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うんざり気味の年金問題

国会議員だけではなく、さまざまな人の未納問題が取り上げられている。

たしかに、年金未納というのは、多少の問題である。
が、ここまで勢いがついてしまえば、それは過剰というものではないか、と思う。

毎日毎日、未納者の名前が公表されていく中で、メディアを見る人々は、「またか」という気分になっていく。

そういう気分のなかで本質的な問題が、だんだんと薄れていっているような気がする。

たしかに、この一連の報道によって、日本に住む多くの人々が「年金」に注目し始めたことは確かだ。

しかし、その現状になにかしの違和感を感じる。

まず、一つは情報の一過性ということだ。
要するに熱しやすくさめやすいメディアの報道は、これが一段落ついてしまえば、次の獲物を探すことだろう。
タイミングを計ったかのように(もちろん図ったのだろう)小泉首相の訪朝が報道された。

これによって、メディアは少しずつ、そちらのほうにシフトしていっている。
はたして、それでよいのだろうか。

あと、年金に注目が集まった、結果の行動が、自らの年金の心配である、ということだ。

結果的に自分がもらえるかどうか、ということだけに主眼が置かれて、年金制度全体の新たな視点ということに関しては、あまり関心は高くないような気がする。

しかしながら、国会議員の年金未納問題というのは、その未納が意図的なものでない限り、制度上の問題であるはずだ。

単純に手続きや仕組みがややこしいというだけに限らない。

が、議員年金の廃止まで、含めた議論にしてしまうと
圧倒的な反発が起こるはずである。

利益を得ているものが、それを手放すときは、それ以上の利益が得られるときだけである。

ごく、単純に年金を一つの制度にするといっても、そこには様々なハードルがあり、できることできないことをきちんと詰めていかないといけない。

肝心なことは、「年金制度」をきちんと機能するものに変えていくことだ。

日本のこの現状を見てまだ、年金は払われているんだから、「年金」は機能しているというのが、いかに空疎な議論であるかは自明である。

払える人、払いたくても払えない人(払いにくい人)、貰う人、(あまり)もらえない人、これら全ての人々の希望に沿った制度というのは、現実的に作ることはできない。

では、何に一番の力点を置くべきか。

それは、払える人が「払っていこう」と思える制度を作ることである。

「払っていこう」と思える制度とは、については次回に考えてみたいと思う。

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