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戦争を否定する力

6月も本日が最終日なので、この一ヶ月で考えたことをまとめていきたいと思う。

■現状の認識
日本という国の国防は、その大部分がアメリカに依存している。
もちろん、アメリカ側にも日本に基地を置くメリットはあるので、相互依存と言えなくはない。が、日本政府の発言力の弱さ、影響力のなさ、から考えても、アメリカに「守ってもらっている」という認識はそれほどの誤りではないと思う。

日本国憲法前文より一部抜粋
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
同じく、9条より
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

われわれは、この憲法の下に生きている限りは、戦争を放棄しなければならない。
ごく単純な解釈ならば、軍隊を保有することもできない。

以上が、日本国の現状である。

■人類の歩んできた歴史

特定の国、地域を除いて、おそらく大小問わず絶え間なく戦争というものは続いてきたのではないか。戦争の始まりは、国家、宗教、というものの始まりと期を同じくするはずである。数えきれないくらいの人間が殺し合いを続けてきた。
おそらく1900年代になってからだろうか、「戦争」反対の声が大きくなってきたのは。
それまでは、「戦争」はあって当然のものとして扱われてきたはずである。

なぜ、「戦争」を反対する声が大きくなってきたのか。人々が理性に目覚めてきた、というのではない、国家に対して自由に意見を述べることができる環境ができた、というのでもない。「戦争」に使われる科学技術があまりにも進歩してしまったからであろう。

「核」というものは、本当に恐ろしいものである。人類はいまだに核エネルギーを完全にコントロールできてはいない。人体だけでなく、環境に与える影響もすさまじい。
歴史の上で戦争が始まった頃では想像もつかないほどの人間を簡単に殺すことができるようになってしまった。どこかの歯車が、変な方向にかみ合ってしまったら、一つの国が滅びるというのも、SFの世界ではなくなった。
殺し合いの環が大きくなってゆけば、人類が「滅びる」ということも、笑い話ではない。

■ 戦争の定義 正義と悪
戦争とは国権が発動する争いである。
そして、「正義」と「正義」同士の自らの生存をかけた争いである。
愛国心、宗教心、が国民の心を蔽い隠し、自らの想像力を奪う。
自らが「正義」、他方が「悪」という線引きをおこなうことによって、実際に戦争の現場で行われている現状を全て「正当化」する。
メディアが正常に働かない限り、民主主義というものは、正常に機能しない。

唯一絶対の「正義」とはなんであろうか?
民主主義でないことは確かだ。どこか一つの宗教でもない。もちろんどこかの大国でもない。
私が考える「正しい」という言葉は
個人が自らが望む生き方を得られ、他人(組織・国家を含む)によってそれを侵害されない状況
ということである。
それを守るためならば「正義」と言っていいと思う。

本当ならば、「正義」という言葉を使いたくない。
「正義」という言葉は、思考を停止させる恐れがある。
しかしながら、人間という生き物は「正義」と「悪」を求める。それらは避けがたい欲求である。だとすれば、一番無難な「正義」の定義を選択しておいたほうが良いと思う。

そして、「正義」を行うためならば、何だって正当化されるという理論は一度完全に白紙にすべきである。その思想が一番危険である。警察官だってやっていいことと悪いことがある。そんなことは当たり前である。

■戦争を否定する力
以上のことから考えてみた場合、われわれ(つまり日本人)は「戦争」にどう対峙すべきであろうか。すくなくとも一番やってはいけないこと、それは「戦争」を無視することであろう。
第二次世界大戦(大東亜戦争)の敗戦国であり、唯一の被爆国である日本。その国民が「戦争」に対して無関心であるというのは、親が子供の教育に無関心であるということよりも悲しいことである。

日本国憲法がどのような背景で成立されたとしても、「戦争放棄」の理念は進歩的であるといわざる得ない。それが現状からみていかに理想でしかなくても、その理念の下で作られた憲法というのは大変貴重である。
戦後直後の日本とアメリカの関係がどうであって、アメリカがどのような思惑を持っていたのか、私は直接知ることはできない。
しかしながら、そこには一つの理想郷への道が示されていたような気がする。

われわれが、まず一番最初にすべきことは、この憲法を守るのか、それとも変えるのかの選択である。憲法上明確な武力を持たずにいくか、それとも自衛隊を「軍」としてみとめるか。
そして、ここで大きなジレンマにぶち当たる。
「恒久なる平和」を望むためには、「軍」を持たなければいけない。

このある種の矛盾を受け入れないならば、我が国は「軍」を保持できない。
できない、というよりも積極的に保持しない、という選択である。
そうなってきた場合に、アメリカ一国による我が国の国防というあり方は見直さなければいけないであろう。

