0-知的生産の技術

階層を上って考えること

うちあわせCastで「残業」をテーマに話をしました。

第五十一回:Tak.さんと効率化と残業について by うちあわせCast • A podcast on Anchor

話の中で出てきた概念を整理すると、一口に残業といっても原因となるものがいくつかあって、

・非効率性による残業
・中間にある残業
・構造的問題による残業

のような捉え方ができるのではないか、というのが出発点となりました。

非効率性による残業とは、エクセルのマクロをつかえば1分で終わる作業を手作業でやっているから45分もかかってしまっているので定時に帰られないような残業です。「仕事術」や「ライフハック」のテクニックが活躍するのがこの領域で、マスプロダクトとして(つまり一般性・汎用性のもとで)言及できるのは、たいていこの領域です。

この領域は、基本的に個人の頑張りでなんとかなります。あるいは個人が頑張らない限り状況は変わりません。いわゆる自己啓発です。

一方で、そうではない残業もあるのではないか、というのが今回のTak.さんからの問題提起でした。

たとえば業界の慣例として、ある時期仕事過多になることが決まっているならば、個人の努力レベルで改善することは不可能です。もちろん、多少は効率性向上によって仕事が早くできるようになるでしょうが、全体が大きすぎればどうしようもありません。

たとえば、決算期の経理の作業は、その手の話になるでしょう。『ワークマン式「しない経営』では、業界的に一般で「巻き」で行われる決算発表を、むしろ規定のギリギリの日まで遅らせたら残業がなくなった、というエピソードが語られていますが、言い換えればそのような全社的な決定がない限り、残業は消えなかったわけです。

こうした問題については、個人が頑張るのではなく、組織や業界全体にアプローチするしかありません。私が考える自己啓発が抱える一番大きな問題は──悪徳なセミナーにあるのではなく──、こうした個人を超えた領域に「問題」を設定しえないことです。それは、組織や社会で生きていくにはあまりに狭い視野と言わざるを得ません。

もちろん、アプローチしたからといってそれが解決するとは限りません。むしろ「抵抗勢力」として鼻をつままれる可能性すらあります。その場合は、「そういうものだ」と受け入れてつきあうか、さっさとその場所から去るのがメンタル的には良い決定になるでしょう。

どちらにせよ、そういう大きな構造化にある問題を、個人の頑張りで解決しようと思うことは極めて危険です。なにせ絶対に解決できないのですから。メンタルがやられます。

ただし、こうした問題ははっきり大きい問題とわかるのでその意味では切り分けしやすいでしょう。厄介なのは中間的な問題です。

たとえば、会社のマネジメント教育が不十分であり、上司のマネジメント力がなく、仕事のアサインや重要度の決定が破綻しているとき、その下で働く人は極めて忙しくなります。その忙しさは、個々人の非効率性で起きているわけではありませんが、一つひとつの仕事を速くしていけば、たしかにタスクの消化率は上がるでしょう。

しかしながら、お風呂で言えば蛇口がしまっていない状況なので、こなせばこなすほど新しいタスクが割り振られてきます。「あいつは仕事ができるから」と依頼されることが増えるのです。あるいは、当人の責任感の強さから、片づいていない仕事を「自主的」に引き取るようになってくることもあります。こういう労働者は、(無能な)上司からしたら極めて有り難い存在ですが、もちろん当人はしんどさを抱えています。ときに無自覚に抱えています。

それがどのようなことであれ、タスクは片づけると達成感が得られますし、頼られれば誰だって嬉しいものです。「やる気」が出てきます。そうして、いつか自分の限界の線を超えてしまうのです。

限界の線は、強制的に背中を押されて超えるだけではありません。ときに、いやいやでありながらも自覚的に歩んでそれを超えることがあるのです。だからこそ、注意が必要です。

階層を上がることで見えてくるもの

原稿の話をしましょう。

先日書籍化してまとめようと思っている原稿を読んでいました。全体的にうまく書けてはいるのですが、どうにもしっくりきません。ただ、何がしっくりこない理由なのかはわかりません。「こうじゃないだろうけども、だったらどうしたらいいのかはわからない」という状況だったのです。

