ささやかな質問3 Posted on 2004 年 6 月 30 日2019 年 6 月 23 日 by Rashita Tag:ささやかな質問 ささやかな質問です。お気軽でも、お気重でも、お答えくだされば幸いです。「戦争」は必要悪でしょうか?、それとも世の中からまったく消え去っていくべきものなのでしょうか?
>w_interfaceさんコメントありがとうございます。 一応「戦争」というのは、国家という組織が双方であれ、一方であれかかわっている状態のことと想定しています。 もし、人類が、「戦争」を否定できないとするならば、それは「必要悪」ということになりませんか?
結論から言いまして「必要悪ではない」かと。 暴論かもしれませんが、「戦争をするから人間」かと。「戦争してしまうのが人間」といえばソフト。従って、戦争は消えないと思う。人が人である限り。 戦争を必要悪とするなら、人類の存在そのものが悪ではないかと。でも、善悪の判断って、唯一の存在(=人類)にはできませんよね。自分と、何らかの対象があってはじめてどちらが善で悪かの判断ができると思う。世の中に自分しかいなかったら善も悪もないはず。 んー、うまく言えませんが、戦争は単なる「必然」であってそこには悪も善もないのではということです。
>timbalandさん コメントありがとうございます。 戦争は単なる「必然」であって そこには悪も善もないのではということです。 という意見、だいたい私も同じ考えです。しかし、それを踏まえたうえで、次のステップにつなげることができないか、と最近考えています。
戦争、、、、 [Blogならではの提案] 「戦争は必要悪か?」ですか。 どうでしょうね。 歴史的に、現実的に見れば 善か悪か以前に、やらねばならなかった、という戦があったと思う。 それは民族を守る為だったり、家族を守る為。 あるいは自己のアイデンティティを守る為。 そこには受動的な意味合いが含まれる。 ただ、表向き相手に先制攻撃をさせてお…
戦争は、一つの手段に過ぎないと思うのです。もっとも明確で、かつ安易な意思表明の・・・。(戦争=戦闘行為、暴力と言う定義になりますけど)別の手段とか、回避方法はあるのかも知れない。それでも歴史を見てみれば判る通り、戦争はなくならない・・・。性なんでしょうね、人間の。 でも、それが必要なのか?と言う点では別問題かと。もっとマクロな、生物学的にとか、経済学的に見た場合には刺激として働くとか、そう言う意味で何らかの意義は見つけられなくは無いのでしょうけど。。。
>w_interfaceさんコメントありがとうございます。 >戦争は、一つの手段に過ぎないと思うのです 私もその通りだと思います。が、しかし >それでも歴史を見てみれば判る通り、戦争はな くならない・・・。 性なんでしょうね、人間の。 つまり人間の歴史というものは、「戦争」というものを内包して成立してきたということはたしかでしょう。その人間の「人間性」のなかに、戦争というものが組み込まれている(つまり性ですね)という状態が「必要悪」と呼ぶべきなのではないかと私は思います。 ちなみに、「必要悪」は必要なのか、というのはまた別のお話です(笑)
必要悪かどうかは、後世の人が決めるだけであって、戦争があることは必然であるってことじゃないですか? 人間間の差・人種間の差・国の間の差があるからこそ、商売とかの流れが生じるのだし、差があるときは戦争という形をとるに過ぎないのだと思います。
>kaputさんコメントありがとうございます。 われわれは、戦争が必然という歴史を生きてきたということは確かです。 そして、これからもその流れに沿って生きていく必要があるのかどうか。その流れから離れるには一体何が必要なのか、なかなか難しい問題です。
いつもウチのBlogへご来訪くださり、ありがとうございます。つまらない内容かもしれませんが、ぜひまた来てやってください。戦争は尊い人命を犠牲にし、将来長く人々を苦しめることになりますから、あってはいけないこと、なくなってしまうべきものだと思います。ただ、結果的に見て必要悪という面も今までは「あった」というべきでしょう。その理由は一言や二言ではうまく説明できませんが……。
>ミスター投稿さんコメントありがとうございます。 >結果的に見て必要悪という面も今までは「あっ た」というべきでしょう。 その通りだと思います。そこを否定していては、新しい「何か」ははじめられないのではないか、そう考えております。l
