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『すべてはノートからはじまる』が2021年7月26日発売となります

『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』という本を書きました。2021年7月26日、星海社新書から出版されます。

タイトル:すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術
著  者:倉下忠憲
発  行:星海社
判  型:新書
分  量:256ページ
価  格:1,200円+税
ISBN:978-4065243305
発売予定:2021年7月26日(書籍/電子書籍)

タイトル通りノートの本です。とは言え、「hogehogeノート術」のように特定かつ具体的なノート術を紹介するのではなく、もう少し広い視点からノートとはなんぞやを考え、その上でどのように使っていけばいいのかを紹介しています。

ノートの話題が好きな方だけでなく、これからノートを使っていきたい、あるいはノートには興味があるんだけど、どうも苦手意識が強くて……という方にも役立つように書きましたので、ご興味あればぜひ手に取ってくださいませ。

聞くところによると電子書籍も同日発売の予定らしく、どこかのタイミングで予約も開始しそうです。もちろん、書籍版は現在でも予約受け付け中ですのでどしどしご予約くださいませ(注:初版部数がめっちゃ多い、というわけではないので発売時点では書店では入手しにくい可能性があります)。

というわけで、簡単な紹介でした。以下はおまけというか補足です。

ノートは広大である

末尾の目次をご覧になっていただくとわかりますが、本書はかなり広い領域をカバーしています。タスク管理からはじまり、知的生産、そして自己啓発的な話題までも扱っています。

あまり話題を広くすると、ボリューム的にそれぞれの領域で具体的な話がしづらくなってしまうのですが、今回の本ではこの領域の広さを重視しました。なぜかと言えば、ノートは仕事だけに役立つとか、知的生産だけに役立つか、そんなみみっちいツールではないからです。ノートはもっと広大なのです。

その意味で、既存の「ノート本」にはいつもどこか物足りなさがありました。具体的な話をするために絞り込んでいるのは理解できるのですが、「包丁って白菜切るのに便利ですよね」という話を聞いているようなモヤモヤ感を得るのです。「たしかにそうだけど、もっと使い方があるよ」と。

別の方向からの話もあります。たとえば、新しいデジタルツールが出てきたときに「hogehogeって、すごい便利。○○な使い方で自分の人生がすごく効率的になった」という声を聴くのですが、いやいやそれと同じことは別のツールでできますって、それはhogehogeというツールのおかげではなく、もっと広い「ノートツール」が持つ恩恵の一つなんですよ、と無粋なツッコミをしたくなるのです。

別にその人はそのツールでうまくいっているのですから外野がツッコミを入れる必要はありませんが、それでも「そのツールが特別に便利」という認識と「ノートツールの一つであるそのツールが便利」というのでは、かなり認識というか世界観が変わってきそうな気がします。特に、そのツールで別のところに不都合が生じてしまったときにその差異が強く出ます。前者の場合、不都合に我慢し続けるかあるいはノートそのものを放棄するしかありませんが、後者であれば同種の使い方ができる別のツールに移ればOKです。

そうなのです。個別のツールではなく、「ノートツール」という一つ上の視点に立つことができれば、私たちはたくさんのノートツールを渡り歩いていけるようになります。唯一の正解を「信仰」するのではなく、多数の中から最適なツールを「選択」できるようになるのです。ツールとの良い付き合い方は、まずそうした選択可能性が開かれているところにあるのではないでしょうか。
*ちなみに選択できることを踏まえてなお、信仰することもできますし、一番強度の強い信仰とはそのようなものでしょう。

ノートというものを仕事にしか、あるいは勉強にしか使わないのは実にもったいないことですし、単一のツール以外に目もくれないのも非常にもったいないものです。

「ノートはもっと自由で雄大なのだ」

そういう話をずっとしたいと思っていました。個別のツールの操作説明ではなく、「ノート」という一つの概念と、それを使う人間を語る本を書きたかったのです。

その私の思いが結実したのがこの本です。

書くことを日常に

「まずは書こう。話はそれからだ」

私は文章作法の文脈で上のようなことをよく言っていますが、これはもっと広範囲に適用できる言葉でもあります。

なにせ書くことって、むっちゃ大切なんです。メモやノートを取ること、計画を立てること、結果を残すこと、考えを書くこと(あるいは書いて考えること)。

すべては人間の知的能力を補佐する役割を持ちます。

逆に言えば、知的能力にたいした差がなくても、ノートを取っている人とそうでない人には違いが生まれます。もちろん、ここでいう「ノートを取る」とは、板書ノートのようなものだけでなく、フリーライティングや研究ノートやアウトライナーや着想メモやブログやTwitterなども含んでいます。

