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手書きメモを書くとき、私たちはデザイナーでもある。

ここ三日ほどずっとメモについて考えている。日本で一番デジタルメモについて考えている人間ではないか(ただしこの三日間だけで)、という自負が湧いてくるくらいである。

その話の片鱗はポッドキャストでも出てきた。

テキストエディタにテキストを打ち込むことと、手書きでメモを取ることは一見するとさほど違いはないように思える。スピード的な差異はあれど、情報的な違いは特にないかのように感じられる。しかし、そうではない。

たとえばブロガーの皆さんならお馴染みだろう。テキストファイルでまず記事を書き、それをWordPressの投稿画面にペリっと貼り付けてプレビューしながら微調整していく、という作業がある。その作業で何をしているのかと言えば、デザインを調整しているのである。

あるいは、途中の段階まではずっとアウトライナー(いわゆるプロセス型アウトライナー)で進めていても、原稿の詰めの段階ではWordに移して詰めを行う、ということは珍しくない。むしろよく聞く話である。で、この作業でもそこで行われているのはデザインだと言える。

意識的に分ければ、前半部分はコンテンツデザインを行い、後半部分ではビジュアルデザインを行っている。そういう役割分担だ。

一方で、私たちが手書きで何かを書くとき、特に手帳やノートに書きつけるとき、二つの作業が同時に起きている。私たちは文字を書きつけるコンテンツメーカーでありながら、そのビジュアルを按配するデザイナーでもあるだ。

まず、「あ」という文字を書いた後で、その大きさを調整したり、色を変えたりはしない。それらの要素が一緒になって「あ」という文字が書かれる。出力(ないしは表現)のその瞬間において、styleとcontentに明確な峻別が存在しないのが手書きなのである。

私たちはそのデザイン感覚を駆使しながら手書きで文字を書く/描く。丁寧に書いたり、急いで書いたり、文字を大きくしたり、行間を短くしたり、リスト的に揃えたりというビジュアル的調整を伴いながら、私たちは文字を書く/描く。言い換えれば、そうして書かれたものは、すでにstyleがセットになっている。

一方、プレーンなテキストエディタではそれが薄い。特定の文字のサイズを大きくしたり、色やフォントファミリーを変えたり、といった「選択肢」を一旦排除して、私たちは文字をタイプしていく。

もちろん、それはテキストエディタ上に文字列を「配置」している行為なので、ビジュアルデザイン的要素が皆無かといえばそうではないわけだが、手書きのそれに比べれば極めて貧弱であることは間違いない。文字的な表現はすべて均一で揃っていて、あとはスペースなどで場所を調整するくらいしかできることがない。デザイン空間が狭いのだ。

同様のことはアウトライナーにも言える。アウトライナーでも、利用者のデザイン的余地はほとんど存在しない。一応太字や色の変更はできるようになっているが、マージンの設定などを含めるとリッチテキストエディタよりも采配できる要素は極めて限られていると言えるだろう。styleが貧弱なのである。

おそらくそうした点が、私がたびたびアウトライナーに「アイデアメモ」を並べて失敗してしまう原因なのだろうとポッドキャストでは述べた。

同じように書きつける手書きノートのアイデアメモは、見返すのが鬱陶しくないばかりか、ちょっと楽しくすらあるのに、同じものがアウトライナーに並んでいるとダメなのだ。途端に嫌気が差してしまう。なぜか。「デザイン」されていないからだ。読むようにsytleが調整されていない。言い換えれば、そこにあるのはただの文字列なのだ。

たしかに情報としてみれば、アウトライナーでも手書きノートでもかわりはない。手書きノートをOCRにかければ、データとしては同じものができるだろう。しかし、その二つを「読む」人間にとって、差異ははっきりと存在している。もし存在していないというならば、組版という作業はまったく無意味、ということになる。しかし、そんなわけはない。自分でテキストを作ってみればわかる。テキストファイルとそこから作ったPDFファイルは──情報的には同じでも──メディア的には異なるものなのだ。

デジタルツール的に言えば、「入力および操作しやすい」UIと、「読み返しやすい」UIは異なっている、という表現ができるだろう。もし、100個の雑多なアイデアメモが並んでいるならば、それを見返しやすい形のUIというのがあるはずなのだ。5個の買い物リストと、そうしたアイデアメモがまったく同一で構わない、というのは情報を受けとる存在を「情報処理をデジタル的に行えるもの」として捉えていることになる。が、人間はそうではない。私たちはUIというデータに直接関係ないものによって、その処理を変えてしまう。非常にアナログ的な存在なのだ。

私の問題に引きつければ、大量の情報が書き留められることになるアイデアメモでは、まずその「見栄え」が──あるいは「見栄え」こそが──重要なのだ、ということになる。

アイデアメモは、買い物リストのように「処理」していくものではない。それまさに「読み返して」いくものだ。それにフィットするstyleがあってこそ、アイデアメモはその役割を十全にはたしてくれるだろう。

それくらいに見た目(UI)は大切である。デジタルツールを使うときにはその点は十分に意識したほうがよいだろう。

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