おそらく戦争自体は「必要ではない」と思います。将来、戦争がほとんど起こらない状況も出てくるかもしれません。ただ、そのときはまた別の方法で対立が起きているでしょう。例えばそれは経済的なものかもしれませんし、文化的なものかもしれません。ただ、世界全体が仲良くしているなんて状況が来る可能性はほとんどないと思います。理由は……周りを見れば分かりますよね。人が集まれば仲が良い人も悪い人も出てきますから。「戦争以外の対立」も戦争と変わらないと見ることもできると思います。その場合は多分「必要である」というのが答えになります。 昔何かの本で「ヒトが同種で争うのは『天敵』がいないからだ」という趣旨の記述を見た記憶があります。それが本当かどうかは分かりませんが、何かしらの危険が降りかかればヒトは団結できるでしょう。それが良いかどうかは分かりません。
>碧豆さんコメントありがとうございます。 >何かしらの危険が降りかかればヒトは団結でき るでしょう。 実際直接目に見える形ではないにしろ、人類はいろいろな危機を抱えていると思います。人間がもつ「攻撃性」を昇華するためには、そういった認識が必要なのかもしれません。
まず、人間の自然体を考えると、争うという行為はごくごく自然なあり方なのだと思います。そこに倫理観が生まれた時から戦争は「必要悪」になったのではないでしょうか。経済や食料のコントロールによって相手国にダメージを与える事が新しい戦争の形態となるのでしょうか?やはり答えはNOですよね。軍事力での戦争はなくならないと思います。増えすぎた個体数は自然淘汰されるというのが自然界の掟ですが、それをしのぐ手段を得た人間はやはり人間の手によって淘汰されるしかないのかも知れませんね。戦争という手段が最良かどうかは別として。
>souljazzさんコメントありがとうございます。 >増えすぎた個体数は自然淘汰されるというの が自然界の掟ですが、それをしのぐ手段を得た 人間はやはり人間の手によって淘汰されるしか ないのかも知れませんね。戦争という手段が最 良かどうかは別として。 このことには、非常に多くの示唆される問題が含まれていると思います。しかし、少なくとも人口をコントロールするという手段が最良と呼べないということだけは、確かだと思います。
Trackback:ささやかな質問3 [ささやかな質問3] 面白そうな質問を見かけたので答えてみる。 善悪自体は人間の主観の世界の出来事になるので、それで物事を判断し語るのは難しい。ある人間にとっての善は別の人間にとっての悪なりえるので…。普遍的な善や悪が存在するのか、についての判断は保留。人間が普遍性を持つことが果たして可能かどうかについて疑念を持っているが…
>Umaさんコメントありがとうございます。 >例えば、世界共通の理念や目的が生まれれ ば、もしかしたら戦争はなくなるのかな?と思い ます。 おそらくそうでしょう。そして、実はわれわれはこの地球環境をいかにして守っていくかという、重要な共通の目的があるはずなんですが、あまりそれが意識されているような雰囲気が世界にはありませんね。
はじめまして。AB型倶楽部に参加させていただくことになりました。ご挨拶にうかがいました(^。^)戦争が必要悪かどうかっていうのはちょっとわかりません。でも、私は戦火の中にいる人たちがなくなる日がくるようにと願っています。権力や政治の象徴手段として尊い命が無作為に傷つけられることに対しては反対だとの意思を持ち続けたいと思ってます。
>てるてるんさんコメントありがとうございます。 >力や政治の象徴手段として尊い命が無作為 に傷つけられることに対しては反対だとの意思を 持ち続けたいと思ってます。 本当にその通りだとおもいます。そういう意思を強く持ち続ける人を少しでも増やしていくことが、「平和」への道のりなんだろうなぁという気がしています。
戦争は必要悪であるとは思います。 生物が生きるためには他の生物を阻害し、時には殺さなければならない。いくら「人」が他の生物より脳が大きいとはいえど、その本質はいくら進化してもやはり生物には変わりがないから。 しかし戦争を無くすためのプロセスは、戦争よりは必要であると考えています、なおさら我々が考える生物なのだから。
>minamimoemoeさんこめんとありがとうございます。 >しかし戦争を無くすためのプロセスは、戦争より は必要であると考えています、なおさら我々が考 える生物なのだから。 そうですね。もしわれわれが、他の生物よりも一段上に立っているとするならば、「考える」ことによって、戦争をなくしていかなくてはいけないのかもしれませんね。
