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日付の情報を扱うノート

そのツールは、あれですよね

〈今日のノート〉で扱えるのは、今日の情報だけです。よって、今日を越える情報を扱うには別のノートが必要であると確認しました。

さて、もし「今日を越える情報」の多くが日付を含む情報である場合は、どのような方法が良いでしょうか。前回確認した三つの方法のうち、次の二つに注目します。

「二日後の〈今日のノート〉を先に作ってしまう」
「独立した別のノートを作る」

これをミックスすると、日付の情報だけを扱う〈今日のノート〉とは別のノートで、そのノートは365日分の情報が入力可能であるものを作る、という要件が見えてきます。365日分の情報を入力できる欄を先に作っておくならば、〈今日のノート〉に書いたもののうち、特定の日付に紐付けて管理したいものはそこに書き込んでおけば、しっくりと収まるでしょう。

つまり、「4月24日に思い出したい情報がある」→「4月24日の〈今日のノート〉に先に書き込んでしまう」ということが行われるにして、それを任意の日付でもれなく実行可能にするには、356日分の入力欄を作っておけばよく、それを〈今日のノート〉とは別のノートで行えば、わざわざ365日分の〈今日のノート〉を作るなどといった大げさなことはしなくて言い、ということです。

幸いなことに、私たちの文明は今ゼロ地点にいるわけではないので、上記のようなことをサポートしてくれるツールは、実はもう存在しています。そうです。カレンダーがそれです。

もし、特定の日付に絡めて思い出したい情報があるならば、カレンダーが〈自分のシステム〉を構成する一つのパーツとなりえます。

情報の流れをベースにする

このことは、いくつかの意味合いを含んでいます。

まず一つは、カレンダーは必須のものではない、ということです。もし、先送りなど一切行わず、特定の日付に絡めた情報を思い出したいと思うようなことがまったくない生活を送っているならば、カレンダーは必要ではありません。また、そうした情報がごく少量の場合でも、ノートの裏とか、小さなページに書き込んでおけば事足ります。そうした判断は、自らが作り上げる〈自分のシステム〉の要請によって行われるでしょう。その感覚が、まず大切です。

次に、この見方をすると、カレンダーもまたノートの一種である、ということになります。今日の情報を扱う〈今日のノート〉があり、そこでは扱いきれない情報を扱うための別のノート(カレンダー)があり、という構図です。この構図に立てば、二つはバラバラに独立しているわけではないことにも気がつけます。いわば、ツールの中に情報の流れが想定できるのです。

〈今日のノート〉に書いて、日を越えて残したいものはカレンダーに転記しておく。そのような情報の流れをイメージすることは、今後〈自分のシステム〉を拡張していく上で必須なものとなります。そのような情報の流れがイメージされている限りにおいて、「不要なツールがどんどん追加されること」が避けられるからです。

〈自分のシステム〉を拡張していく上では、「必要に応じてツールを追加する」ことが重要になりますが、問題はその「必要さ」をいかにして感得するかです。そのツールを必至にアピールしている人の話を聞いて、感得してしまったら、いかにもそのツールが必要であると感じられるでしょう。しかしその感覚は、〈自分のシステム〉由来のものではありません。そのようにして導入されたツールは、情報の流れが定まっておらず、あるべき居場所を見つけられなくなるものです。

だからこそ、まず〈今日のノート〉から始めるのです。そのノートで足りないものを感じたときに、新しいノート(ツール)を付け足していく。その工程を辿る限り、「ツール肥満」になることは避けられるでしょう。本レッスンでは、そうした道程を進んでいきたいと思います。

カレンダーは必要か、という問い

ともかく、「日付」がからむ情報を扱う上で「カレンダー」というノートが選択肢に上がりました。先ほども述べたように、カレンダーは必須なものではありません。必要であれば使う、という任意性を帯びているものです。

極端なことを言えば、以下のような書き込みをしておけば、それで事足りるという状況もあります。

4月23日 hoge
4月25日 hoge2
4月30日 hoge3

だったら、無理にカレンダーを使う必要はないでしょう。

もちろん、「カレンダーを使いましょう」と言った方が教える方は楽です。個々の環境的違いに配慮して、細かいことを言い始めればキリがありませんし、時間もかかります。でも、以下の記事で書いたことを、あらためてここで再掲しておきます。

『闇の自己啓発』(江永泉、木澤佐登志、ひでシス、役所暁) – Honkure

江永が指摘するように、「教育を低労力で達成するため」にはそのような構造は避けがたく要請される。

(中略)

その世界線の到来を回避するには、一つの条件、つまり「教育を低労力で達成する」ことを放棄しなければならない。スムーズに、スマートにやるのではなく、泥臭く、時間をかけて行うしかない。いかにしてか。読書会によってである。

答えは「読書会」に留まらないでしょう。本レッスンのように時間をかけて、細かいことをイチから確認し、読んでいる人にも手を動かしてもらったり、一緒に考えてもらうことで、それぞれの人が〈自分のシステム〉を作っていけるようになる、何かしらのメディア形式はありうるはずです。少なくとも、私はそう考えています。

だから、一緒に考えてみてください。

「〈自分のシステム〉に、はたしてカレンダーは必要だろうか。そのカレンダーへの情報の流れはどのようになっているか」

面倒でしょうが、そのように考えることでしか、〈自分のシステム〉は構築できません。その面倒さは避けて通ってはいけない面倒さなのです。だから、本連載で一緒に、ゆっくり考えていきましょう。

(次回につづく)

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