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来るべきライフハックと楽化主義

LifeHackの嚆矢は、IT業界の仕事術であり、「いかに作業を簡便かつ効率良く行うかを主眼としたテクニック群」である(参照)。

出発点となった業界のコンテキストが効いているのか、HackはHackingがイメージされ。コンピューター的な、改造や不法侵入すらも匂わせる言葉になった。しかし、Hackには「うまくやり抜く、やり遂げる」という素直な意味がある。「人生をうまくやり遂げるための方法」。このように捉えれば、LifeHackがGTDと高い親和性を持っていたことも頷ける。

しかし、LifeHackは日本に輸入され、ライフハックとなった。そして、他の和製化された概念と同じで、その意味は変質してしまった。日本の得意技である。

では、その「ライフハック」とは何だったのだろうか。

ライフハックがLifeHackとは異なりつつも、しかし重なり合う点を持つと前提すれば、LifeHackという言葉にそのヒントがあるはずだ。よって、もう一度確認しよう。「いかに作業を簡便かつ効率良く行うかを主眼としたテクニック群」

一体なぜ、LifeHackerたちは効率化を求めたのだろうか。「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽して、もっと効率良く」を欲したのだろか。私は先回りしてここにある「もっと」という言葉に注意を向けたいのだが、とりあえずは目的の探究に戻るとしよう。彼らは効率化の先に何を欲していたのだろうか。

きっと、「よりたくさんの作業を達成すること」だろう。熱狂的なプログラマーや、石にすらかじりつく勢いのスタートアップ企業であれば、珍しくないはなしだ。同じ時間でたくさんの作業をこなせるようになること。生産性を高めること。それが、Lifehackの目的だろう。

では、なぜそれを求めるのだろうか。お金のため? それもあるだろう。 社会的成功のため? 否定はできない。

しかし、突き詰めれば、その最終的な目的は「それが楽しいから」ではないだろうか。

プログラマーはプログラムすることが楽しくてしかたがない。だから、もっとプログラミングに時間を使うために効率化を行う。あまりにもナチュラルにイメージできてしまうシチュエーションだ。そこには強制めいたものは何もなく、しかし享楽という自分でもままならないもののために行為が行われている。

私はライフハックというものを、その地点から再開したいと思う。つまり、効率化のためのテクニック集ではなく、楽しむためのテクニック集と捉え直すのだ。

私がやろうとしているのは、正統な系譜には位置づけられないのかもしれない。専門家が見れば「異端」だと糾弾されるのかもしれない。でも、私はあえてその系譜を「読み替えて」みたいと思う。

効率化? 結構、結構。でも、それが楽しければ、という条件がつく。

効率化の結果によって、楽しさが増えたり、あるいは効率化することそのものが楽しかったりすれば、それすなわちライフハックである。more Enjoy,with Enjoy.

一方効率化しても楽しさが増えなかったり(むしろ減ることすらある)、その道中が苦痛で満ちているなら、それはライフハックとは言えない。

ではなぜ「楽しい」を増やす、あるいは楽しむことがライフハックになるのか。それはこの世界がままならず、人間に幸福を与えるために整備されているわけでもなく、私たちはプラスと同量のマイナスを過大評価してしまうからだ。自己の領土化を進めたい意識主体にとって、この世界は苦痛で満ちた存在である。この世は地獄というわけだ。

そのような認識からスタートしてなお、ニヒリズムに陥ることなく、勇気を持ってこの世界に「楽しさ」を見出していくこと。そのような行為は、まさしく生きること=人生そのものに関与している。すなわちライフハックである。

そんな新しいライフハックは、ライフハック2.0と呼んでもよいかもしれないし、あるいはいくら数字を付けたところで、「本質的に別物だ」と糾弾されるかもしれない。しかし、たとえそうであってもシン・ライフハック(ライフハック2.0)は、まったく新しく船出するわけではなく、これまでのライフハックを(ときに愚直なほどに)引き継ぐことになるだろう。

ただしその最上位概念に「効率化」を置くのではなく「楽しさ」を置く、という点だけが変わってくる。そして、あらゆる組織構造がそうであるように、トップのものが変わればその下位構造も必然的に変容が生まれる。配置転換や、新部署の設立もあろう。既存の要素が新たな形で仕立て直されていく。

それが来るべきライフハックである。

そのようなライフハックは、体系だった説明よりもまず先に、軸となるものが必要だろう。というよりも、効率化や生産性は均一的な指標で測定可能だが、「楽しさ」は定量化を拒む属人的な要素である。よって、体系だった説明はほとんど不可能とすら言える(私たちの生き方が体系だって説明しえないのと同じように)。

むしろそれは、雑多な辞書のような、あるいは聖書のような、どこかを読んで何かしらを学び、自分の人生に(つまりライフハックに)活かしていける形の提示の仕方が良いのではないかと思う。たいていの「幸福論」が断章形式で書かれているのも、この点に関係しているのだろう。

もしこの来るべきライフハックが、「ライフハックなどではない」と断罪されてしまうなら、私はこれを「楽化主義」と呼ぶことにする。楽しくすることを是とする、新しい思想である。

人生は楽しくて当たり前でもないし、他者が楽しさを与えてくれることも当然ではない。

「楽しむ」や「楽しい」に注目し、その価値を言祝いでいくこと。それが楽化主義である。

これから私はこのブログにおいて、来るべきライフハック=楽化主義について考えていく。皆様の人生の楽化に少しでも役立つことができれば幸いです。

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