何度も書きなおしたのですが、きれいごとばかりになっていってしまって・・・。(^o^;必要悪ではないと思います。なくなることもないのかもしれませんけど、無くなる努力を惜しんではいけないとも思う。人と人が闘うこと・・・論戦なら許せるのですが、人殺しとなると拒否反応が起こります。簡単に書くとこーなりました。(笑)
私は必要悪だと思ってしまうな。 突拍子もない発想で恐縮なのですが・・・。人間という生物のなわばり争いが、戦争だと私は思っています。一時期は、戦争も自然淘汰の一環だと考えたこともありましたが。人間も動物であるわけで、家という巣を作り、国というテリトリーを作る。そのテリトリーを守るため、戦争と手段をとらざるを得ない。そう考えるようになりました。故に必要悪だと。もちろん、感情レベルでは戦争を肯定などできませんけどね。前記のように考えることでしか、戦争を直視できないのかも。
>こころんさんたしかに、人間もなわばりを作り、それを争う動物であることは確かですね。そういう意味では戦争は人間のある意味で性質の一つかもしれません。 人間は全人類を絶滅させることができる、化学兵器を作り出すことに成功しました。いまでも、どこかの歯車がちょっとでも違った方向に動けば、一部の地域は「死滅」するでしょう。人間が人類の枠をすこし超えてしまったように思えてなりません。 しかし、長い人類史において、人間が持つ戦争を超越できるような哲学は生まれていません。そういう意味で、人は人を超えられるのか、というのが課題なのかもしれません。
必要悪ではないと思います。
まあ、「戦争」と言う言葉がどの状態を示すのか、どの視点から見た言葉なのかにもよるのでしょうが・・・。
無くなって欲しいのは山々ですが、恐らく戦争はなくならないでしょうね。
>w_interfaceさん
コメントありがとうございます。
一応「戦争」というのは、国家という組織が双方であれ、一方であれかかわっている状態のことと想定しています。
もし、人類が、「戦争」を否定できないとするならば、それは「必要悪」ということになりませんか?
結論から言いまして
「必要悪ではない」かと。
暴論かもしれませんが、
「戦争をするから人間」かと。
「戦争してしまうのが人間」といえばソフト。
従って、戦争は消えないと思う。
人が人である限り。
戦争を必要悪とするなら、
人類の存在そのものが悪ではないかと。
でも、善悪の判断って、
唯一の存在(=人類)にはできませんよね。
自分と、何らかの対象があってはじめて
どちらが善で悪かの判断ができると思う。
世の中に自分しかいなかったら
善も悪もないはず。
んー、うまく言えませんが、
戦争は単なる「必然」であって
そこには悪も善もないのではということです。
>timbalandさん
コメントありがとうございます。
戦争は単なる「必然」であって
そこには悪も善もないのではということです。
という意見、だいたい私も同じ考えです。
しかし、それを踏まえたうえで、次のステップにつなげることができないか、と最近考えています。
戦争、、、、
[Blogならではの提案]
「戦争は必要悪か?」ですか。
どうでしょうね。
歴史的に、現実的に見れば
善か悪か以前に、やらねばならなかった、という戦があったと思う。
それは民族を守る為だったり、家族を守る為。
あるいは自己のアイデンティティを守る為。
そこには受動的な意味合いが含まれる。
ただ、表向き相手に先制攻撃をさせてお…
戦争は、一つの手段に過ぎないと思うのです。
もっとも明確で、かつ安易な意思表明の・・・。
(戦争=戦闘行為、暴力と言う定義になりますけど)
別の手段とか、回避方法はあるのかも知れない。
それでも歴史を見てみれば判る通り、戦争はなくならない・・・。
性なんでしょうね、人間の。
でも、それが必要なのか?と言う点では別問題かと。
もっとマクロな、生物学的にとか、経済学的に見た場合には刺激として働くとか、そう言う意味で何らかの意義は見つけられなくは無いのでしょうけど。。。
>w_interfaceさん
コメントありがとうございます。
>戦争は、一つの手段に過ぎないと思うのです
私もその通りだと思います。が、しかし
>それでも歴史を見てみれば判る通り、戦争はな くならない・・・。
性なんでしょうね、人間の。
つまり人間の歴史というものは、「戦争」というものを内包して成立してきたということはたしかでしょう。
その人間の「人間性」のなかに、戦争というものが組み込まれている(つまり性ですね)という状態が「必要悪」と呼ぶべきなのではないかと私は思います。
ちなみに、「必要悪」は必要なのか、というのはまた別のお話です(笑)
必要悪かどうかは、後世の人が決めるだけであって、戦争があることは必然であるってことじゃないですか?
