「ミカ、またサーベイかい」と僕は言った。
ミカはいつものようにディスプレイを食い入るように見つめ、僕が入室したことすら気がついていない。声をかけてやっとこちらを振り向いた。
「ああ。そろそろ草案の提出日も近いからね。後で変えていいと言っても、やっぱり方向性は最初のうちに固めておきたいし」
「でも、あまり無理するなよ。夢中になると視野が狭くなるぞ」
僕はミカがいつも自分の体のことをすっかり忘れて研究に夢中になってしまうことを揶揄したつもりだったが、彼は別様に受け取ったようだった。
「たしかにそうだね。文献探究は深く広く。教授の教えだ」
僕たちの共通の師である教授は、口を酸っぱくして同じことを繰り返した。まるで壊れたボットみたいだと思ったものだが、折りに触れて教授の言葉を思い出すにつれ、その評価はあまりに一面的だったことを知らされた。そういう形でしか取りこめない情報があるのだろう。いまだに未知な人間の脳に開かれたチャネル。何百人にも教えを与えてきた教授にはその存在は自明のものだったのかもしれない。
「今は何を漁っているんだい」と僕は言った。ミカのディスプレイには、雑多な文献のリストが表示されている。あまり一貫性があるようには思えない名前がいくつもみつかる。「古代ヨーロッパにおける民間伝承」「旧アジア地方の商業主義とその発展」「シンボルの消滅と生成……」
ミカはボトルのチューブから水を飲み、面白がるように僕に言った。
「サンタの研究をしているんだ」
「サンタ? 最近出たゲームか何かのキャラクターというわけではないよね」
「まあ知らないだろうね。でも古代文明の研究者ではわりと有名な存在なんだ。通俗的と笑うやつらもいるけどね」
ミカ曰く、サンタとは伝説上の存在であり、しかも神のようでありながら一神教とのそれとは異なる扱われ方が為されていたという奇妙な存在らしい。
「気になっているのはね。なぜそんな存在が要請されたのか、ってことさ」
「要請? 実在していたわけではないのかい?」
何かが存在していたという証明も難しいが、何かが存在していなかったという証明はもっと難しい。普段は慎重なミカが断言しているので、何かしら具体的な証拠があるのだろう。
「このサンタと呼ばれる存在はね。たった一人で世界中の子たちにプレゼントを配っていたらしいんだ」
「見上げた博愛世親の持ち主じゃないか。何か賞をもらっていてもおかしくないね」
「それをたった一日で成し遂げたと聞いても、感想は変わらないかい?」
たった一日で世界中の子供たちにプレゼントを配る? その時代は量子テレポート技術も確立されていなかっただろうし、どれだけ高速な乗り物がその文明に存在していても物理的に不可能だろう。
「君も奇妙に思うだろう。しかしもっと奇妙なのは、文献によっては、このサンタなる言葉が固有名詞のように使われることもあれば、あたかも一般名詞あるいは何かの種族名のように使われることもある点だ」
「その時代から、情報統合思念体の端末が地球上に存在していたっていうのか?」
「どうだい。面白そうだろう」
たしかに面白そうだ。今では情報統合思念体の端末を使うことによって、光速を超えるコミュニケーションを実現することはさほど珍しい技術ではないが、古代文明においては未発見のテクノロジーだったはずだ。その上、彼らの生活範囲を考えれば、そのような速度を必要とするコミュニケーションが存在したとも思えない。それともこれまでの仮説とは違って、もうその時代から外宇宙へと人類は進出しようとしていたのだろうか。もしその説が正しいなら、パラダイムがひっくり返る発見になる。
「というわけで、そのサンタなる存在が登場する文献を手当たり次第当たっているというわけさ。とりあえず赤というシンボルカラーの共通性は発見したんだけど、それ以上はまだ十分には絞り切れていないんだ。描写される人物像が地域や時代によってあまりにも異なっている。ただ……」
ミカが少し口を濁した。彼ははっきりしていないことを口にするのを嫌う。観測者効果を恐れているのかもしれない。
「何か仮説があるんだね」と僕は言った。
「どうやらそのサンタは、プレゼントを配る存在のようなんだ」
「それはさっきも聞いたよ。博愛精神の持ち主だって」
「違う、そうじゃない。……いや、悪かった。説明がまずかったね。それはプレゼントを配るだけの存在なんだ。その他には何もしない。いや、プレゼントを配るその一日以外は存在すらしていない可能性すらある。プレゼントを配る日に、そのためだけに存在する。それが終われば次の機会まで消滅する。どうやらそういう性質だけは、どの記述のサンタでも共通しているようなんだ。つまりサンタなる存在の本質を表現するとすればそのようになる」
「一体何があればそんな存在が要請されることになるんだ。意味がわからない」
「同じく、だ」とミカは言った。二人の間に思考のための沈黙が訪れる。
「ともあれ」と僕は言った。「いったん休憩を取れよ。はい、新しいコーヒーだ」と彼に新品のボトルを渡す。先ほど淹れたばかりのコーヒーが入っていボトルだ。
「おいおい、どうしたんだい。気が利くじゃないか」とミカは驚いた。普段は自分の飲み物しか買わない僕だから余計に驚いているのだろう。
「ディスプレイに夢中な君は忘れているだろうけども、今日は12月24日。身近な人に贈り物をする日だぜ」
そういうと彼はディスプレイの端に表示されている日付を確認して、納得した。
「なるほどね、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。じゃあ、研究もほどほどに頑張ってくれ」
「そうするよ」
そうして僕は部屋を出ていった。ミカは引き続きサーベイを続けるようだった。
Rashita’s Christmas Story 14
