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かつてアルファブロガーは言った。「ブログは楽しかった」と。

finalventさんの『考える生き方』にこんな記述がある。

 ブログを書いて何か達成できるとは思わなかった。ブログで一発当ててやるみたいな思いもなかった。が、ちょっと楽しい感じはしたし、楽しい感じがしているときは、自分に合った方向に進んでいるんじゃないかという感覚はあった。

 気がつくとブログを10年近く書いていた。それで何か得られたかというと、ないと思う。大した意味はなかったが、総じて楽しかった。からっぽな人生なりに生きてきたんだなという感慨はあった。

「大して意味はなかったが、総じて楽しかった」。得られたものはなく、大した意味も感じられなかったが、楽しくはあった。そこにある楽しさとはいったい何だったのだろうか。

たぶん、それは以下の記述と関係しているように思う。

つまり、自分は無名人である。これといって特徴もない無名人だ。
無名人である理由は、社会的に成功しなかったからだ。
そんな人でもブログは自由に書けるから書いてきた。

ブログは自由に書けるメディアだ。書くために有名人である必要はない。有名人を目指す必要もない。自分の裁量で、自分の判断で、自分の決定で何を書くのか、どう書くのかを決められる。もちろん、そこには責任が伴うわけだが、だからこその面白さがある。

そうした自由さと面白さは、案外ネット以外の社会には見出せないものだ。特に日本社会ではそうかもしれない。社会と私たちを接続するインターフェースはさまざまなしがらみと前例に縛られており、個人の自由さを発揮する場所とは言い難い。その意味で、インターネットとはオルタナティブなメディアであり、場所であった。リアルに「居場所」がない人たちが、自分なりの場所を見つけるための亜現実であった。

それが今はどうだろうか。

どうやらブログは何かを為すための「手段」であるらしい。人を多く集め、お金を生まないと「意味がない」らしい。収益化が目的で、記事はそのための素材であるようだ。そのためのメソッドも拡充しており、皆がそのメソッドを学び、そのメソッドに沿ってコンテンツを日々量産している。

一体全体、自分の裁量はどこにあるのだろうか。亜現実としてのオルタナティブはどこにいったのだろうか。

もはや現実社会で進行中の資本主義レースがインターネットでも大々的に展開中である。自由さよりも(成功法という名の)規律が重視され、オルタナティブよりもメインストリームが目指されている。テレビがネットの動画を紹介し、動画がバラエティーと同じようなことをやらかしはじめたとき、オルタナティブ性は完全に失われ、合わせ鏡が生まれてしまった。片方で行き場がなかった人は、もう片方でもやっぱり行き場がなくなりつつある。

そうした人たちにとっての、楽しさはどこにあるのであろうか。

スケールは目指さない

東浩紀さんの『ゲンロン戦記』では、新しい動画プラットフォーム「シラス」はスケールを目指していないと語られている。それは別のルールでゲームを行うことだと私は感じる。オルタナティブだ。

問題は「資本の蓄積」です。いまのことばでいえば「スケール」です。お金の蓄積が自己目的化し、数に人間が振り回されるようになったときに、社会と文化は壊れていくのです。

ある目的が自己目的化するとき、人の活動はその目的の手段に成り下がり、没頭するような楽しさは失われてしまう。当然、さまざまなことを──失敗込みで──チャレンジしていく楽しさも同様だ。

オルタナティブであり、楽しさを維持するためには、スケールは決して近寄ってはいけない目標なのであろう。実際、そのような目標を目指したところから、独特の存在感が失われ、低コストでコンテンツを量産する「どこにでもあるメディア」へと変質していったものたちは少なくない。全国チェーンのファストフード。

もちろん、スケールを目指すことが楽しい人は、その行為にあっても楽しさは失われないだろう。でも、そうでない人にとって、それは単なる苦痛であり、修業であり、我慢ならない体験を強要するものとなる。その結果として「成功」が手に入れられたのならばよいのだが、楽しさが一つもないところで大きな成果が得られるとはとても想像できない。無論、運によっては可能性はゼロではないが、そこにコインをすべてベッドするのはかなり危険だろう。

なお楽しさを見出すこと

ブログに楽しさを取り戻していくために、最初に意識したいのはこの点である。「この門をくぐるものは、一切の成功への希望を捨てよ」。それが楽しむための秘訣である。少なくとも、メインストリームになりかわるような希望を持てば、やがては絶望に追い込まれ、そのエネルギーはどこかの誰かに食い物にされてしまうだろう。

オルタナティブな在り方は、いつまでたってもメインストリームになれない在り方である。それを受け入れてなお、そこにある楽しさを見出すこと。

それがブログを書いていくことであって欲しい。他の目的を持つ人たちが軒並み脱落した今だからこそ、改めてその点を強調しておきたい。

▼参考文献:

『考える生き方』

『ゲンロン戦記』

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