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11月といえば自分の好きなブログを告白する月であるとして 2021

もうそんな時期がやってきたのかと、23-seconds blog: 11月といえば自分の好きなブログを告白する月…ということです2021を読みながら感じた。毎年のことだ。一年がもうこれだけ過ぎ去ってしまったことを確認してしまう悲しさもありながら、それでいて毎年のようにこの記事と遭遇できる嬉しさもある。灯台を見つけたような、そんな嬉しさかもしれない。

ブログを巡る環境は、時間と共に変わりつつある。

最初はSNSが出てきて文字をWebに出す手段が多様化され、写真SNSや動画サイトの台頭で表現の手段が多様化された。今では、ノウハウ系の解説はずいぶんと動画に(もっと言えばYouTubeに)移ってしまった。コンテンツは最適な媒体を求める。そうして、メディアの盛衰は移り変わっていくのだろう。

最近では、noteが人気で「自分のブログ」を持つ必要もなくなっているし、海外製あるいは日本製のニュースレターサービスも充実してきてクローズドなグループに向けて文章を書くこともやりやすくなっている。でもって、両者は「マネタイズ」志向でもある。

そうした新しいメディアがゾクゾクと登場する中で、ブログを書くことには、どうしても「あえて」感が出てしまう。昔は、個人が持てるメディアのアプローチがブログしかなかったので、皆がこぞってそれに飛びついていたのだが(デファクトスタンダードだったわけだ)、今では手段は多様化し、皆がそれぞれ得意な(あるいは望む結果に沿った)媒体を選択している。

そんな状況下では、「ブログ」を書くことはかなり意識的な選択になる。すでに「稼げるメディア」の戦場は移動しているし、目立ちたいならもっと異なったアプローチを取るのが賢明であることは、誰しもが直感的に理解できているだろう(Amazonの”ブログ”の検索結果をみれば、それはいかにも明らかである)。

今なぜ、あえて、ブログに?

ということに明確な答えが与えられないなら、新しくブログに参画するのは相当に難しいだろう。

だからこそ、ブログが続いているのはとても嬉しいのだ。とぎれとぎれであろうと、「あえて」ブログを書いている人がそこにいるのは、心躍るものがある。世界が全体としてうまく回っている感じがする。

たとえば最近は、Noratetsu Labがとても面白い。いかにも「昔懐かしい」ブログを読んでいる感じがする。あと、Word Pieceも少しずつ記事が上がるようになっているし、そこにもどこか懐かしい感覚がある。

翻って、iPhoneと本と数学となんやかんやとはHugoを使った静的サイトに移行しつつ、_Home – 本と思考のカードボックスというObsidian Publishを使ったWebサイトも並行して更新されていて、なにやら新しい風を感じる(ちなみにHugoになって表示が爆速になった)。

あいかわらず淡々と更新されている鷹の爪団の吉田くんはなぜいつもおこったような顔をしているのかは、一周どころか二周も三周もまわって凄みを感じるし、tadachi-net 出張所は道具に向けられるまなざしとその熱意にいつも敬服してしまう。

たくさんの個性的なブログが、まだ続いているのだ。継続的なものもあり、変化を伴うものもあるが、それでも続いている。それはもう、純粋に嬉しいことではないか。

「ノートは自由」であると私は書いた(*)。そして、ブログもまたノートであると書いた。だからブログもまた自由なのだ。
『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』

別段肩ひじ張る必要はない。何を目指すのも個人の自由であり、またその個人の関心が一番強く現れているのがブログの良さでもある。

一方で、本当に「何でもいい」というわけではない。その文章は、いつでも他者に向けられたものであって欲しい。自分のルサンチマンが起点になったとしても、それを充足させて終わりだけなものはPublicな場に晒される文章としては、いささか危ういものである。

何も「他人のため」に書けというのではない。徹頭徹尾それは自分の趣味であり、自己満足であっていい。ただ、「自己満足」で終わらないようにして欲しいだけなのだ。少しだけ、ほんの少しだけ他者に向けた「扉」が開いていて欲しい。あるいは開いていなくても、そこにドアがあることは示して欲しい。

読者のことを何も考えず、ただ自己満足だけで、技巧もヒネリも配慮も内省もなく、文章を書き散らしてOKとするならば、「メモ帳」に書いておけばいい。あるいは、名前のない投稿者として掲示板にでも投げればいい。

選択肢は二つしかないわけではない。読者を無視することと、読者に阿ることのその間には無限に等しいバリエーションが広がっており、その中での位置づけが、それぞれのブログの個性として立ち上がってくるのである。

でもまあ、そういうややこしい話は一旦脇においておこう。今年もまた一年が過ぎた。そして、続いているブログがある(あるいは新しく始まったブログがある)。まずはそれを祝福しよう。この不器用な人たちの”成果”を、盛大に祝おうではないか。

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