あるとき、ふと思いついて、階層を一つ削ってみました。それまで3段階あった見出しを、半ば無理やり2段階にしたのです。すると、問題が浮き上がってきました。その他の章は綺麗に階層を揃えられたのに、一つの章だけがどうしてもうまくいかなかったのです。

つまり、他の章とその章では、文章の構造が違っていたのです。文章における見出し(階層)は、絶対にそれが必要なものと、あくまで読みやすさのために設置されるものがあります。段落にならっていえば、意味見出しと形式見出しと言えるでしょうか。

しかし、文章を読んでいるときは、意識は文レベル(一番下の階層)に向いているので、構造的な違いがあることには気がつきませんでした。それこそ、アウトラインを操作するという状況、つまり文レベルを一つ離れた視点に立ったことで、はじめてそれに気がつけたのです。

レベルの移動

アインシュタインが言ったと言われている(しかし、たぶんそうではない)言葉に、以下のようなものがあります。

「今日我々の直面する重要な問題は、その問題をつくったときと同じ考えのレベルで解決することはできない」

この「レベル」を、私たちはアウトラインの階層として具体的にイメージすることができます。具体のレベルから一つ上に上がるのです。

具体的には、やるべきことが目の前に突きつけられたときに、「本当にこれってする必要があるか?」と考えるのです。なぜそれをする必要があるのか、そもそもその目的は本当に有用なのか、自分以外の人間がやればいいのではないか、アウトソースが可能ではないか、半分の量でいいのではないか。階層を一つあがれば、これくらい考えることが出てきます。

なにが正解なのかはわかりません。考えて答えが出てくるかも不明です。しかし、少なくとも「そのタスクは絶対にやらなければならないもの」という考え方からは脱却できています。それが階層を一つ上がるということであり、構造を変えるために必要なマインドセットです。

言い換えれば、「そもそも、それは何か?」と考えることであり、原理的思考・分析思考、あるいは哲学で用いられる考え方だと言えるでしょう。

これは、既存の会社組織では、ほとんど不敬とも言える考えです。だって、上司の命令は絶対なのですから。

しかし、上司だって人間なわけで、間違えることはあります。不要な指示、無用な指示を出すこともあります。仕事が多すぎて慣例主義で進めてしまい、形骸化しているものをただハンコを捺すだけになっているかもしれません。

だから、ときに「なぜ」や「ノー」を考えることが必要です。少なくとも、その会社(あるいは上司)と一蓮托生で一生付き合っていく覚悟がないなら、そういう思考を持つことは極めて大切です。

思考する力と技術

とは言え、そうした思考は疲れます。少なくとも、狩猟生活をしていた人類ではあまり重視されなかった脳の使い方でしょう。よって、訓練が必要です。筋トレと同じように、思考の筋力を鍛えることで、はじめてそういう思考が無理なく発揮できるようになります。

哲学というものが、役立つのはそういう場面でしょう。というか、哲学は、既存の組織では「役立たない」(鼻をつままれる)からこそ、役に立つ側面があります。

根本的に、原理的に、分析的に、知恵を使って考えること。

状況を変えるためには、つまり一つ上の階層に上って全体の構造を変えるためには、そうした思考法が必要です。言い換えれば、アウトライナーというツールは、そういう思考の粒度・視点の高度の差を、視覚的に見せてくれるツールだと言えるでしょう。

「考える」という行為は、アウトラインを掘り下げていく行為であり、アウトラインを上っていく行為でもあります。一方で、実行するとは、同じ高さのアウトラインを粛々とこなしていくことです。これまでの日本(の組織)では、後者の能力が高い人間が評価されていましたし、今だってそうでしょう。

しかし、そうした評価だけで食べていけるのか、そして心と体の安全が保てるかは、現状では極めて微妙になっています(オブラートに包みました)。だからこそ、別の高さで考える技術を身に付けたいものです。

そのために自分が提供できるコンテンツは何なのか。最近はそればかりを考えています。

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