0-知的生産の技術

知見は慣用句に乗せて

ビビッとくるvividなツイートです。

よく使う思考パターン、作業を言語化し、[名付け]する作業。

これってまさに、『パターン、Wiki、XP』で紹介されているウォード・カニンガムが行っていたパターン収集と同じことでしょう。つまり、Wikiの原点であり、WikiであるScrapboxと親和性が高いのも頷けます。

フレーズの力

結城浩さんのファンならば、《例示は理解の試金石》は、誰に言われるでもなく覚えている言葉でしょう。このブログの読者さんなら《価値とは見出されるものである》がそういうフレーズかもしれません。あと、パクりではありますが、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』では、「(リストは)混ぜるな危険」というフレーズも提示しました。

こうしたフレーズや慣用句は、短いながらも一つの成句です。たいていの場合、語呂がよく、口にしやすい特性を持っています。

『ファスト&スロー』を引くまでもなく、そうしたものは「記憶にこびりつきやすい」のです。短いので覚えやすく、口にしやすいのでさらに記憶に残りやすくなります。音韻的な要素は、ある意味で詩的であるかもしれません。意味よりも先に、音として記憶されるのです。

『Scrapbox情報整理術』では、川喜田二郎さんの『発想法』を引きながらタイトルの付け方の「コツ」を紹介しましたが、その川喜田さんは、表札作りについて「土の香りを残せ」とよくおっしゃっていたようです。

〈表札づくり〉において、川喜田二郎はよく、「土の香りを残せ」と言いました。元ラベルの具象性を彷彿とさせるような抽象が大切だということです。そういう〈表札〉には、核心を的確に表現したシンプルさと同時に、〈全体〉のふくらみをも象徴的に豊かに感受させるパワーがあります。
KJ法 表札事例 | 川喜田晶子KJ法blogより

上の記事では、2枚のラベル「どれだけ遠くにいても声が届いた」と「表戸を開けっ放しの家が多い」から、『里山では声が届く』という表札が作成された事例が紹介されていますが、この『里山では声が届く』は、まさに最初に引用したツイートの「キャッチコピー/慣用句の作成」に相当するでしょう。力のある言葉です。私たちの耳を、そして想像力を引きつける言葉です。

そしてもちろん、「土の香りを残せ」というフレーズ自体も同じ力を持っています。その力が、知見に遺伝性を与えるのです。

記憶の淘汰競争

私たちは、日々大量の情報に触れています。雑多な情報も多いですが、大切な情報も多いです。それらのすべてを脳は懸命に記憶などせず、せっせとガベージコレクションのようにメモリ整理をしていきます。忘れるものは忘れ、覚えるものは覚えるのです。つまり、情報=記憶は淘汰の環境にさらされています。

そのような環境にあって、印象に残りやすい・覚えやすい・口にしやすい、という特性は非常に強力です。淘汰を生き抜く力を有しています。

よく出てくる、10箇条などもその範疇でしょう。短くし、フォーマットを揃えることで覚えやすくする。あるいは、何度も暗唱することで、記憶に滑り込むようにさせる(単純接触効果)。

それに成功すれば、情報は知識として「外部」にあるのではなく、脳内にインストールされます。あるいは常駐メモリに配置されます。日常・業務において力を発揮するのは、そのような情報です。そういう情報があること自体思い出せなかった、といったものは、どれだけデジタル検索が高機能になっても、アクセスされることはありません。まず、自分の記憶にフックすることが大切なのです。

さいごに

知識は整理して見つけ出すくすることも大切です。しかし、その知識が知見として誰かに使われ、受け継がれていくようにするためには、淘汰の競争を生き延びさせなければなりません。キャッチコピーや慣用句といった力を持つフレーズに「翻訳」することは必須とすら言えるでしょう。

もちろん、そうした翻訳によって、細かいもろもろはぽろぽろとこぼれ落ちていくかもしれません。しかし、大切な8割がしっかり残れば十分でしょう。少なくとも、正確を追求するあまり、まったく覚えてもらえないよりは遙かにマシです。

Aimerの『RE:I AM』に「投げ捨てられる正しさなら 消える事ない間違いの方が良い」という歌詞がありますが、もちろん正しさ・間違いの二項対立にこだわらなければ、その中のグラデーションでぎりぎりのラインを攻めていけるはずです。でもって、その按配こそが、Scrapboxのタイトルをつけるときに考慮されていることでしょう。

「知見は慣用句に乗せて」というこの記事のタイトルだって、慣用句以外のもろもろはすべて捨象していますが、しかし、「知見はキャッチコピーや慣用句やその他力のあるフレーズを使うことで、淘汰競争を生き延びさせるべし」というタイトルなら、ぐっとインパクトは小さくなってしまうでしょう。でもって、そこまで定義にこだわったところで何か実りのあるものが出てくるわけではありません。単に「慣用句っぽいもの」であればそれでいいのですから、ここは捨象でOKでしょう。

だから「知見は慣用句に乗せて」なのです。

いかがでしょうか。あなたの記憶に滑り込んでくれればよいのですが。

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