人間間の差・人種間の差・国の間の差があるからこそ、商売とかの流れが生じるのだし、差があるときは戦争という形をとるに過ぎないのだと思います。
>kaputさん
コメントありがとうございます。
われわれは、戦争が必然という歴史を生きてきたということは確かです。
そして、これからもその流れに沿って生きていく必要があるのかどうか。その流れから離れるには一体何が必要なのか、なかなか難しい問題です。
あ、なんか前の自分のコメント変でした。
差があるところに自然と戦争は生じるっと言いたかったわけです。
いつもウチのBlogへご来訪くださり、ありがとうございます。つまらない内容かもしれませんが、ぜひまた来てやってください。戦争は尊い人命を犠牲にし、将来長く人々を苦しめることになりますから、あってはいけないこと、なくなってしまうべきものだと思います。ただ、結果的に見て必要悪という面も今までは「あった」というべきでしょう。その理由は一言や二言ではうまく説明できませんが……。
>ミスター投稿さん
コメントありがとうございます。
>結果的に見て必要悪という面も今までは「あっ た」というべきでしょう。
その通りだと思います。そこを否定していては、新しい「何か」ははじめられないのではないか、そう考えております。l
おそらく戦争自体は「必要ではない」と思います。
将来、戦争がほとんど起こらない状況も出てくるかもしれません。ただ、そのときはまた別の方法で対立が起きているでしょう。
例えばそれは経済的なものかもしれませんし、文化的なものかもしれません。
ただ、世界全体が仲良くしているなんて状況が来る可能性はほとんどないと思います。理由は……周りを見れば分かりますよね。人が集まれば仲が良い人も悪い人も出てきますから。
「戦争以外の対立」も戦争と変わらないと見ることもできると思います。その場合は多分「必要である」というのが答えになります。
昔何かの本で「ヒトが同種で争うのは『天敵』がいないからだ」という趣旨の記述を見た記憶があります。
それが本当かどうかは分かりませんが、何かしらの危険が降りかかればヒトは団結できるでしょう。
それが良いかどうかは分かりません。
>碧豆さん
コメントありがとうございます。
>何かしらの危険が降りかかればヒトは団結でき るでしょう。
実際直接目に見える形ではないにしろ、人類はいろいろな危機を抱えていると思います。人間がもつ「攻撃性」を昇華するためには、そういった認識が必要なのかもしれません。
まず、人間の自然体を考えると、争うという行為はごくごく自然なあり方なのだと思います。そこに倫理観が生まれた時から戦争は「必要悪」になったのではないでしょうか。
経済や食料のコントロールによって相手国にダメージを与える事が新しい戦争の形態となるのでしょうか?やはり答えはNOですよね。軍事力での戦争はなくならないと思います。
増えすぎた個体数は自然淘汰されるというのが自然界の掟ですが、それをしのぐ手段を得た人間はやはり人間の手によって淘汰されるしかないのかも知れませんね。戦争という手段が最良かどうかは別として。
>souljazzさん
コメントありがとうございます。
>増えすぎた個体数は自然淘汰されるというの が自然界の掟ですが、それをしのぐ手段を得た 人間はやはり人間の手によって淘汰されるしか ないのかも知れませんね。戦争という手段が最 良かどうかは別として。
このことには、非常に多くの示唆される問題が含まれていると思います。
しかし、少なくとも人口をコントロールするという手段が最良と呼べないということだけは、確かだと思います。
Trackback:ささやかな質問3
[ささやかな質問3]
面白そうな質問を見かけたので答えてみる。
善悪自体は人間の主観の世界の出来事になるので、それで物事を判断し語るのは難しい。ある人間にとっての善は別の人間にとっての悪なりえるので…。普遍的な善や悪が存在するのか、についての判断は保留。人間が普遍性を持つことが果たして可能かどうかについて疑念を持っているが…
