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清貧であるのはよいとしても

足を進めるのは意志かもしれないが、顔を前に向けるのは希望だと思う話 – 独学同好会通信(旧:日記同好会)

なんとなく懐かしい感じがします。

昔は誰かが記事を書いたら、その記事に言及しながら(つまり引用しながら)自分なりの考えを語ってみる記事がいくつも生まれたものです。いわゆるトラックバックがその行為を支えていたのでしょうが、どうにも最近はそうしたやりとりを見かけなくなりました。

いわゆる「新しいブログ」では、そうした行為は不要なばかりか、有害ですらあるのでしょう。自身のPVを、あるいはアフィリエイトを獲得するには、他の人のブログなど紹介している場合ではありません。非常に合理的な判断です。

一方で、一昔前のそうしたやりとりは、たしかに楽しいものでありました。それがブログを続ける動機になっていたかはさておき、楽しみをプラスする要素であったことは間違いないでしょう。

一つの帰結として、つまり一週目の終わりと二週目の準備を前にして、この点について考えたいと思います。

立派な心がけ

私たちは忌み嫌っていました。人を囲い込み、いつわりの成功を煽りながら高揚感だけで金銭をドライブしていく「ビジネスモデル」をです。

きっと、高貴な思いを抱くブロガー各位は、「決してそんなところには近寄るまい」と決意したことでしょう。だから、ブログをすることに、効果を謳わなかったはずです。儲けるため、成功するためにブログをかくのではない、と。

立派なことだったと思いますし、倫理的に正しいことだったとも思います。

一方で、その高貴な思いは必要以上に削りすぎてしまったのかもしれません。ブログにまつわる、雑多な楽しみを。

人が集まる場所

「やりとり」は、確実にコミュニケーションの一環です。やりとりを経て、私たちはつながりを生み出したのです。

たとえ表面的にグループを形成していなくても、実際はたしかにつながりを持っていたのでした。Facebookでグループを作り、セミナーで会ったら挨拶したり、ちょっと雑談したりといった関係性を構築していたのです。それが楽しさの一つでなかったと言い切れるでしょうか。私は難しいと思います。

ストイックなブログの在り方はもちろん良いものです。でも、それが孤独であることを要求するのならば、あまりにそれは厳しい道のりになりますし、しかも現実的ですらありません。

ここで私は思うのです。ある「ブログ」にまつわる(しかし私たちが気に入らない)界隈がワイワイ盛り上がっているとして、もう一方でストイックなブログの在り方が提唱されていて、いったい人はどちらに集まるだろうか、と。

これはとても大切な問題です。

別の仕方で

実は実利ではなかったのかもしれません。謳われていた「実利」は、飲み会の口実のようなものであって、実際は「やりとり」とそこから形成される「つながり」こそが人を呼び寄せていたのかもしれません。

だとしたら、私たちは実利を謳うような方針転換をすることなく、しかし違った道のりを、つまり二週目を始めることができるはずです。

なにもワイワイ盛り上がる必要はありません。パリピになることだけが「やりとり」の方法ではないはずです。

ともかく、私たちは「楽しさ」という当たり前のものを取り戻していく必要があるでしょう。今人気の職業がYouTuberらしいですが、おそらくそれは手軽に儲けられるとか有名人になれるとかそういった理由の背景に、彼らがすごく楽しそうに仕事をしている点が影響しているのではないでしょうか。これも先ほどと同じです。「いや、ぜんぜん楽しくないですから」みたいな場所に人が集まることはありません。それがどのような楽しみであっても(つまり歪みを持っていても)、楽しみがあるからこそ人はそこに足を運ぶのです。

具体的に何をどうすればいいかはこれから考えるとして、子どもに勉強して欲しかったらまず親が勉強する姿を見せようというアドバイスと同じように、私たちは自分の欲する仕方でその対象を関わっていくことで、それを広めていくことが健全な関係となるでしょう。

僕たちは長く続けていくうちに、口先では「なんでもいい」と言いながら、「あれもダメ、これもダメ」などと断罪しすぎていたのかもしれません。清貧であるのはよいとしても、それを他人に押し付けようとしたらそれはもう破綻します。

だからもう一度スタートを切り直しましょう。「立派さ」はさておいて、楽しいことを書いていくのです。あるいはブログを愉しむのです。何をすれば楽しくないのかは、一週目でさまざまに経験したでしょうから、その判断はきっとやりやすいかと思います。

皆さんは、どのように考えられるでしょうか。

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