ふと思いたち、Logseqの「日誌」機能をオフにしてみた。特に理由はない。なんとなくそういう使い方をしたらどうなるかが気になっただけだ。
日誌機能をオフにすると、毎日自動的にその日のページが作成されることがなくなる。代わりに、指定したページ(ファイル)が毎回ホーム画面として表示される。
この感覚は、WorkFlowyにとてもよく似ている。ホーム画面にいろいろ書き込み、必要とあればリンクを貼る。すべてが一つのファイルに収まることはないが、それでもこのホームが起点となる。
そうやって使っていると、使い終わったものをそのまま残しておくのが気になるようになってきた。何せ毎日このページが開かれるのである。そのたびに、「使用済み」のものが目に入るのは気に障る。日誌機能をオンにしている場合だと、過去のページはスクロールしない限り目に入らない。ということは、使用済みのものも目に触れないことになる。こういう状態だと、使用済みを置いておくのは易しい。しかし、ホーム画面方式となると話は変わる。使い終わったものは消去したくなった。
使い終わったものを消すようになると、ますます感覚がWorkFlowyに似てくる。WorkFlowyは名前の通り「フローで、ワーキング」なものを扱うのに適しているが、Logseqも使い終わったものを削除すれば似た感じになるのだ。逆に言えば、Logseqの良さとは、日誌形式であるが故に過去のものをどれだけ残しておいても気にならない、という点にある。だからこそ「ログ」シークなのだろう。
結局、日誌オフの使い方をとことん追求していた結果、WorkFlowyとの使い分けの境界線が見えなくなり、やがてはその使い方をやめてしまった。なぜなら、WorkFlowy的に使うならWorkFlowyが一番だからだ。当たり前のようだが、これは再確認しておきたい事実である。
LogseqをWorkFlowy的に使うことはできる。それは可能な行為の一形態だ。でも、だからといって使いやすいわけではない。望ましいわけでもない。200m走が早い選手は、走り幅跳びもそれなりの成績を出せるだろうが、かといってそれが適切な運動能力の使い方とは言えない。そんな感じである。
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なんだかんだいって、やっぱり私がアウトライナーで扱いたい情報はWorkFlowyが適している。一方で、「ローカルファイルが使えたら」とか「custom.jsで自由に機能が拡張できたら」という望みもいまだに残っている。しかし、そうした私に固有の願いをすべて実現するツールは、最終的には私自身の手で作るしかないのだろう。
なかなかもどかしい話ではある。でも、こうした試行錯誤で見えてくるものも間違いなくある。はじめから「答え」を渡されて、それ以上の試行錯誤を禁じられているよりは楽しい状態であることは間違いない。
ローカルファイルで保存できて、基本的なアウトライン操作はすべてできるけども、それ以上の機能は付与されておらず、必要に応じてJavaScriptで自分で拡張していくような、そんなアウトライナーが作れたらいいなと思う。何かの競技に特化した選手ではなく、その手前にある基礎的な体が仕上がっているだけの選手手前のようなツールが作れたら、きっと楽しいだろう。