現在の状況ではとてもアメリカが、恒久なる平和を実現しようと努力しているとは思えない。彼らは、知ってか知らずか戦争の種をあちらこちらにまいている。
我らは、そのことにSTOPをかけなければいけない。しかし、現状ではとても無理である。政治家の手腕うんぬんかんぬんの前に、日米安保条約が大きくのしかかってくる。

となると、われわれは別のところに安全保障を求めなければいけない。自らの国以外に国防を依存しなければ「平和」に向けての発言ができないというのが、現状である。
そういった場合には、アジア主体の共同体というのが一番可能性があるだろうか。
構図としてはアメリカ⇔アジア諸国という感じである。
こうなれば、
われわれもアメリカに対して発言力を持つことができるかもしれない。
もちろん、無視される可能性も大いにある。

では、日本が「軍」を有するように憲法を改正した場合。
憲法の前文での平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してという前提部分が崩れてしまっている状況である。われわれもきちんと発言することができるポジションを得ようというのはそんなに間違いではないように思える。

しかし、先ほども述べたが、これには「戦争を否定している国が戦争をしなければいけない」という状況を生みかねない。これはある種滑稽であるようにも思える。

しかし、ながらこれはどうしようもない真実なのである。

戦争を否定するためには、力が必要である。
それも大きな力が。

その力というのは、単純に武力ということだけではない。経済力も十分に力になりうる。
もし、これからの社会のなかで、日本という国がどうしても必要だと思われるような状況になった場合、われわれは強い発言力を持つであろう。
日本がハードなりソフトなりで、重要な技術力をもつというもの、目指すべき選択肢の一つであると思う。

「戦争反対」だ、だからアメリカは戦争をやめろ、というのは簡単である。
「戦争やむなし」、日本も軍事力の整備を、というもの簡単である。

この両者はまったく反対の意見を言いながらも、他人事的視点という点ではまったく同じである。戦争が大きな力の流れであること、あるいはその悲惨さ、そういうことがまったく考えられていない。

想像力の不足というのは、こういうことをいうのだろう。

つまり、ただの「現状追認」も「現状否定」もまったく問題の本質を捉えていないということにつながっている。

「ささやかな質問」で戦争は「必要悪」であるかどうかを皆さんに質問した。
非常にいろいろな答えが返ってきて、私の頭の中は大変刺激を受けた。

私自身は戦争反対なのか、戦争やむなしなのか、考えてみた。

すさまじく悲惨な戦争の現状。毎日のように新聞の上に踊る死傷者の数。
それらを見ているとひどく心が痛み、戦争なんてやらなきゃいいのに、と思う。

しかし、北朝鮮との、日本国の対応を見ていると、われわれもきちんと軍事力を「明文化」すべきだなーとも思う。

ひどい矛盾である。

戦争で無残に死んでいく人をみて、喜びに打ち震える人はそんなにいないであろう。
また、北朝鮮の言いなりになってOKと思う人もまた、そんなにたくさんはいないであろう。
多かれ少なかれ、人々はその両極端の心理の中間地点を、時々ぶれながら進んでいるのではないかと思う。

今までは、その中途半端な状態が許されていた。
モラトリアム。

しかしながら、その決断を先延ばしする行為が、日本にどのような影響を与えてきたのか。

どういった方向であれ、われわれはきちんと道を定めなければならない。
今まで何とかなってきたから、これからも何とかなるという方法論はそろそろ通じなくなってきている。

もし、われわれが幼い子供であったならば、私はあなたの手をつなぎ、あなたはまた別の人の手をつなぐ。そしてその環が世界中をめぐりめぐって私の手に帰ってくる。それで満ち足りた世界が出来上がるはずである。

しかしながら、われわれの大半は大人である。価値観を持ち、守るべきものを持ち、国家を持ち、宗教を持ち、文化を持ち、偏見を持ち、友人を持ち、仮想の敵を持ち、悲惨な状況を作り武器をたくさん持っている。

われわれは手を差し伸べるだけでは、解決しない問題がたくさんある。
しかしながら、手を差し伸べる行為がまったく役に立たないわけでもない。そういった行為でしか解決できない問題もあるだろう。憎しみの連鎖は、更なる憎しみを生む。
時には、剣をその手に握り、時には、誰かの手を握る。

微笑みながらその手をつなげるような未来が、われわれに待っていないとしたら、それは地獄としかいえないだろう。
そのような未来に、われわれの子孫を送り出さざる得ないような状況にだけは決してしたくない、と私は強く思う。

