(前回はこちら)
知的生産のフロンティアには、どのような風景が広がっているだろうか。
三つの観点を提案してみたい。
- システム(ツール&ノウハウ)
- メディア
- チーム
システム(ツール&ノウハウ)
知的生産のシステムは、ツールとノウハウがセットになって生成される。ツールだけでもだめだし、ノウハウだけでもだめだ。言い換えれば、あるツールを実行者が使い込んで生まれるノウハウがシステム化を促す。
前回指摘したように、ツールの高機能化はすさまじいし、ノウハウも検索すればいくらでも見つかる。しかし、それをシステム化できている人はそう多くはなさそうだ。簡単に言えば、使い込めていない。なぜだろうか。
一つには、ツールの進歩が早すぎて追従できていないことが考えられる。あるいは多様なツールに目移りしてしまっている状況もありそうだ。どちらにせよ、ツールの力を理解できず、発揮させることもできていない。
ノウハウがたくさん見つかることまた同種の弊害を引き起こす。自分なりにノウハウを磨き上げていくのではなく、気移りするかのようにあれやこれやと試してしまう。そして、それが終わることがない。そのような状況では、自分のノウハウは確立できないだろう。
求めるものは、そう難しいものではない。自分がどんなものを欲しているのか、どんな形が適しているのか。それを知ることができたらそれでいい。しかし、そのためには、じっくりツールを使い込んで、試行錯誤や偶然のアクシデントに遭遇しなければならない。そういう機会が、もしかしたら減ってきているのかもしれない。
あるいは、人々は私の見えないところで、自分のノウハウを磨き上げていることはありうる。しかし、それが見えてこないというのはまた別種の問題である。
梅棹は『知的生産の技術』の冒頭で、魅力的な話を紹介している。
友人たちのあいだに、べつに組織だった情報交換網があるわけであないが、ひとりが、なにかあたらしい技術を案出すると、それがほかの仲間にもすぐつたわるようなしくみが、いつのまにかできあがって、いまにつづいている。だんだんとあたらしい技法も開発されて、つけくわわり、また、ふるい技術は経験によって改良をうける。いまであ、これらの友人のあいだでの共有財産は、質的にも量的にも、かなりのものになっている。
人々が見えないところで、つまり個々人だけでノウハウを磨き上げているとしたら、情報交換網は成立しない。それは、ノウハウのブラッシュアップができないばかりでなく、メジャーアップデートの機会も損失することを意味する。改良も洗練もなく、当然「共有財産」を未来に託すこともできない。これは大きな問題といえるだろう。
そしてこの点は、次項の「メディア」とも関係している。
メディア
現代の知的生産において、メディアはもっとも重要な要素である。ツールやノウハウは、これに比べればささいな問題と言えてしまう。
メディアは、二つの方向に効いている。つまり、自分が情報を仕入れるツールとして、そして自分が情報を提出する場所として、である。
まず単純に言って、現代ではメディアの選択肢が広がった。その点は、それが限られており選択の余地がなかった時代に比べれば幸運なことだろう。しかし、その分、メディアの構築はより難しくなってしまった。5個のパーツしかないレゴブロックは誰でも一定の形に組み上げられるが、1,000個のパーツがあると、パーツを選ぶだけで人生が終わってしまいかねない。そういう問題が、現代のメディア状況にはある。
一昔前なら「テレビを見る」は、それほど多様性のない活動であり、それが意味することはほとんど誰もが共通していた(ノイズの砂嵐を鑑賞するのが趣味という人を除けば)。
一方で、現代で「Twitterを使う」は、かなり幅広い意味を持っている。フォローする人の数や種類によって、タイムラインの色合いはまったく変わってくるし、自らツイートする頻度によってもその「メディア感」は変わってくる。
さらにややこしいのが、そうした自らの行動によって、返ってくる情報が変わってくることだ。自分が好きな本をつぶやいていたら、別の人が面白そうな本を教えてくれる、ということが起こりえる。インタラクティブなのだ。
こうしたメディアは、使い方一つでその表情を変えてしまう。前項の話を引き継げば、ノウハウがツールを変質させる。そういうことが起こりえる。だから、「インプットだけ」とか「アウトプットだけ」のように切り離して考えることもできない。非常に境界線があやふやなのである。
さらに、「自分が情報を提出する場所」も多様である。プラットフォームは無数にあり、文章以外の選択肢もある。無料と有料もあるし、オープンとクローズもある。その多様なメディアから、効果的なものを選択して、発信しなければいけない。その上、「情報交換網」のようなものも視野に入れる必要がある。これはかなりハードモードだ。
少なくとも、どのような指針でそれらを運営していけばいいのかについて、体系的に論じている情報は少ない。ツールやノウハウを手にしたとしても、その次の一歩が難しくなっている。制度的には容易くなっているにも関わらず、その設計の難易度が上がっているのだ。なかなか皮肉なものである。
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少し長くなってきたので、「チーム」については回を改めよう。
とりあえず、この二項だけでも現代の知的生産はなかなかやっかいな問題を抱えていることが見えてくる。その最前線を突っ走るなら、なおのこと難しい課題に直面せざるを得ないだろう。
でも、そろそろ正面から向かい合うタイミングが来ているのだ。むしろこれは一番エキサイティングな問題と言えるかもしれない。
(つづく)
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