Sharing is Power!

アウトライナーという名前から

知的生産の技術

アウトライナーという名前から、何となくこのツールは「アウトライン」を作るものだと思っていた。ようするに目次案。階層化された箇条書きリスト。そういうものを能率的に作るためのツール、という理解があったわけだ。

一方で、いろいろ見知っていくと、その名前が「アウトライン・プロセッサー」という別名を持つ事実に遭遇した。我々がよくつかう「ワープロ」は、ワード・プロセッサーの略称であるが、その「ワード」の部分に「アウトライン」が代入されたものがアウトライン・プロセッサーというわけだ。

そういう名前の発見が促すのは、何をするためのツールなのか、という理解である。

ワード・プロセッサーは、「言葉」を処理して「文書」を作る。つまり、処理されるのは「言葉」であって、「文書」ではない。言い換えれば、目的の成果物は「文書」(ドキュメント)であって、「言葉」(ワード)ではない。

同じように意味をスライドさせれば、アウトライン・プロセッサーの目的成果物は「アウトライン」ではない。むしろ「アウトライン」は、──ワープロが言葉を扱うように──処理されるものなのである。

これでグッとアウトライナー(アウトライン・プロセッサー)の理解が深まったが、しかしその段階はまだ入り口だった。なにしろ「アウトライン」とは何かが手付かずだったからだ。むしろ無意識にそれを「階層化された箇条書きリスト」だとして捉えていたようなところがある。

しかし、だ。

「階層化された箇条書きリスト」を処理して何かを生み出すとはどういうことだろうか、という疑問は残る。なにせ、そうしたものを処理した結果、アウトライナーに残るものは「階層化された箇条書きリスト」なのである。そんな循環的な状況を「処理した」と呼んでいいのかすらわからない。どうにも不満が残る状況だ。

やはり鍵を握っているのは「アウトライン」なのである。それが何なのか。何を意味するものなのか。

振り返ってみると、私はあまりにややこしく考えていたのだろう。もっとずっと、素直に辞書を引けばよかったのだ。

「概要、あらまし、アウトライン、輪郭、外形、略図、下書き」

これが outline の主要な意味である。特に「輪郭」が日本語として一番しっくりくる。あるいは補助的に「線」を付けてもいい。輪郭線とは、外側の形を示す線のことだ。イラストで言えば、おおまかなスケッチが相当するだろう。そういう情報を担当するのが「アウトライン」なわけである。

ここでのポイントは「スケッチ」ではない。そうではなく「おおまかな」である。

「外」というのは、「内」ではないことを示す。メタファーとして「内」はよく理解が進んでいる状況を、「外」はそうではない状況を示す。だから、おおまかな線しか描けない。あるいは、まずおおまかな線でいいから描いておこうする。その現れがアウトラインである。

つまり、抽象度の階段を上がれば、「そのことについてまだよくわかっていない状態の情報」がアウトラインと呼べる。アウトライン・プロセッサーはそれを処理するのだ。

* * *

アウトライナーで作られる、たとえば一番最初の目次案は、「自分がこれから書こうとしている本についての概略」を示している。それは、一見「骨子」のような形をしているが、その実それは「外側」を示している似すぎない。だって、本当のところその本がどのような形になるのかを、私はまだ知らないからだ。それは「内側」に入ってみないと見えてこない。

でもって、アウトライナーやテキストエディタを使い、文章を書いていく。書いていくうちに、最初に作った「目次案」は形を変えていく。内容に合わせて、適切な構造へと作り替えられていく。そのような営みが n回 繰り返されたのち、ようやくそれは完成へと至る。脱稿だ。

脱稿したあとの目次は、「外側」の人にその本の内容を示すものになる。まだそれを読んだことがない人が、その本の「内容」がどういうものなのかを把握するために利用される情報となる。

一見すると、つまりアウトライナー上で見れば、目次案と目次は構造的に同じものに見える。しかし、その役割は異なる。つまり、情報的に異なる存在である。前者は、著者の「意図」の輪郭線を描写するものであり、本の内容についての大ざっぱな見取り図を提供するものである。徹頭徹尾それは、著者のための情報道具だ。

一方で、完成した目次は、書き手のための情報道具ではない。むしろそれは、読み手のための情報道具である。

このように異なる二つの情報道具が、まったく同じ「階層化された箇条書きリスト」として表現されてしまうところに、アウトライナーにまつわる混乱がある。なにせ異なる道具なのだから、扱いも違うのだ。しかし、その差異が捉え難いのである。そういうとき、だいたい先入観に応じて理解・把握がなされてしまう。かちかちに固まった後の「目次」を作るためのツールだと理解されてしまうのだ。

もちろん、言うまでもないが、アウトライナーというツールの強力さは、異なる情報道具を同一構造化で扱える、という点にある。本来異なるものを、A→Bのような形で徐々にシフトしていくことができる。よくコンピュータである人の顔の画像が、少しずつ別の人の顔に変わっていく処理を見せられることがあるが、あれと同じである。少しずつ、移り変わっていくのだ。気がついたら、橋を越えている。別の場所に移動している。そういうことが可能なのがアウトライナーというツールである。

* * *

上記のような捉え方は、もしかしたら「アウトライナー」というツールを開発し、命名した人の意図とは違っているのかもしれない。その人はもっとずっと、「階層化された箇条書きリスト」をイメージしていたのかもしれない。

だからこの理解は、ある種の批評的な作業である。情報ツール批評。それが、この稿で行ったことだ。

私は、私の解釈で「アウトライナー」というツールの役割を位置づけた。その位置づけは、もしかしたら「正統」なものとはズレているかもしれない。しかし、言葉の意味をまっすぐ辞書的に解釈し、援用したという意味では、引け目を感じるところはない。新しい意味の地平を開こうとしているのだから、何かしらの齟齬が起きるのは避けがたいであろう。

ともかく、「未確定のあやふやな、まだ内側に十分入れていない情報を扱い、それを処理することで何かを為すためのツール」というのが、私が規定した「アウトライナー」(あるいはアウトライン・プロセッサー)の現代的な定義である。

でもって、実感としても、まさにアウトライナーというツールはそういう役割を担っているのではないかと思うが、いかがだろうか。

* * *

以上の話をした上で、ひょっこり別の話をしておくと、「ソート・プロセッサー」という呼び方もできるのではないかと最近考えている。日本語ならではの、やや強引な掛け詞である。

つまり、それは thought でもあり、sort でもあるわけだ。

考えることや思考を「処理する」と共に、分類や並べ替えを通して情報を「処理する」ための装置。

そのまま英語表記はできないが、この掛け詞もまたアウトライナーと呼ばれているツールが担っている役割をちょうどよく表しているように思う。

もちろん、私に呼称の決定権があるわけではない。あくまで提案に過ぎないし、最後は「実際にどう使われたのか」という情報流通の総量が物事を決定づけるだろう。私としてはそれを理解しつつ、こういう呼び方や把握の仕方をちょこちょこWebに向けて流していくだけである。

でもまあ、「ソート・プロセッサー」は、「ソープロ」という略称が可能である点は魅力的だろう。若干「剣を鍬に/Swords to Plowshares」を思い出してしまうが、それを除けば略称があることは良いことである。

なにか別の魅力的な呼び方の腹案があるならば、ぜひとも教えて欲しい。一緒にWebに向けて流していこうではないか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です