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「階段職人」という生き方

例えば、今あなたは標高0mの地点にいるとしよう。
そして、あなたが目標としているポイントは地上3000mの地点だとする。

さて、そこまでどうやって上がるか。

もし、上の方から3000mのロープが垂れ下がっているなら事は簡単だ。
自分の握力が続く限りそのロープをのぼり続けていけばよい。

しかし、そんなロープがなかったらどうすればよいだろうか?
誰かが引っ張り上げてくれるまでひたすらそこで佇んでいればいいのだろうか。

日本が戦後から高度経済成長を遂げバブルのまっただ中に突入するまでは、「普通の人」はそんなロープをつかむ必要すら無かった。エスカレーターの最初の一歩さえ踏み外さなければあとはある程度の高さまで登ることができた。

他人よりももう少し高いところまで登りたい、そう願う人は垂れ下がったロープを探してそれを懸命に登ることでそこに到達することができた。当然ロープを登ったことにより握力を付けることができるので、そういう人たちはエスカレーター組よりは「スゴイ人たち」扱いされていた。

で、今の日本だ。

エスカレーターの大半は故障し、ちゃんと上までいける物の数は激減してしまっている。今ちゃんと動いているようにみえる物でもいつ止まるか誰にも分からない。

ロープは未だに健在だ。でもそれをつかもうとする人は増えており、誰でも握力があれば頂点にたどり着けるわけでは無くなっている。昔はロープを使って上に登った人は新しいロープを垂れ下げたものだが、今では自分が登ってきたロープを切り落としてしまう人すら珍しくない。

とりあえず、今はそんな社会なのだ。

そんな社会での生き方はどうなるだろうか。

一番簡単なのは上に登るのをあきらめることだ。そうすればしんどい思いをする必要もないし、誰かと争う必要もない。でも多分、いつもどこかに「物足りなさ」を感じてしまうかもしれない。

もう一つの方法は、階段を作ることだ。自分で階段を作って上を目指す。

階段というシステムは非常にシンプルなシステムだ。
この一段よりは次の一段が少し高くなっている。その次の一段もまたちょっとだけ高くなっている。そうして少しずつの差を重ねていくことで一歩ではたどり着けない高さまで登ることができる。

まず、自分の今できることで一段目を作る。その一段目に登って、次は少し高い段を作る。それを登って更に一段、更に一段と進めていく。

多分それは、簡単な事ではない。握力がある人ならばロープを登った方が遙かに早い。でも、ロープと違って階段は途中で休むことができる。10段なら10段の高さを作ったところで、「よっこいしょ」と腰を下ろして休憩を取ることができる。休憩を取ったとしても次の一段を作ることができれば、またほんの少し高い所に登れる。

多分、その作業では一生で3000mにはたどり着かないかも知れない。そんなことは効率悪すぎると誰かに揶揄されるかもしれない。

しかし、自分が自分のために作っている階段は常に先頭が自分だ。それは誰かとスピード競争することでも、高さを競い合うことでもない。途中で目指したい方向が変われば、また別の方向に階段を積んでいけば良い。

今の社会は、エスカレーターの多くが故障してしまった代わりに、こういった生き方もできるようになってきている。それは他のルートを選んで上に登ろうとしている人からはきっと理解されないものかもしれない。でもこれはこれで意味があることだろうと思う。

しっかりと積み上げられた階段は後から続く人が登っていくことができる。もし自分が止まってしまっても、後続者がさらなる高みを目指すこともできる。そして、その作り上げられた「階段」自体が一つの作品として評価される、そんなこともあるかもしれない。

ただじっと座っている、必至にトップを目指してロープをたぐり寄せる、そういった選択肢から外れた生き方について考えてみることも、これからの日本社会では重要になってくるのではないか、そんな気がしている。

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