対象は何でも良いのです。ツールだって選びません。

生きることの中に「書く」ことを取り入れているかどうか。それが知的能力の発揮(あるいは開花)に大きな影響を与えるのです。別にそれはノートを書けば社会的成功が手に入るとか、ノートを書けば頭が良くなるとか、ノートを書けば教養が得られるとか、そんな話ではありません。もしかしたらそういうことも起こりえるかもしれませんが、それはそれぞれの人が置かれた環境と持ち合わせている特性との相互作用であって万人に確約できるものではありません。つまり、ケースバイケースです。

一方で、情報を残し、書きながら考えることは、間違いなく人生における「情報処理」のスタイルを変えます。メモリが拡張され、CPUがクロックアップされます。

そのような強化が必要ない生き方というのもたしかにあるでしょう。何もかもを諦観し、ただ流されるままに生きるならば、ノートなど不要です(なんなら脳すら不要でしょう)。あるいは、もともと脳の情報処理能力が高い人であるならば、すべてを自前の脳でやっていくことも可能なはずです。

でも、それは一人握りの人たちの話であって、私たちのような凡人に適用できる話でも、適用してよい話でもありません。私たちには、記録と「書くこと」が、つまりはノートが必要なのです。

そこでは高度なノート技法の話は必要ありません。昨今ではPKM(Personal knowledge management)などの、知識を扱う上でのノートのフレームワークが検討されていますが(そして私もその手の話題は大好きですが)、そんなものよりももっと先に体得すべきことがあります。それが「ノートを使うこと」です。

つまり、何かを考えるときにノートを取り出し、何かを覚えたいときにノートを取り出し、何かを進めるときにノートを取り出し、何かを整理したいときにノートを取り出す、というような動作を日常感覚にすることです。ホームズがワトソンに話しかけるように、ノートを使うようになることです。

高度な書き方や効率の良い整理方法の話など、後で構いません。まずはノートを使うことを身につけることです。書き留めるくせを付けることです。むしろ、そうしたことを日常的に行うようになれば、書き方の改善も徐々に進められるようになるでしょう。それを可能にするのが「記録」というものだからです。逆に、技法についての情報摂取ばかり行って、自分でノートを書くことを一切行わないならば、その改善など望むべくもありません。

だからそう、冒頭の言葉はこう書き換えられます。

「まずはノートを書こう。話はそれからだ」

ひらかれたノウハウへ

これまでたくさんのノート本を読んできました。本書がそうした本たちを「上書き」するような内容であるとはもちろん言いません(言えるはずもありません)。それでも、バラバラに散らばってしまっているそうした本たちを結び合わせる本にはなっていると思います。

別にどれが最強のノート術なのかを決める必要はないでしょう。それぞれの人が、自分に合ったノートの使い方をすればいいだけです。

もうそろそろ、「最強のノート術」的な話題はやめにしましょう。ツール名を VS で並べて「どれが一番良いか」という視野の狭い選択を読み手に押しつけるようなコンテンツの書き方は古い時代のノウハウの伝え方だと感じますし、そうやって何かを否定することでしか推したいものを強調できないのは書き手の未熟さでもあります。

それぞれの人には、目的があって環境があって能力があってタイミングがあって価値観があります。それらが異なると認めることが「多様性」でしょう。もちろん、自分にとって一番使いやすいノート術はあるでしょうし、むしろあった方がよいでしょう。なんならそうした「俺のノート術」を百花繚乱に並べたコンテンツはぜひ読んでみたいものです。でも、それはそれ、これはこれです。別にそこから最強のノート術を選出する必要はありませんし、すべきでもないでしょう。

まだこの段階でどこまで共感が得られるのかはわかりませんが、ノート術にとって一番大切なのはそれぞれの人が「自分のノート術」を開発することだと私は考えています。だからこそ、「最強のノート術」を押しつけるのは危ういのです。「自分のノート術」の、「自分の」の部分を透明にしてしまうからです。本来、もっとも濃く浮かび上がっているべきものが、一番なおざりにされてしまうのです。これは本当に危険なことで、残念なことでもあります。

