7-本の紹介

書評 名ばかり大学生(河本 敏浩)

2009年12月20日初版のこの本のタブタイトルは「日本型教育制度の終焉」である。

名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)
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光文社 2009-12-16
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はじめ、タイトルからは学力のない大学生を批判する本かと思っていた。そういった本は今まででもかなりの数発売されているので、そういった本であれば遠慮しようと思っていたのだが…。

本書は、現状の大学生が学力がない問題を大学生そのものの問題としては捉えていない。むしろそういった現状を作り上げてきた社会や大学に対しての批判書である。
特に、後半部分の「ゆとり世代」という言葉を使ってダメ大学生を攻撃していた知識人に対してはかなり痛烈な批判を行っている。

高校、大学、中学の生徒が解くいくつかの異なったレベルのテストが提示されているが、その内容は本当に難しい。このような問題を解ける学生が「学力不足」とはいったいどういう事だろうか、と確かに疑問に思えてくる。

著者が指摘するポイントは三つある。一つは偏差値の高い大学受験への競争の激化である、二つ目はは大学入試に合格すればあとは楽に卒業できてしまう大学の制度のあり方であり、三つ目は少子化の進行と大学数のズレ、である。それぞれが関連して、学力の低下というよりも「学力格差」が起きている現状の問題を著者は指摘している。

先ほども述べたが著者は「名ばかりの大学生」が誕生していることそのものを強く否定しているわけではない。当たり前だが、全ての大学生の学力が著しく低下しているわけではない。むしろ少子化や大学の経営体制の問題から昔の日本では大学生になれなかった人間までもが大学生になっていることで生まれている状況だといえる。

教育の機会を広げていく、という観点でみれば確かにこれは好ましいことだろう。問題はそこではなく、なぜ大学に入った学生が学力を維持・向上のために勉強しないのか、ということにある。

強い動機に基づいて、大学入試に向けて勉強に励む学生にとってゴールは「大学入試」である。夜遅く塾などに通う(通わさせられる)のも大学入試に向けてであり、そこには学問を究めたいという強い思いなどはほとんどない。むしろ子どもの意志よりは、親の期待の方が表面に現れているケースの方が多いのではないだろうか。

あるいは逆にまったく勉強をしてこなかった学生はどうだろう。地方の私立大学は学生集めに必至である。お金さえ準備できればほぼ無試験で入れる大学を探すことは難しいことではない。そういった学生が大学に入って勉強するだろうか。

結局の所、大学と私たちの社会の側が大学生に勉強をする動機を与えられていないことが一番の問題なのだろう。

著者はこれからの日本の将来を憂いて次のように書いている。

p179
根拠はないが、おそらく日本国は今後極めて幼児的な色彩を強めていくだろう。なにしろ大学は学ぶためではなく、入るために存在しているのだからそれも仕方ない。そして、目の前に勉強しない子供たちが大量に発生すると、背景を考慮することなく、定員を削減しろ、「ゆとり教育」が悪い、今の子供は甘えている、の大合唱である。当たり前のことだが、子供は育てたようにしか育たない。今の子供の姿は、私たちの価値観の写し絵である。

後半の部分が非常に重要な指摘だ。今の子供達が学校に、学問に価値を感じていないのならば、それはその親たちが同様に学校や学問に価値を感じていないことと同じである。
果たして社会の側にいる我々が「ゆとり世代」を責めることなどできるのだろうか。

もっとも大変なのは実はその「名ばかり大学生」の方である。何しろ勉強する動機も必要性も感じることなく、四年たてば学校から卒業しなければならない。その先に待っている社会は、ほのぼのとした日本の社会ではない。能力主義が謳われ、終身雇用が崩壊し、自ら学び、成長していかなければまともな職に居続けるのも難しい社会である。

エスカレーターに乗って社会のスタートラインまで運ばれたその先では、ジャングルのような荒野が拡がっている。そこでサバイバルできる能力がなければ「やっぱりゆとり世代は…」と批判されるのだ。こんな悲惨な事はないだろう。今の新入社員が「安定」を強く求める気持ちも十分理解できる。「安定さ」を欠いた社会で生きる術など何一つ学ぶことなく生きてきたのだから当然だろう。

社会に出るために必要な実力や能力があるとすれば、それをきちんと身につけさせることが教育として必要な機能だろう。そういった哲学や機能についての議論を抜きにして、学生を入学させて、卒業させる大学にいったいどんな意味があるというのだろうか。

日本の大学が社会の機能に見合った性質を備えるまでにはまだ時間がかかるだろう。そしてその間にも「名ばかり大学生」は生み出され続けていく。そんな社会に生きる大人にはいったい何ができるのだろうか?そういった事を考えさせられる一冊である。

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