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中間管理職としての「私」の量子性

あなたは誰だろうか。むろん「hogehogeです」という名前をもって返答があるだろう。こうした固有の名前でなくても、そうして返答する存在は、デカルトが基盤とした意識や自己といったものに近しいことは容易に推測がつくる。「私はhogehogeです」と答えている主体が、そこにいるのだ。

その主体は、認識世界における神である。神というよりも、始祖が近いだろうか。その主体があるからこそ、その世界(認識)が立ち上がる。主体が消えれば、世界も消える。その意味で、その主体=意識こそが「世界そのもの」であるのだが、それはさておくにしても、私たちの「感じ」では、そうした主体がmasterであることはほとんど前提であるように思える。

つまり、「私」の手であり、「私」の足であり、「私」の体であり、「私」の脳である、という感覚は恣意的に挟み込まない限りは、異論は生まれない。むしろ、そのような感覚的統合感こそが「私」という機能だとも言える。

一方で、その「私」(という感覚)は間違いなく脳の産物であり、「意識」という全体から見たときに前意識に位置するだけの限定的な存在でもある。ようするに、主従で言えば、従なのである。

「私」(という感覚)は、私的存在に従事している。

完全に物理的な観点を取れば(自由意志を棄却するあれだ)、上記の論はほとんど疑いないように思える。しかし、その論は最初の「私」のmaster感覚とは相容れない。その齟齬が、いろいろやっかいな問題を引き起こす。

「私」が、自分の脳の機能について文句を言うとき、それはどちらの方がより近しいだろうか。

・未熟な部下を持つ上司の気持ち
・無能な上司を持つ部下の気持ち

「私」がmasterであれば、それは前者が近しいだろう。一方で、「私」が従者であるならば後者が近しいだろう。

このどちらが正しいのか(≒真理であるのか)は、判定が下せない。少なくとも、求められる客観性を保持した真理はそこにはない。自由意志と決定論が、基本的にお互いを否定するのと同じである。片方をとれば、必ずもう片方は棄却されるのである。

一方で、これはどちらも間違っているわけでもない。ニュートン力学と量子力学のどちらも間違っているわけではない、というのと同じだ。選択される視点の位置によって、その見え方が変わっているに過ぎない(富士山は三角形か丸系か、という問題について考えてみると良い)。

よって、行為者・主体としての「私」と、一つの物理的な肉体から生じているであろう意識としての「私」は、同じ存在でありながら、視点の違いによって引き裂かれることがありうる。そして、その問題を解決する方法は根本的にはない。「絶対に視点を動かさず、他の視点など認めない」という孤立的スタンスをとらない限り、齟齬は必ず生まれてくる。

だから、その齟齬を受け入れることだ。

「私」が、自己存在のmasterである、という感覚をむやみに消さなくてもよい。私の感じだと、その感覚は(強すぎなければ)健全な感覚である。一方で、その「私」は、自己存在の支配者ではない(すべてを支配できる力を持っているわけではない)こともまた、どこかに書き置きしておくべきだろう。

なぜかと言えば、自己啓発=自己管理(セルフマネジメント)=ライフハックは、このmasterの権力拡大を意図するものであり、それは何も抑制がなければ、必ず行きすぎる(強くなりすぎる)からだ。自己存在が「私」の思い通りにならないことを嘆いてしまう。そのような状態は間違いであり、失敗であり、正すべきものであると感じてしまう。

そのような感覚は、メフィストフェレスの誘惑を容易に引き寄せるだろう。あるいは、あらゆるテクノロジーによる「自己の支配」を正当化するだろう。その結果として、私たちは自己を喪失させることになる。

完璧な自己管理が行き届いた状態とは、自己が消失した状態なのである。そうした状態は、SFの題材としては興味深いだろうが、おそらく伊藤計劃はそうした世界を描いた上で、その世界を超克する物語を描こうとしていたに違いない。私はそのように感じているし、もし可能であるならば、そうした物語を読みたいと思う。

慌てて付け加えるが、本稿はSFの批評でもないし、同様に社会批判でもない。自己啓発への攻撃でもないし、もちろん自己啓発への誘いでもない。ライフハックの話なのだ。

ライフハックを行う「私」の立ち位置を確認しておくこと。これが本稿の目的である。それは、ここまで辿ってきたように、簡単に割り切れるものではない。というか、簡単に割り切ってしまうと、その割り切り方に合わせて形状が変化してしまうものである。

だから、「私」は中間管理職でよい。未熟な部下を持ちながら、しかし無能な上司も持つという悲しい中間管理職で良いのだ。そのときどきにおいて、自己主体=人生に意志を反映させながら、それが暴走することを防ぐ網を張っておくこと。

おそらくその施策こそが、もっとも基礎的で、一番大切なライフハックかもしれない。

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