以下の記事を読みました。
Markdownは箇条書きプログラミングである push – Jazzと読書の日々
違うんですよね。 Markdownは箇条書きを前提にしているのです。 一行ずつ分けて書く。 下書きは箇条書きのまま。 「実行」すると文章が生成する。 つまり「プレビュー」で箇条書きが連結する。 そういうコードとしてテキストが扱われています。
Markdown記法はHTMLタグに変換するための記法であり、HTMLは普通に改行を入れてもそれだけでは行を改めてくれません。明示的な改行はBRタグを入れる必要があります。あるいは、一つの段落をPタグで指定したら、その前後に改行が入ります。
もしテキストエディタをコーディングとして使っているなら上記のような意識はほとんど働かないでしょう。コードは書いたその本人がそのエディタ上で読むか、あるいはコンピュータが解釈するだけだからです。しかし、マークダウンやHTMLに変換されることを意識すると、テキストエディタ上の表現がWYSWYGではなくなります。むしろコーダと同じように、変換前のソースのような存在感を持ちはじめるのです。しかしそれはテキストからテキストへの変換です。
上記のような変換を念頭に置くと、箇条書きの意味が変わってくる、というのが上の記事で示されている事態でしょう。私はずっとこの方式(改行が反映されない)を不満に思っていたのですが、たしかに別の視点から見れば面白いことが起きていると言えそうです。書くときは分けて、あとでまとめる。そんな感覚です。
思い出すのは、以下の記事です。
想定を超えた(?)アウトライナーの使い方 – Word Piece
気がつくと、ごく自然にリズムの区切りで改行していくクセがついていた。
アウトライナーでこれを行なうことによって、リズムに乗って書くことだけでなく、書いた後のリズム調整も楽にできるということに気づいたのはだいぶ後になってからのことだ。
私自身はこんなに細かく改行することはないのですが、それでも言わんとすることはわかります。リズムが変わるということは、文章(というよりも「書く」という行為)の単位がより短くなるのでしょう。だから動きやすくなる。
「箇条書き」というのを精緻に定義しようとするとなかなかややこしい課題になってしまいますが、空改行を挟まず一列に並べていくスタイルを仮に箇条書きだと呼ぶならば、それが変えるリズムというのがありそうです。
でもって、アウトライナーでその行単位を操作することだったり、あるいは入力の表示とプレビューの表示が違ったりすることは、まさにデジタルツールならではの特徴ではあるでしょう。そこには編集や変換という「動き」が内在しています。静的なものではないのです。
文章を書くという行為自体が動的さを伴うものだからこそ、それを支えるツールも動的であって欲しい、というのは少々無茶な願いなのかもしれませんが、それこそがデジタルツールの真骨頂なのではないかとも思います。