0-知的生産の技術

Beと程度の問題

前回のリストを再掲する。

その1:行動管理(Do)
その2:情報整理(Is)
その3:日常維持(Be)

Be、つまり「いかにありたいか」は個々人で異なるし、異なるようになってきている点を前回は確認した。

これが意味する点は極めて大きい。

はざまのどこかに

たとえば、こんなことを考えてみよう。

まず、タスク管理なんてしなくても生きていくことはできる。実際、世界中を眺めれば、かっちりしたタスク管理を行っている人は少数はであろう。忙しい職場であっても、自己管理とは無縁で仕事をし、日常を送っている人はたくさんいる。

一方で、完璧完全に管理しようと思えば、あらゆるものを計測の対象にしなければならない。それは極端な手間の大きさと言える。

タスク管理は、基本的にこのグラデーション(あるいはスペクトラム)のどこかに位置を見つける行為である。

つまり、まったく管理などなくても生きている点をスタートにして、そこで何かしらの管理を行う手間と引き換えに、ある効果を得る行為である。得ようとする効果が大きく(ないしは広く)なるほど、必要な手間も大きくなる。よって、手間と効果のトレードオフが自分で納得いく地点こそが、その人の「タスク管理地点」である。

つまり、程度の問題なのだ。

完璧完全な管理でなければ意味がないし、だったら管理などしない方がいい、という考えはあまりに極端である。少なくとも「程度の問題」ではない(ある種の決断主義に似ている)。

実際、現実はもっと柔軟で、交渉的である。トレードオフの心地よいポイントを見極めることができる。

だからこそ、「いかにありたいか」が極めて重要だ。それがトレードオフのポイントを動かすからである。

方法を語るときは、ついつい実践者の意気込みが前に出すぎて「この通りにやらなければいけない」と謳われるが、それは一種のレトリックである。あるいは本当にその通りなら、その方法は他の人にはまったく役立たないものである。どちらにせよ、そのまま受ける必要はない。

自己啓発

自己啓発としたライフハック(かつては仕事術がそうだった)は、この点でトラップを抱えている。自己啓発が示すものが、「Be」の定義だからだ。

「このようにありなさい」とそれらの本は言う。そうすれば、あなたは成功するのだと言葉巧みに誘い込む。「Be」が不安定な人たちはそれを吸収し、物と方法をそのBeに沿わせるようになる。

一見完璧だ。BeとDoとIsは完璧に調和している。技術と物もばっちり揃っている。身体を除いては。

理想の「あなたらしさ」

自己啓発的な「あなたらしさ」(ないし「ありのまま」性)の発揮は、常に善きもの(幸福)へと繋がっている。まるで工場で大量生産されているマネキンのように、そこにはきらびやかな美男美女の善人が描かれている。

本当にそうなのだろうか。

「あなたらしさ」を発揮した人間は、人をいじめることもせず、嫌みもいわず、エロ動画を漁ることも、他人のうわさ話に聞き耳を立てることも、テレビに文句を言うことも、レジの店員さんをどなりつけることもしないのだろうか。

『人を動かす』を表したD・カーネギーは、そういう風には人間を捉えていなかった。彼は、人と調和して生きていくためには、意識的な努力と技術が必要だと考えた。決して「あなたらしい=ありのまま」のままで接することを推したのではなかった。

この点は、「自然な自分」「あなたらしい自分」を目標とする人たちが、ときにひどく攻撃的な(ないしは批判的な)態度をとることからも補強できる。そりゃそうである。人間に備わった性質は、別に人類の調和に最適化されているわけではない。あるグループを優先すれば、別のグループは優先されなくなる。生物界を眺めればごくナチュラルな結果だとわかる。

二つの帰結

よって、二つのことが考えられる。

一つは、自己啓発の文脈に取り込まれたライフハックが「Be」を提示し、それが薬が受容体に吸い付いて本来とは違った働きを促すように、その人の「Be」との邂逅を妨げてしまう。自分の「Be」ついて考え、ときに書き換えていく作業を抑制してしまう。

もう一つは、そうした提示される「Be」の否定として、「Be」そのものへの否定が起こり、単に野放図な生き方を肯定してしまう。

たしかにそれで本人は満足かもしれない。そして、「自分が満足していること以上に何が大切なものがあるのか?」という閉じこもった世界観を導いてしまう。つまり、周りの人間の迷惑など「一つも」考える必要はない、などという価値観を醸成してしまう。

そう。ここでも程度の問題なのである。

周りの人間の迷惑ばかり考えていたら、何も「自分らしい」行動はできない。かといって、それを「一つも」考える必要はない、というのは行きすぎなのである。というか、単にややこしいことを考える、という行為から逃避しているだけなのである。つまりは決断主義だ。

すべては、自分が楽で、満足している目的のために調整されている。その内側には完璧な世界が広がっている。内側には。

さいごに

このようなことがなぜ起こるのかといえば、自己管理とは「自分が自分を管理すること」という再帰性を持っているからだ。

ライフハックを「管理」の視点から眺めるなら、この点をしっかり検討する必要があるだろう。

(つづく)

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