もし、「最強のノート術」を提案するならば、それを優しく納得させるのではなく「はっ、何言ってんだ?」と相手が怒り出すくらいに挑発的なものの方がはるかにマシでしょう。そういう反発からなら「自分の」方法論が立ち上がってくることが期待できるからです。

そんなことを思うくらいに私は個々の人が「自由」であることが重要であると考えています。「最強のノート術」が効率的な方法を提供するかわりに自由を奪うなら、個々の人が地道に失敗していく自由を肯定したいのです。

自己啓発的、あるいは非-自己啓発的

以上のようなことを書いていると、この本って自己啓発本なのかなと思われるでしょうが、半分正解で半分非-正解です。ある部分までは恐ろしく自己啓発的ですが、ある部分から急激に自己啓発的ではなくなります。どこでその線引きが入っているのかは、著者である私にもわかりません。

まるでホラー映画で何気ない日常シーンのBGMに不協和音が紛れ込むように、この本は自己啓発的なものの中に自己啓発的でないものが忍び込んでいます。

それは別に計算というわけではなく、私自身が自己啓発に対してアンビバレントな感情を抱いているからです。ある部分の私はそれを非常に大切なものであると考えつつ、別の部分の私は「本当にそうか?」という疑いのまなざしを向けています。そして、その両方の私が「本当の私」なのです。嘘もなければ、矛盾もありません。単に複雑で多義的なだけです。

社会生活を営む上で、あるいは何かを成そうという欲求を持つ中で、自己啓発的なものが必要になる場面はたしかにあります。そうした場面で使える能力を磨いておくことは実用的に間違いなく役立ちます。

一方で、人生のすべてがそのようなものであると考えるのはあまりにもお寒い考えです。「そういうものが必要な場面もある」と「すべてがそうである」は、思考としてはまったく別物でしょう。しかし、「実用的で役立つ」ものの力はきわめて強力です。資本主義経済と結びついて、あたかもそれがすべてであるかのように私たちの価値観を上書きしようとしてきます。

だからこそ、非-自己啓発的なことは意識的に発言されなければならないのでしょう。防波堤のように、守るべきものを守るために、打ち立てられる必要がある言説があるのです。

だから本書は半分は実用書であり、もう半分は非-実用書です。この二つが一緒になると、陰陽太極図とかフレイザード(あるいはメドローア)みたいに異質なものが生まれてくるかもしれません。そればかりは読者さんに判断をお任せします。

さいごに

というわけで、言いたいことをかなり率直に書いてきました。もちろん、ノートについて伝えるべきことはすべて本書に書いたので、本書を直接読んでいただくのが一番かと思いますが、こういうことを考えつつ書いた本だということをおまけとして添えておきます。

もう一つ、本書は私の「休業」明けの初めての一冊でもあります。仕事がほとんどできない一年間はほんとうに厳しいものでした。せっかく体調が回復してまた本が書けるようになったので、もうこれまで気にしていたこまごましたことは一切気にしないことにして、目一杯自分の土俵で書かせていただいたのがこの本です。その意味で、本書はこれまでの本と連続していながらも、たぶん「新境地」とも呼べるような(あるいは倉下2.0と呼べるような)内容になっていると思います。

はたしてその方向転換が適切なのかはわかりませんが、あと何冊本が書けるのかはわからないので、つじつま合わせのような本は書きたくありませんし、選べる限り大きな土俵で書きたいとも考えています。できれば、「古いノウハウ本」の書き方を一蹴するような、そういう大きい仕事をしていきたいものです。

とりあえず、この本は自分で星5つを──しかも自信を持って──つけられる本になっています。読んでくださった皆様にも同じように感じていただければ、これ以上嬉しいことはありません。

*当記事の構成は、以下の記事をまるっと参考にさせていただきました。
読書猿 著『独学大全』ダイヤモンド社より9/29刊行します 読書猿Classic: between / beyond readers

資料編

目次

第一章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー
第二章 はじめるために書く 意志と決断のノート
第三章 進めるために書く 管理のノート
第四章 考えるために書く 思考のノート
第五章 読むために書く 読書のノート
第六章 伝えるために書く 共有のノート
第七章 未来のために書く ビジョンのノート

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