なぜほぼ日手帳を毎年使い続けるのか?

Lifehacking.jpのmehoriさんが、とても素敵なエントリーを書かれていました。

「なぜモレスキン手帳でユビキタス・キャプチャーを実践するか?」

記憶はお金におきかえることのできない名画です。そして手帳はそれをおさめる額縁なのです。何年経っても記憶が壊れることなく収納されていることを保証するために、多少高価でもモレスキン手帳を使うのが自分のスタイルになっているのです。

人の記憶はすぐ消えていきます。しかし、記憶はその人の歴史の一部でもあります。

自分の中にありながらも、自分が見つけ出せないもの、それが感情や思いです。
その記憶をしっかりした手帳で保管してきたい、という考えには大変共感します。

私はノートや手帳の類いが好きなので、「モレスキン」には以前からあこがれを感じています。それと同時に買わないだろうな、という印象も持っています。もちろんそこには値段が高いという理由もあるわけですが、このエントリーを読んで、はっと気がついたことがあります。

それは、私は「ほぼ日手帳」が好き、ということ。

mehoriさんが感じているであろうモレスキンへの愛情と並ぶかどうかはわかりませんが、私なりに強い愛着を「ほぼ日手帳」に感じている事は確かです。

私は自分の行動記録や考えた事、感じた事を「ほぼ日手帳」に記録しています。おそらくmehoriさんも近い使い方をされているのではないでしょうか。

だから、「なんとなく必要無い」と感じているのでしょう。そういう大切なものを記録する物は一つだけあれば十分だと思います。

「私」を振り返れる

思い返してみると、もう6年もおなじ手帳を使ってきました。いろいろ試したがる私としては珍しいことです。自分の中にある感性と通じるものがこの手帳と、その後ろに控える「糸井重里事務所」の方々の中にあるのではないか、と勝手に想像しています。

私の手帳は私自身の歴史を刻んでいます。行動した事や考えた事、どんな感情を持ったか、ということが文章だけではなく文字の形からも見えてきます。3日ほど空白の日があれば、恐ろしく忙しかった事を思い出します。いつもと違った色のカバーをみて、「確か心機一転頑張ろう」と考えていたことも記憶によみがえります。

ほぼ日手帳のコンセプト

今年から「カズン」というA5サイズになっていますが、「ほぼ日手帳」が持っているコンセプトにずれはありません。
それは「一日を楽しくすごそう」というシンプルな哲学です。

このシンプルな哲学をキープしながらも、ユーザーの声を聞いて少しずつ進化してきています。

大切な贈り物

歴代の手帳を並べてみる事で「ほぼ日手帳」の変化も眺める事ができます。そういった「一緒に歩んでいる感じ」もこの手帳を長年使っているときに感じる良さの一つでもあります。

時間が経てば立つほど、こうして残した感情の記録は大きな意味合いを持ってきます。それは何の手がかりもなければ思い出す事すらままならないほど脳の奥の方にしまわれているからです。

情報が溢れかえっている現代社会ならば、なおさらその傾向が強まるかもしれません。クラウドで、ユビキタスで私たちはますます情報に囲まれ自分の感情から遠ざかってしまいがちです。

そういう時代だからこそ、感情の痕跡を残していく事は大切だと思います。それが「モレスキン」であれ「ほぼ日手帳」であれ、自分の愛着の感じる物に歴史を刻んでいく行為は、未来の自分への贈り物といえるのではないでしょうか。

編集後記:
最近こういった事を強く考えさせられます。このブログもそろそろ軸足を定めなければいけないタイミングになってきていますが、大きな柱として「クラウド時代のアナログ力」というテーマを掲げようかなと思っています。
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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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