理想的なものと機能的なものが同一とは限らない。人生が難しくなるゆえんである。
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大切な項目は上から7つ目まで。7つの太い枝があるワケです。階層は浅くて、せいぜい3階層。ただし論文関連の項目 (study A、study S、study B) には、データなども入っているので、もう少し階層が深くなっています。
上記のorgファイルには大項目が7つしかない。もちろん「7つもある」という見方もできるが、最近のデジタルノートの派手さを考えれば7つだけの大項目はそれなりに少ないと言えるだろう。それに、階層も浅いという。
とてもシンプルなシステムだ。
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If you are using Notion to manage your productivity system or to be more productive, you need to have a system that works for you. You can’t afford to have a system where you are working for it. After all, you most likely are using Notion to become more productive so if you are spending time perfecting Notion, you are technically procrastinating.
That’s the issue I had with Notion. I was spending too much time perfecting it to my needs and trying out new templates, I ended up constantly procrastinating and becoming less productive. A productivity system should be simple and most importantly effective!
上の記事の著者は、当初はNotionを気に入って使っていたものの、結局手間がかかる過ぎるということで、メインのシステムを3つのツール群(Fantastical、Things 3、Apple Notes)に移行したという。
Things 3はご存知の通り、きわめてシンプルなタスク管理ツールである。残り二つも、きわめてシンプルな役割しか持たない。複雑さはどこにもない。
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結局のところ、と私は語りたくなる。人はシンプルなシステムに「帰ってくる」のではないか、と。
高機能的欲求は、はしかみたいなものであり、だれしもが避けては通れない道なのだろう。あたかもツールが高機能であればあるほど、自身の力も向上するかのように感じられるのだ。
しかし、道具は道具であり、人間は人間だ。
そして、他人は他人であり、自分は自分だ。
自分は、自分に扱えるものしか、扱えない。
道具を扱うためには、知識も必要だし、技術も必要だ。慣れも必要だし、相性だってある。なかなか一筋縄ではいかない。
ある物を「自分の手のように扱える」のが道具が最高に機能している状態だと言えるだろうが、はたして「高機能かつ複雑」なツールを、「自分の手のように扱える」ようになるまで、いったいどれくらいの年月が必要なのだろうか。決して不可能とは言わないが、しかし簡単な道のりではないだろう。
あなたはこういうかもしれない。機能がたくさんあっても、使わなければいいじゃないか、と。
でも、そういうわけにはいかないのが人情である。それに、その時点で高機能なツールは、基本的に高機能指向である。つまり、随時新しい機能が追加される。それはつまり「手の感触」を変化させるということだ。これはなかなか難敵である。
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高機能なツールがダメだ、と言いたいわけではない。単に、手に余る可能性が高い、という話をしているだけだ。
もう一つ問題は、その高機能さが「自分が欲している機能」を提供してくれているにせよ、自分が欲している機能がどれくらい役立つのかは、なかなか見えてこない、という点にある。
特に、ノートツールなどは時間が経って初めて「役に立つ・立たない」が判断されるので、初見〜三ヶ月くらいではなかなかその判断がつかない。つまり、そのツールで謳われている機能が、本当に自分の役に立つのかどうか、という判断がしにくいのだ。
一番望ましいのは、自分が為せることだけが十分に為せて、それ以外の余計な機能がついていないツールであろう。そうであれば、理解もたやすいし操作も簡単だ。しかし、はじめからそこにいくのは難しいだろう。
一度は複雑さに向かい、そこで悪戦苦闘して、「ああ、やっぱりこりゃだめだ」を経験したあと、人はシンプルに帰ってくるのではないか。であれば、ある人が複雑さに向かう旅にかじを切ろうとしていても、無理に止める必要はない。人は、いずれシンプルに帰ってくる。あるいは、ちょうどよい複雑さに帰ってくる。
当人が、変化を受け入れる人であれば、であるが。
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シンプルなシステムでいくことは、いくつかの(あるいはたくさんの)ものを捨てることを意味する。これは結構大きい決断だし、痛みも伴うかもしれない。
でも、結局のところ、自分は自分が使えるものしか使えないのだ。
ツールが複雑さを指向すればするほど、その「自分が使える」という範囲から離れてしまう危険性がある。その危険性は、長く使うツールであるほど顕著に現れる。
最低限、自分が必要とする機能があればいい。それがメンテされ、維持されていればそれでいい。本来は、それだけで十全なはずだ。メジャーなアップデートはごくたまで構わない。
しかし、販売されるソフトウェアの力学はなかなかそうなってはいない。機能が増えすぎて、何がメインなのかよくわからないツールがやまほどある。まるであらすじを盛り込みすぎた小説のようだ。
趣味として、複雑なツールで遊ぶのは楽しい。でも、「自分の手のように扱える」ツールは、きっとシンプルなツールである。それは構造的にも、操作的にも、あるいは他の側面においてもいえる。
そのことは、長い旅のあとに実感されるのであろう。
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