2-社会情報論

『独学大全』発売に思う

2020年9月29日、つまりこの原稿を書いている時点からみると明日に『独学大全』が発売される。読書猿さんによる三冊目の「大全」だ。

すでにAmazonから配送された人たちのツイートがタイムラインで踊っている。Amazonの順位もかなり良いようだ。

私は本書をまだ手にできてはいないのだが、まずこういう本が発売されること自体を嬉しく思う。言祝ぎたいとすら思う。

「こういう本」とはどういう本か。

著者が全身全霊をかけ、読者が待ち望み、これまでになかったコンテンツがこの世に投じられる。そんな本だ。

AmazonのランキングやTwitterの反応を見ても、この本の発売を切望していた人がたくさんいることは容易にうかがえる。読者はたしかにいるのだ。

しかし、こういう規格外の本はなかなか出版会議を通らないのではないか。ビジネス書のコーナーに置かれる本にしてはあまりにも分厚いし、きっと「わかりやすい」ことを最大限目的とした本にもなっていないだろう。これまでのトレンドを考えれば、ストレンジャーきわまりない。異物である。

その異物が、たしかに切望されていたのだ。実際に買われているのだ。このことを本の出版に関わる人間はよくよく考えた方がよいのではないか。

『独学大全』は、出版ノルマをこなすための本でもないし、著名人の名前を借りただけの企画先行の本でもない。だからこそ、そこに読者はいる。

一体全体、出版ノルマをこなすためだけの本を「読みたい」と強く切望する読者はどれくらいいるだろうか。一冊売れた本があるから、こいつに書かせておけば内容はさておきまあ売れるだろう、という「予測」で作られた本を読みたいと思う読者は。

そりゃ本が売れなくなっても仕方がないだろう。

『独学大全』は、規格外である。前例もなければ、類書もない。だからこそ、皆がこの本について言及したくなる。「この本のこと」を知ってもらいたくなる。つまり、差異を内包した本の存在自体が、すでにマーケティングとして機能している。

ドラッカーは、「マーケティングの理想は、販売を不必要にすることだ」と述べたが、まさにそれを(一部であっても)体現していると言えるだろう。販売が不要になることはないにせよ、販売を駆動させる力が、本書の在り方には内在している。

それはもちろん、片方に読書猿というネットの世界でこつこつと情報を積み上げてきた人間がいて、もう片方にそうした情報に触発されたたくさんの人間がいて、その両者の関係によって成立しているものである。同じことを一朝一夕でコピーすることはできない。

だから、同じ著者にぜんぜん別のテーマで本を書かせたら同じ結果が確証されるわけでもなければ、これよりも分厚い「大全」を他の著者に書かせたら、二番煎じがゲットできるわけでもない。そのような模倣は、この現象の本質を(もしそう呼べるものがあったとしてだが)見誤っている。

面白いのが、ある時期から始まった「大全ブーム」の火付け役である『アイデア大全』の著者が、すでに大全ブームが下火になっているこの状況の中で、堂々と「大全」の名を冠した本を表してきたことだ。小細工はどこにもない。強パンチで殴られたから、強パンチで殴り返すような肉弾戦である。

しかし、Amazonの初動のランキングを見る限りでは、読書猿さんはその殴り合いを制したように思う。下火になっている「大全」というネーミングであっても、しっかり売れるのだ。

なぜか。

もちろん、タイトルはあまり関係ないからだ。

いや、その言い方は語弊がある。タイトルはやっぱり大切なのだ。しかし、今回この本を予約して買った人は、別のタイトルであっても買っただろう。「あえて大全とつけたから買った」、という人もいるだろうが、全体として見れば、「独学について読書猿さんが書いたから買った」という人が圧倒的多数を占めるはずである。

これはとても大切なことだ。

さて、仮に『独学大全』がすごく売れたとして、出版業界はどうするだろうか。再び、「大全もの」に手を出すだろうか。しかし、全体的なデータは、もうそれらのネーミングが希求力を失っていることを示しているはずである(消費、というのはこういうときにぴったりくる言葉だ)。

一方で、「大全」を冠した本が売れているデータを『独学大全』が作ってしまったら、データに整合性がないことになる。

その状況が突きつけるのは、抜本的に「本の作り方・企画の立て方」を変えていかなければならない、という変革の必要性であろう。データからわかることは、実際限られているし、それは何のイノベーションも呼んでこない。

そして、省エネルギー・低コスト・安全第一で本作りをすればするほど、『独学大全』が示した方向とはズレていってしまう。

考えてみると、いまだに新書がプチヒットを飛ばすことがある。新書を好んで読んでいる人は、少なくないのだ。

そういう人たち、つまり、教養的な情報を好む人たちにとって、今ビジネス書のコーナーに並んでいる本は少々物足りないだろう。ノウハウやテクニックが語られていても、結局その著者の独自的なものであり、過去の研究の上に成り立ってもいなければ、現在の研究に付け加えるものもない。それはどこにもつながっていない袋小路のようなものである。

もちろん、そうしたものでもヒットを飛ばすことはある。それは、何かしらの小説がすごく売れることがある、というのと基本的には同じで、再現性はない。

そうではなく、安定的に本を買う人たちに、面白く読めるように提供される情報として書かれるビジネス書はもっと増えてもいいのではないか。

少なくとも、そういう書き方がなされた本は、熱狂的に受け入れられる可能性があることを『独学大全』は示したのではないか。

ビジネス書のコーナーに並べるといったって、別段これまでのビジネス書を踏襲する必要はない。というか、売り上げが下降しているジャンルの書き方を踏襲したところで、明るい未来は待っていないだろう。

ビジネス書ほどイノベーションの重要性を説いている分野はないのだから、その本作りもまた、常にイノベーションを求めていくのが矛盾がないのではないか(まあ、矛盾があってもいいわけだが)。

長く書いてしまったが、単純に『独学大全』が発売され、それが少なからず売れていることを嬉しく思う。

そういう本を好むのは、自分やその周囲の狭い領域だけではないと知れるのは、一人の物書きとしても心強いものがある。

あとは、第二の大全ブームとか教養ブームとかがやってこないことを祈るばかりである。

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