0-知的生産の技術

知的生産のフロンティアについて考える(3)

前回は以下の三つの観点を提示し、そのうち二つ似ついて検討した。

  • システム(ツール&ノウハウ)
  • メディア
  • チーム

今回は最後の「チーム」に入ろう。

梅棹のその先に

梅棹の『知的生産の技術』では、「この本は、はじめから個人を対象にしてかいている」とことわりが入れられている。あくまで知的生産というのは、個人において行われるとものだと言うのだ。その意見には私も賛同できる。おしゃべりの中で、黙考の深さは生まれてこない。右へ倣えで独創的な考えが生まれてくるとしたら、そもそも定義矛盾である。

しかし、知的生産というか、情報を扱う上では個人以外の領域にも視野を向けなければいけない点は、梅棹も理解していた。

もっとも、別な意味で、組織の問題があることは事実である。それは、たとえば研究における共同研究のように、複数の個人が協力して知的生産をおこなう場合である。それについては、またさまざまな問題がある。たとえば、チームのくみかた、討論のしかた、会議のしかた、助手や秘書のありかた、研究室の経営の問題などである。

『知的生産の技術』から50年あまり、個人の知的生産の技術はさまざまな発達を見せてきた。その普及がどれほど進んでいるのかは心もとないものがあるものの、技術の探究は十分に進んでいるといって良い。一方で、梅棹が指摘したような複数人での知的生産の技術はどうか。この技術的発展は、相当に怪しいのではない。

にもかかわらず、情報社会において、企業が価値を生み出すためには、まさに共同的な知的生産の技術が必要なのである。

これには三つの視点がある。まず、そもそも個人の知的生産と言っても、本当の意味で独力でそれを行うことはほぼない、ということだ。共同研究のようなリアルタイム性はなくとも、私たちは誰かの知的生産の上に新しい知的生産を行っている。むしろ、そうでない知的生産はひどく非力で貧弱なものになるだろう。片方には巨人がいて、もう片方には人間一人である。比べるべくもない。

つまり、個人の知的生産であっても、私たちは「他人の知識」を利用している。そう考えれば、個人で行う知的生産の中にも、「他者」の要素をいかに入れるかという視点は欠かせないことに気がつく。この点は、たとえば『知ってるつもり 無知の科学』あたりからでも補強できるだろう。

簡単に言えば、作業そのものは一人で行うにせよ、「知的なやり取り」を他者と繰り広げることで、豊かになる土壌があるはずに違いない、ということだ。そういう意味での、複数人での知的生産は、まっさきに視野に入れるべきだろう。

知識企業の中の知的生産

次に、企業内部での知的生産がある。これは、梅棹がイメージしていた共同研究的なものが当てはまるだろう。複数人で知的生産プロジェクトを走らせていくための技術。それはたとえば、いかにwikiを運用するのか、といった視点が必要となるはずだ。言い換えれば、知の持ち寄りの円滑化である。

この点はさすがに先駆者がいて、『知識創造企業』で詳しく論じられている。SECIモデルも有用ではあろう。しかし、それが日本企業全体に根付いているかというと、なかなか怪しい。それをサポートするツール、必要性の認識あたりは、まだまだ一般的と言い難いだろう。

IT企業ですら、ドキュメント整備に重きを置かず、場当たり的にプロジェクトを進めている話を効く。それではどう考えても情報のレバレッジは効かない。非効率と批判されても返す言葉はないだろう。

片方には個人が扱う情報や知識があり、もう片方にはそれらが集合するより大きな知識体系がある。後者を、いかに構築し、また利用できるようにしていくか。そのメンテナンスコストまで含めた設計が必要で、しかもそれは、組織図に親和的(ないしは超越的)でなければならない。

とは言え、この問題の解決は簡単にはいかない。誰かひとりが「目覚めた」ところで、事態は動かないからだ。むしろ、草の根的にじわじわと広がっていくことが必要になるのだろう。

チーム

もう一つ、別種の共同作業がある。企業のように、ひとつの組織に所属する複数人が共同作業を行うのではなく、もっと分散的な協力関係である。

あるプロジェクトのために所属が別々の人間が集まって、作業を為す。それが終わったら解散する。そんな運営スタイルである。個人でもないが、かといって組織でもない。その中間的な在り方における、知的生産の課題は、また別種存在するだろう。

インターネット以前では、こうした「タスクフォース」的な集まりは、なかなか実現が難しかった。しかし、現代ではそれがずいぶん容易になってきている。喜ばしいことであろう。

一方で、そうして集う人たちは、地盤が異なる上に、組織的に流儀(スタイル)を上から押し付けるのも難しい。まるで、公安9課のような運営上の難しさがある。

その分、その成果は芳醇であろう。組織の枠組みを超えた知的生産は、研究者以外の領域でも今後はさかんになっていくはずだ。

さいごに

今回は「チーム」について考えた。

「知的生産のフロンティア」という観点から言えば、最後の要素が一番未開拓であろう。言い換えれば、組織的に行われる知的生産と、零細的に行われる知的生産の、その中間地点がぽっかり空いているのである。

そのチーム的な知的生産は、非組織的であるがゆえに自由な目的を設定できるし、多様なメンバーを揃えることができる。その分、マネジメントの難しさは間違いなく立ち上がってくるだろう。極めて心躍る課題である。

個人の知に留まらない、しかし、それぞれの個性的な知が活かされた知的生産。それが活発に行われる未来が、来るべき知的生産の未来であるように思う。

(つづく)

▼参考文献:

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