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立花隆さんの死去に想う

立花隆さんの訃報を耳にした(参照)。ジャーナリストとして数々の仕事をなされてきた彼だが、私にとっては本のために家を建てた人であり、『「知」のソフトウェア』の著者でもある。特に後者の本は、私の知的生活に大きな影響を与えてくれた。ご冥福をお祈りしたい。

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「文章を書く」という行為において事前にアウトラインを作って、その通りに書くということが致命的に嫌いだった私(参照)にとって、著名な著作者が同じように感じ、また実践しているのだと知って嬉しくなった。だから、私にとって『「知」のソフトウェア』は、師匠のようなものであると共に同好の士でもあった。少なくとも、「そういう風に書いてもいいのだ」という指針をかなり早い段階で得られたのは良かったと思う。そうでなければ、自分に合わない方法に流されていた可能性が高い。それはやっぱりちょっと辛いことである。

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『「知」のソフトウェア』では、事前のアウトラインを作ることはしないが、しかしすべてを行き当たりばったりに任せることもしない。そんなやり方でまとまった原稿ができあがると信じるのは、部屋を散らかしておけば偶然すべてのものが適切な場所に収まるだろうと信じるのに似た愚かしさがある。

立花さんは、事前のアウトラインは作らないが、その代わり事前に徹底的に資料を読み込み、それらをまとめるための「メモ」を作る。しかも、できるだけ端的にそれをまとめようとする。たとえば一枚の用紙に収まるようにまとめる。もちろん、膨大な資料の場合、すぐには一枚にはまとめられない。だから最初は数枚になってもいい。そのように数枚にしてまとめたものを、次のステップで一枚にまとめればいい。そのように段階的なアプローチを使ってでも、一枚にまとめようとする。

今ならその行為の意味が理解できる。そのようなまとめの作成は、単に資料の「インデックス」を作っているわけではない。たしかにそのメモを見れば、しかるべき事柄を書くときにどんな資料を当たればよいのかがすぐにわかるが、それは副次的な意味しかない。むしろ、そのまとめメモ(材料メモと呼ばれる)の作成は、そこにある資料に含まれる情報のネットワークを自分の頭の中に形成する作業なのだ。それぞれの情報の意味を把握し、咀嚼し、位置づける。そうした知的作用をくぐり抜けた後であれば、私たちは事柄をうまくつないでいくことができる。物語を紡いでいくことができる。

結果として生成されるメモは、そのステップにおいて参照情報になるが、しかし重要なのはそのようにしてメモを生成することなのだ。だから、すべてが電子的な情報として保存されていて、ボタンを押せばそれらのインデックスが自動的に生成されるというようなスマート材料メモがあっても、執筆の助力にはならないだろう。自分の頭を使って材料をまとめていく行為が重要なのだ。

そして、もし「アウトライン」と呼べるものを真に役立つものにしたいならば、結局そこでも同種の知的活動が必要なのである。表現の形態(メディア・フォーマット)は違えども、事前に頭を使っている点は等しい。そして、それがなければ十分な本など書きようがない。せいぜい器用な本が書けるだけである。

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もう一つ、『「知」のソフトウェア』での大きな学びは表現の多重性である。彼は本の中で述べている。一つのテーマで文章を書いた後に、もう一度そのテーマで文章を書いてみれば、同じテーマなのに違う文章が書けることがわかるだろう、と。実際やってみるとわかるが、たしかにその通りになる。微妙に表現が変わるだけでなく、表現が変わったことで文の運びが(つまり論の運びが)変わり、結論自体が別の着地点になることも珍しくない。

このことを実地的に体験していればしているほど、「先にアウトラインを立てて、後はその通りに書いていきましょう」という言説に疑いのまなざしを向けることになる。なにせ出てくる文章によって論理展開が変わってくるのであろう。「いや、そうやって変わること自体、論理が弱い証拠じゃないか」と言われれば頷くしかないが、アウトライン上でそこまで強度のある論理を構築できないのだから仕方がない。凡人たる私たちは、文章を書いてその論理の強度を確認するしかないのである。

ともあれ、私は『「知」のソフトウェア』において、文章をどう書くかを学んだ。いや、それは正確ではないだろう。なにせ立花メソッドをそのまま引き継いだわけではないからだ。私がこの本で学んだのは、「一般的に言われている方法に従って書かなくでもいいのだ」というある種の反骨精神の承認だったのではないかと今は思う。決して主流派にはなれないかもしれないが、それでもアウトサイダーであってよいのだという肯定は、目先の技法の効率や能率以上に重要なことであるとそんな風に感じている。

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知の先達は、少しずつこの世界から立ち去っていく。

板坂元さんが2004年に、梅棹忠夫さんが2010年に、渡部昇一さんが2017年に、木村泉さんが2019年に、外山滋比古さんが2020年に亡くなった。

20代の頃にわくわくしながら読んでいた知的技術に関するノウハウ本を著してきた著者たちはもうほとんどいない。もちろんご存命だったとしても、現代において有用な知的技術を彼らが提供し続けられたのは今となってはもうわからないわけだが、それでも寂しさみたいなものはどうしても残ってしまう。

私たちはあのとき受け取ったギフトを、他の人たちに渡せているのだろうか。もしその寂しさを紛らわせるものがあるとしたら、そうした仕事に邁進することくらいだろう。結局そのようにして、我々人類は知識をバトンしてきたのである。大きな視点を持って、小さく仕事を積み重ねてきたのだ。

だからまあ、みんな「自分の仕事」をしようではないか。自分がこれまで受け取ってきたものの総体として。自分がこれから手渡すものの総体として。

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