今、日本が抱えている問題の多くは、このことが原因ではないかと思う。
つまり、タイトルの通りだ。
科学技術、医療技術、雇用体制、国際情勢、様々なものがここ20年間で大きな変化が起こっている。良い悪いにかかわらず、その変化は避けがたいものである。
PCの普及ということよりも、ネットの普及ということのほうが、われわれの生活に与えた影響は大きい。法整備をおこなう政治家達が、ネットというものを正しく理解していない限り、さまざまな問題は解決しえないであろう。
理療技術の進歩は、寿命を延ばすとともに、脳死問題、クローン、そして高年齢化社会という問題を提出した。
経済の低迷から起こった、リストラによる雇用体制の変化、つまり正社員からフリーターへの転換。これは、法整備の甘さ、社会認識の低さということを浮き彫りにした。
アメリカ一国主義、国連の力不足、北朝鮮、中国、さまざまな国の中で、日本国も「国際的な協力」というものを実行せざる得なくなってしまった。
こういった問題の多くは、「準備不足」であったといえる。
変化が訪れるスピードが今までに比べて、格段に早いことによって、何の準備、議論もできないまま、ただ変化だけがやってきて、その変化から生じる問題だけに視点がとらわれてしまい本質的な議論が起こりづらい、という状況があると思う。
たとえば、少子化が年金問題に深くかかわっている、というような意見がある。
それは確かに間違いない、がそんなことはいまさら議論されることではない。
人口の推移について正確な数字を持っている政府なら、少子化というのはもっと前から認識しているだろうし、それが年金に与える影響はかなりのバカでない限りはわかるであろう。しかし、官僚達はこう思ったのではないか
「まだ、大丈夫」と。
少子化というのが、年金が抱える問題ではない。少子化という状況が年金が抱える問題を明らかにしただけなのだ。
年金が立ち行かなくなりつつあるのは、いくつかの原因があるとされている。
が、そのいくつかは、社会的に避けがたい状況で生まれたものであるし、それ以外は、制度そのものの欠陥、官僚の手抜き、時代にマッチしないシステム、といった解決可能な問題である。
多くの大人たちに欠けている感覚は、時代はもうどうしようもない変化の渦に巻き込まれているということである。それは人間の認識をたやすく超えていく。
教育問題もそうである、核家族化の流れは止まらない。そういった中で、教育を(育児を含めて)社会全体が支えていくという認識が必要なはずである。
個々の問題についてはまた別のエントリーで書いていきたいと思う。
とりあえず、いえることは今までのやり方では通用しないとしっかりと認めることである。昔はこのやり方で成功していたから、というのはもう一切通じない。
新しい時代への変化に合わせた、新たなシステム作りというのが、今切実に求められている。そしてそれを行わなかった場合のコストはまったく想像のつかないものになってしまうだろう。