はちま寄稿』『オレ的ニュース速報JIN』等のアフィリエイトプログラムをバリバリ貼り付け、単に掲示板の発言をコピペしただけで記事を量産する『2ch系まとめサイト』による検索汚染は存在していましたし、アフィリエイト目的のサイトもその頃からそこそこありました。ただ、今ほどは酷くなかったし、URLで判別つくから回避は楽でしたが。
     《参考までに:Google Adsence=2003年 Amazonアソシエイト=1996年 バリューコマース=1999年 A8.net=2000年》

     結局のところ、技術の進歩と同時に個人の情報発信がより簡単に、より手軽になるにつれて、『金になる仕組み』を簡単に使えるようになった事が一番の誤りではなかったかと考えています。よく言われる、『手段』と『目的』の逆転。『自分が書きたい事があるから何かを書く』のではなく、『金を稼ぎたいから書けそうな事を見つけて書く』。
     書籍とは違って編集者による校正・検閲の入らないインターネットでそれをやれば、そりゃ余程の事がない限りは質なんて……という状態になるのもさもありなん、という。逆を返せば、その状態から出版社に拾われて本になった一部のテキストサイトなんかは、本当に光る物があったからこそ本になったのだろうな、と今にして思います。

     『違った未来を探すための道』を模索し続ける事。
     書きたい事を自由に書いて世に出す、とい行為そのものを大切にしていく事。
     私もその一端を担えたら良いなと思っています。

  4. 同じようなことを考えています.
    『単に、記事を書いて、公開するだめだけの場所』っていうのが,いつのまにか作られなくなっていたように思います.
    『かつてのWebに帰ろうという動き』が広がってくるかもしれませんね.
    ※ブログのコメント欄に書くっていう行為も数年ぶりです

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