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静寂という品質

quality as quiet

知的生産の技術

いくつかのツールを渡り歩いて、はじめて気づく良さというのがある。

たとえば私はWorkFlowyが好きである。Scrapboxも好きだし、最近触り始めたLogseqも気に入っている。単に「好きか嫌いかで言えば、好き」というのではなく、「すごく好き」という感覚がそこにはある。

不思議なことに非常によく似た別のツールでは、そこまでの感覚が生じない。たとえば、Dynalistはすごく良いツールだと思うが、アクセルの下につっかえ棒があるかのようにあるレベル以上に「好き」にはならない。ObsidianやRoam Researchも同様だ。ツールとしての利便性は理解できる。有効に活用できるだろうとも思う。でも、狂ったかのような好意(fanatic love)は生まれてこない。

なぜなのだろうな、と自分なりに考えてみて気がついたことがある。私が好きなツールは皆「静か」なのだ。

こうやってスクリーンショットを見せるだけでは、たぶんその感覚は3割も伝わらないだろう。画面に配置されるパーツだけでなく、UIやら表示されるメッセージやらの全体から生まれてくる感覚が「静か」であることがポイントなのだ。

しかしながら、これはなかなか捉えづらい要素である。なにせこの良さは、何かがあることではなく、何かが無いことが特徴だからだ。「ほら、この機能、すごいっしょ!」と向こう側から派手に訴えかけてくることがない。むしろ、気の合う友人のように、長時間黙ったままでも居心地が悪くならない、という良さなのだ。

書くことは考えることで、考えることに静寂さは役に立つ。もちろん、完璧な静寂が必要なわけではない。むしろ、ちょっとくらいの音は前進を助けるだろう(私はキーボードを叩く音がかなり好きである)。しかし、うるさすぎてはダメなのだ。これは程度の問題ではあるのだが、しかし「ちょうど良い程度」を提供してくれるツールは案外に少ない。生存戦略として高機能さをアピールする必要があるからだろう。

私は便利にいろいろやりたいわけではない。物事を考える=書くうえで、ちょうどよい静寂さをもたらしてくれる環境があればそれで十分満足なのである。そうした環境は、しばらく浸っていると「場」が立ち上がってくる。私とツールを外周とする、思索が行われる「場」が。

品質という点で言えば、それが最高の品質だろう。考えるためのツールとしては。

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