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〈自分のシステム〉に至る道

この連載では、かなり原始的なところからスタートしています。クールなノウハウやモダンなツールをベースにはせず、木の棒を回して火を起こすようなレベルの話からはじめています。そうしたボトムアップスタイルの方が、〈自分のシステム〉にたどり着きやすいのではないかと筆者が考えているからです。

Image from Gyazo

既存のノウハウやツールから話を起こしてしまうと、どうしても「それを実践している自分」という認識になりがちです。そういう認識が悪いわけではありませんが、「一つ上の階層」に上らない限りは、そのノウハウやツールの下位に位置づけられたままとなります。囚われる、という言い方をしてもいいでしょう。

一方で、原始的にスタートすると、既存の便利な手法は「使えるところは使う」という認識にシフトします。自分が従属するのではなく、手法を従属させるのです。あるいは「借り受ける」という言い方も良いでしょう。〈自分のシステム〉にプラグイン的に利用するのです。

プラグインなのですから、別のものを追加したり、バージョンアップしたり、ときにはいったん停止させたり、なんなら削除することもできます。そういう選択が可能であることが、自由──筆者にとってもっとも大切な概念の一つです──なのではないでしょうか。

もし「主体性を発揮する」という状態があるならば、このような状態を指すはずです。

逸脱を可能にする

自分の実践において、ある手法が「正しい手法であるかどうか」は別にどうでもいいはずです。自分がうまくいくかどうかこそが至上命題でしょう。だから、どんな手法を使っても「正解」でも「間違い」でもありません。

でもそれは、好き勝手に手法の定義を拡張してもいい、ということにはなりません。それとこれとは別の話です。その手法の提案者が、明確に線引きしてその定義を行っているなら、その範疇でその言葉を使うことが最低限の礼儀でしょう。

一方で、その手法の適用範囲を広げて、自分なりにアレンジしていくことはいくらでもできます。実践は自由です。しかし、その適用範囲を外れた瞬間に、もはやそれは正式のそれではなく、〜〜的なものになります。ちょっとした逸脱です。

それで別にいいのだ、という肯定がこの〈自分のシステム〉を作る、という連載で確認していきたいところです。

『How to Take Smart Notes』でも語られていますが、私たちは最初に目標を決め、それに向かって歩む道のりをセッティングすると、そこから外れることがいかにも失敗であるかのように感じられ、そこに抵抗感を覚えることが少なくありません。その話は、具体的なプロジェクトについて言及されているのですが、それはメタとして(あるいはフラクタルに)展開できるでしょう。

つまり、ある具体的な手法の獲得を目標に決め、それに向かって歩む道のりをセッティングしてしまうと、その道から外れることが、失敗や「うまくできていない」感覚だとして感じられるのです。逸脱しにくくなり、結果として〈自分のシステム〉は立ち上げにくくなります。それってちょっと不幸なことです。

自分の実践において、うまくいかなく感じるとき、もし「自分は正しい手法の通りにできていないからだ。もっとその通りにしなければ」と思うならば、上のような思考のフレームワークにはまってしまっています。少なくとも、そこにわずかでも「自分とこの手法は相性が悪いのかもしれない」という疑念が湧いてこないならば、かなり思考が固定されていることは間違いないでしょう。自由ではありません。

筆者はどんな手法もまるっとOKだと思います。〈自分のシステム〉を作るという感覚がある限りにおいて、それぞれの手法はきわめて有効に活用できます。一方、その手法やそれを伝える語りが、その手法の内側にその人を閉じこめようとするならば、それには断固として反対します。

たとえば、「それさえやれば、すべてうまくいく」という言説が、そうした囲い込みのよくある特徴の一つです。実際よくよく考えてみると、その手法ではどう考えてもうまくいかないことを、意識に上らせないような言説は、金槌バイアスを強化するだけです。自信をエンハンスするかわりに、すべての問題をその手法で解決できると信じ込んでしまうやっかいな現象を引き起こします。解像度の低い状態です。

そうしたものを解体してやろう、というのがこの連載の思惑です。

既存の語り口に叛逆する

これははっきり言って、かなり叛逆的な試みです。

とにかくこれまでのノウハウの伝達は、「これが正しいんですよ。これさえやっておけば大丈夫」という語り口で行われてきました。それは、情報の広範囲への伝達がマスメディアという均一的なメディア装置によって行われているという点と、教育の効率性が関係しているのでしょう。少なくとも、それぞれの人が自分なりの〈自分のシステム〉を作るための助言という形にはなっていません。そういう細かいカスタマイズは均一的・効率的な情報伝達にはそぐわないのです。

しかし、現在は2021年であり、インターネット全盛期です。いつまでその語り口を引き継いでいくのでしょうか。実現された効率化は、これまでの情報環境では到底無理だった個々に最適化された〈自分のシステム〉を作るための手間を掛けるためにこそ活用されるべきではないでしょうか。

もう一度言いますが、どの手法を使うのが「正解」みたいな議論には興味がありません。ぜんぜん生産的ではないからです。むしろ、〈自分のシステム〉作りのために、あらゆる手法を活用してやればいいのです。そのプロセスと、統合して得られる結果こそが、個々人にとっての「正解」となるでしょう。

そうして〈自分のシステム〉を確立した上で、他の人の〈自分のシステム〉を認めることができたら最高です。自分には〈自分のシステム〉があり、他の人には他の人なり〈自分のシステム〉がある。でもって、相手のシステムから、何か有効なものを引きだせればエクセレントです。

というか、公開されている多くの手法が(どれだけ一般化されていようとも)それぞれの提案者にとっての〈自分のシステム〉だと言えるわけで、その視点に立てば、あらゆる他者が学びの相手となります。そういうひらき方をしたいわけです。

でもって、そうした交流をするために、むしろ個々の用語の定義はしっかり固めておく必要があります。でないと、話が混乱しますからね。「ああ、あなたのこれは○○をアレンジして使っているんですね」という会話が可能になるのは、用語がある程度固まっている状態でしょう。少なくともいちいち「○○」の定義の違いについて議論し始めていたのでは、なかなか〈自分のシステム〉の話にはなりません。だからこそ、筆者は用語集の叩き台を作ったわけです。
*『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』(倉下忠憲,2019)

さいごに

ここは学校でもなんでもありません。ノートのとり方や、計算式の展開で×印をつけられることのない世界です。〈自分のシステム〉を確立すればいいのです。

既存の手法に自分を従属させるのではなく、〈自分のシステム〉を親項目にすること。

たぶんこれは勇気のいることです。だから皆それを避けようとするのかもしれません。でも、私は皆さんの〈自分のシステム〉の話がとても聴きたいのです。タスク管理においても、知的生産においても、それぞれの人が抱える欲望や情動や弱点や苦しみや楽しみと付き合っていく上で生み出された工夫の話が聞きたいのです。

だから、ぜひ「自分はこういうやり方をしているぞ」というお話があれば、記事を書いてお知らせください。具体的に困っている問題も、もしかしたら共有知・集合知で解決できるかもしれません。

そういう知の営みが、インターネットで可能になった、私たちの新たな可能性でしょう。


★起点となった記事:

GTD的 – タスク管理のScrapbox

うちあわせCast第六十七回感想 – のらてつ研究所

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