長くなってしまいました。最後まで読んでくれた方、お疲れ様です。

この記事は、「ささやかな質問」への返答と以下のBlogに大変触発されました。
ありがとうございます。

sivuchさん[戦争の防ぎ方]
cdtさん[[TB]戦争の防ぎ方]
taroboy22さん[誰にだってできること]
showさん[イラク主権移譲]
minamimoemoeさん[小泉首相、集団的自衛権の行使に賛成意見]
wouldbeさん[帝国を壊すために]

10件のコメント

  1. 「個人が自らが望む生き方を得られ、他人(組織・国家を含む)によってそれを侵害されない状況」

    たとえばヒットラーにとっての正義をこの言葉で当てはめた場合、それはそれで怖いことに。ヒットラー的な人ばかりになった場合、この言葉は他人に対して悪意を剥いてしまう。

    理想とされる所はわかるのですが、言葉とはかように曲解されかねない部分もあると認識しています。かといって他人を侵害しない状況を正義としてしまうのもまた危うい。

    そんなことをつい考えてしまいました。駄文失礼 (_o_)

  2. アメリカは第二次大戦を「民主主義vs全体主義」という陳腐な「正義」を打ち立てて大成功しました。
    そして現在も「民主主義を守る為」みたいな「正義」を前面に打ち出しています。
    そういう中で、Rashitaさんのおっしゃる
    「個人が自らが望む生き方を得られ、他人(組織・国家を含む)によってそれを侵害されない状況」には、はっとさせられました。
    戦争で軍民200万人が連合国に無惨に殺され、一番「戦争」についてつきつめて考えなければならない日本人が、戦争に関心を持たない。
    持ったとしても、「戦争はとにかくダメ!」で思考停止。軍事は米国に任せ、日本は経済発展に邁進。
    このような状況のなかで、日本はこれからどこへ行こうとしているのか。
    子孫の為にも、政治の中枢にいる人が国家100年の大計を打ち立てる位の気構えを持って欲しいと願うばかりです。

  3. >Hiyohiyoさん
    鋭いご指摘ありがとうございます。
    定義が言葉足らずでした。

    (他人の生き方著しく損なわない限りにおいて)個人が望む・・・

    とでも、したほうがよりよいのかもしれません。

    確かにヒットラーは自らの望む生き方を貫いていきましたが、その下では何人もの人々が、まともに生きる権利を剥奪されて、成立してきたのですから、彼に「正しさ」をあてはめるわけにはいきません。

    あんまり前提条件をつけると文章がややこしくなるんで避けたいんですが・・・。何かすっきりした、「正しさ」の定義ってないですかね。もちろん無害な。

  4. >cdtさん
    どうも、コメントありがとうございます。
    「国家100年の大計」ですか。いいですね。いい響きだ。そんな言葉をきかなくなってどのくらいたつんでしょうか?
    今の政治家達は50年先の未来すら見据えられずに、あたふたしながら舵を取っている姿は、滑稽を通り過ぎて哀れです(言いすぎかな、ちょっと)。

    おそらく、本当にがんばっている政治家さんたちもいると思うので、その人たちが、将来かつくできるような政治的環境が整えばいいと思います。とても強く。

  5. 2ヶ月遅れで読ませて頂きました汗。広島に行く前に読ませて頂いたらよかったのにと後悔しております。・・・・大変勉強をさせていただきました。確かに、正義=思考停止ですね。この方式はかなり身をもって知りました。戦争反対と言っていれば、正しいというのは間違っているとほとほと思いました。それで戦争が止まるなら、ベトナムも湾岸もイラクも無かったと思います。集団や組織団体は、個人と個人が社会に対する意識を常に持っていれば、起こす必要も無いものだと私は考えております。

  6. >tubakiさん
    どうも、わざわざ読んでいただいてありがとうございます。
    自分でもどんな内容かいてたのか忘れてたので読み返したら、誤字脱字を発見してしまいました(汗)

     >個人と個人が社会に対する意識を常に持っていれば

    このことは非常に重要なことだと思います。しかし、ほとんど片隅に置かれているのが現状です。

  7. 「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、
    それに執着することである」 by吉田健一

    私の好きなCDのタイトルです。

  8. ・・・現状はそうですね。しかし私は思うのです。私の周囲や、Rashitaさんの様にこうして社会を意識されている方がいること。
    それが現実だと思っています。

  9. >Asougiさん
    そうですね、世界中の人々が、自分の人生を美しくすることにこだわることができるのなら、戦争なんてしている暇はないですね、きっと。

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