4-僕らの生存戦略

日本の何がかわったのか あるいは働くということ

きっかけは@shimoyamaさんの「モチベーションはどこから? 不安な競争社会から安心して成長できる社会へ」というエントリー。そして、それに反応した@kazumotoさんの「ルールが変わったんじゃない、競技が変わったんだ。」エントリー。それにさらに連鎖反応をしてエントリーを書いてみたいと思います。

この辺のテーマは私の最近の関心事の一つなので、とりあえず絡んでみます。

まずは、先の二つのエントリーをお読み下さい。

ちょっと章立ててみたら7章6000字以上になりそうだったので、今回は簡単に自分の考えなどをまとめる程度にとどめておきます。

では。

モチベーションはどこから?

「人はなぜ働くのか?」
この文章は二つの意味に取ることができます。それは

「どのような理由で働くのか」
「なぜ働く必要があるのか」

の二つです。同じような質問に見えますが実際は違います。今の日本社会ではわかりにくいかも知れませんが、前者は個人の動機、後者は社会の構造に由来するものです。
まず、これを分けて考える必要があるでしょう。

仕事で得られる物

これはまず金銭です。しかし、ボランティア活動は「仕事」に入るのでしょうか、入らないのでしょうか。この辺りも日本社会では曖昧です。この曖昧さと上の「人はなぜ働くのか?」という問いの曖昧さには関連があります。

達成感、人から認めてもらえる、社会上の地位、エトセトラ・・・と仕事で得られる物は金銭以外もあります。しかし、ほとんどの労働者は生活の糧を得るために働いています。その「動機」の中で金銭は非常に重要な地位を占めていて、そのほかが見えにくくなってしまう状況が生まれているのかも知れません。

社会のルールはどうかわったのか

@kazumotoさんは今の日本はルールではなくゲームが変わったとおっしゃられています。

確かにその指摘は正しいと思います。ただ、そのゲームをサッカーと指定されていますが、私はそのようには感じていません。むしろ、各々が自分のゲームを選べるようになった、というのが現状だと認識しています。
つまり、生き方のルールが変わった、ということです。単一のゲームに皆で参加する必要が無くなった、ということです。

この現状が日本の問題を難しくしている原因だと思います。

宗教観と労働

同じく@kazumotoさんが村上憲郎氏を引いて、キリスト教上の労働観と日本のそれを比較されています。日本において人の価値観を規定する宗教が存在しない事は確かです。であるがゆえに、客観的価値を持つ「お金」というものが信奉されたのは驚くべき事ではありません。

そして、今の日本を包む閉塞感もこれに関係してきます。バブルの頃に祭り上げられた「拝金主義」もあっさりと否定され、それに変わるものが提示されていない、それが日本の現状です。それに加えて先ほどのルールの変更です。

単一のゲームに参加しているならば、統一的な価値観の提示は比較的容易です。しかし、今は個人ごとでクラスタを作り参加するゲームを選ぶことができます。そのような状況で、宗教抜きに単一の価値観を提示することなど不可能です。この打開策が見あたらないことが、おそらく日本の閉塞感となって現れているのではないでしょうか。

お金のために働くのは「悪い」こと?

お金のために働くことはそんなに悪いことでしょうか。お金のために働くこと=「世の中、金だよ、金」つまり拝金主義に繋がるのでしょうか。資本主義社会の中で、金銭の発生はすなわちその仕事の価値の発生ということになります。それを否定することはできるでしょうか。

いくつか言えることがあるとすれば

・お金のためだけに働くのは虚しい
・お金以外の価値もある
・収入よりも使い方にその人の価値観が宿る

ということです。

お金以外の何か

人がお金に対して大きな価値観を置く理由を@shimoyamaさんは

最も大きいのは「お金がないと不安だ」という気持ちなのかもしれません。

と書かれています。

確かにそうかもしれません。日本は昔に比べて「豊か」になりました。そして今の世代は「豊かさ」がすでに前提条件になっています。人は文化レベルの切り下げに非常な恐怖感を覚えます。それがお金を失うことの不安に繋がってくるのかもしれません。

それは見方を変えれば、お金にかわる価値を知らないということになるのかもしれません。お金とは本来は物の交換を円滑にする一つの「道具」でしかありません。しかし、いつからかお金そのものに価値が生まれてきた、という歴史はあると思います。

昔はお金が代表するものは「豊かさ」でした。それを求めて懸命に働く姿は美徳とされてきたはずです。しかし、いつからか「豊かさ」は達成され、当たり前になってしまいました。本来は物的な豊かさを満たした時点で一度仕切り直す事が必要だったのでしょう。しかし恐るべきスピードで成長した日本社会にそういった「ゆとり」はまったくなかったのだと思います。そして「豊かさ」を置き去りにした「お金」だけに価値を置かれる結果になってしまった。そんな風に日本の戦後は進んできたのではないでしょうか。

まとめ

現代において「働くこと」はじっくりと向き合う必要がある問題の一つです。そこには当然のように「お金」の問題が絡んできます。何かを得るために得る物でしかないお金が、いつしか大きな価値を置かれてしまいました。

今の日本は、そう言った意味で大変混乱していると思います。

本来は最近読んだ文献も含めて考察していきたいところですが、まとまった時間が取れないためほぼ雑文といった形式で自分の考えを書きました。

書いてみて改めて感じたことは

「この問題は根が深い」

ということです。もっと本腰を入れて考えてみたいと思います。

このエントリーのきっかけをいただいた、@kazumotoさん、@shimoyamaさんどうもありがとうございます。

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