人類の存在としての葛藤がなくならない限り、戦争はなくならないと思います。
例えば、世界共通の理念や目的が生まれれば、もしかしたら戦争はなくなるのかな?と思います。
>Umaさん
コメントありがとうございます。
>例えば、世界共通の理念や目的が生まれれ ば、もしかしたら戦争はなくなるのかな?と思い ます。
おそらくそうでしょう。そして、実はわれわれはこの地球環境をいかにして守っていくかという、重要な共通の目的があるはずなんですが、あまりそれが意識されているような雰囲気が世界にはありませんね。
はじめまして。AB型倶楽部に参加させていただくことになりました。ご挨拶にうかがいました(^。^)
戦争が必要悪かどうかっていうのはちょっとわかりません。
でも、私は戦火の中にいる人たちがなくなる日がくるようにと願っています。
権力や政治の象徴手段として尊い命が無作為に傷つけられることに対しては反対だとの意思を持ち続けたいと思ってます。
>てるてるんさん
コメントありがとうございます。
>力や政治の象徴手段として尊い命が無作為 に傷つけられることに対しては反対だとの意思を 持ち続けたいと思ってます。
本当にその通りだとおもいます。そういう意思を強く持ち続ける人を少しでも増やしていくことが、「平和」への道のりなんだろうなぁという気がしています。
戦争は必要悪であるとは思います。
生物が生きるためには他の生物を阻害し、時には殺さなければならない。いくら「人」が他の生物より脳が大きいとはいえど、その本質はいくら進化してもやはり生物には変わりがないから。
しかし戦争を無くすためのプロセスは、戦争よりは必要であると考えています、なおさら我々が考える生物なのだから。
>minamimoemoeさん
こめんとありがとうございます。
>しかし戦争を無くすためのプロセスは、戦争より は必要であると考えています、なおさら我々が考 える生物なのだから。
そうですね。もしわれわれが、他の生物よりも一段上に立っているとするならば、「考える」ことによって、戦争をなくしていかなくてはいけないのかもしれませんね。
何度も書きなおしたのですが、きれいごとばかりになっていってしまって・・・。(^o^;
必要悪ではないと思います。
なくなることもないのかもしれませんけど、無くなる努力を惜しんではいけないとも思う。
人と人が闘うこと・・・論戦なら許せるのですが、人殺しとなると拒否反応が起こります。
簡単に書くとこーなりました。(笑)
>chibisaruさん
なくなることはないかもしれないけれども、なくす努力をし続けなければいけないっということですね。確かにそうだと思います。
私は必要悪だと思ってしまうな。
突拍子もない発想で恐縮なのですが・・・。
人間という生物のなわばり争いが、戦争だと私は思っています。
一時期は、戦争も自然淘汰の一環だと考えたこともありましたが。
人間も動物であるわけで、家という巣を作り、国というテリトリーを作る。
そのテリトリーを守るため、戦争と手段をとらざるを得ない。
そう考えるようになりました。故に必要悪だと。
もちろん、感情レベルでは戦争を肯定などできませんけどね。
前記のように考えることでしか、戦争を直視できないのかも。
>こころんさん
たしかに、人間もなわばりを作り、それを争う動物であることは確かですね。
そういう意味では戦争は人間のある意味で性質の一つかもしれません。
人間は全人類を絶滅させることができる、化学兵器を作り出すことに成功しました。
いまでも、どこかの歯車がちょっとでも違った方向に動けば、一部の地域は「死滅」するでしょう。人間が人類の枠をすこし超えてしまったように思えてなりません。
しかし、長い人類史において、人間が持つ戦争を超越できるような哲学は生まれていません。そういう意味で、人は人を超えられるのか、というのが課題なのかもしれません。