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偉そうなことを言う人

少し前に、TVで中学の教師だったか高校の教師だったか忘れたのだが、その教師が言った言葉が強く印象に残っている。

「偉そうなことを言う奴は、『偉く』なきゃいけないんだ」

まさに、その通りだと思う。

その教師は、学校が終わってからも、夜の街の中で遊び、さまよう子供たちに声を掛けて回る。家に帰ってからも、相談のメールや電話でほとんど睡眠時間がない。

相談する子供達は、本当にその教師を信頼している、頼っている。
彼は丁寧な話し方をするが、「厳しく」接するべき時は、きちんとそれを行う。

もし、彼がただ電話に向かって人生相談をするだけの人間であれば、子供達がそれほど信頼をするはずがない。

自分の言動に責任を持ち、「偉い」ことをやっているからこそ、偉そうな言葉に力が生まれるのだ。

言葉、というのは関係性によってその力が変わってくる。言葉を受け取る人間が、その言葉を発した人間をどう感じているかで、まったくその力は変わってくる。

「認めている」人間の言葉であれば重きを置くし、そうでなければ素通りする。

悲しいかな、世の中には、素通りされる人間が多い。特に大人である。

会社の上司が、無能で、かつ、それを棚に上げて偉そうにする人間だったとしたらそれはかなり最悪なことだろう。

しかし、大人であれば、仕事場を変えるという選択肢を選ぶことができる。

が、もし自分が子供で、親がただ偉そうなだけの人間であったならば。想像しただけでもかなりつらいことであろう。自分がつらい状況であるということすら認識できないかもしれない。

少なからず、そういう事態は進行してきていると思う。そして、子が親となり、それは連鎖と名って続いてゆく。

少なくとも、自分自身に関しては一つの意志を持とうと思っている。
自分でできないことは他人に押し付けたりはしないし、まず自分でやってから、他人に任せる。

これは一つのルールとしてきちんと定めるべきことだと思う。

道義とか倫理観とか、言葉は何でもいい。「人間」というのは、「人」のDNAを持っていればそれで人間であるとはいえないと思う。共通で守ってゆくべき、規範(ルール)があるからこそ、人間であると思う。

人ということばと、人間ということばが二つ存在することからわかるように、日本語ではその意味が少し違う。

人とは、人そのものであるし、人間というのは、「社会」というものと少なからずかかわりを持つ者として定義されていると思う。

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すくなくとも、このBlogでは「偉そうな」ことは書いていないつもりだが、もし偉そうなことを書いているとしたら私の文章能力が著しく低いのであろう。もしそうであるならば、平謝しておく所存である。

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