時事ニュース

「激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」の雑感

2010年3月22日午後10時から放送された NHKの放送記念日特集「激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」は非常に興味深い内容であった。

有識者を集めた討論を行う、ということでテーマは以下のようなものだ。

今後、マスメディアはどう変革していくべきなのか。変革するためには何が必要なのか。そして、それは私たちの暮らしにどんな影響を及ぼすのか。世界のメディアの最新状況を伝えるVTR取材と、有識者によるスタジオでの討論をもとに、ネット時代のマスメディアのあり方について考える。

ちなみに、有識者は以下のメンバー。番組中でも座り位置で明確だったが番組側が想定していた対立軸がはっきりとわかるメンバー構成だ。

<ゲスト>
●日本新聞協会会長   内山斉 (読売新聞グループ本社代表取締役社長) 
●日本民間放送連盟会長 広瀬道貞(テレビ朝日顧問) 
●ドワンゴ会長     川上量生 
●ITジャーナリスト  佐々木俊尚
●学習院大学教授    遠藤薫  
●NHK副会長     今井義典 

マスメディアとネット。この対立軸からネット時代のマスメディアのあり方を模索するというのが試みであったのだろう。

また、それに関連した動きとしてUSTで番組にツッコミを入れるという企画も動いていた。
視聴された方も多いかも知れないし、あるいは存在だけは知っているという方も相当数おられるだろう。

切込隊長さんの「NHKハッシュタグ問題に関する私見(告知あり)」を見れば大体わかるが、

“革命的Ustream放送”「激笑 裏マスメディア~テレビ・新聞の過去~」の裏側 (1/2)(ITMedia)

も参考になるだろう。私自身はNHKの放送とUSTを同時に視聴し、その後しばらくはUSTも追いかけていたが、途中で断念した。ITMediaの記事を見ると30分ほど中継が途絶えていたそうだが、そのタイミングで「あぁもう寝なきゃ」ということで眠りについた。

というわけで、この裏USTについてはあまり言うべきことを持たない。強いて言えば、
・飲み会の中継(それはそれで面白い)
・特定の人飲み過ぎ(エビス美味しそう)
・毒舌家二人は多すぎた?(誰とは言うまい)

程度の感想があるばかりだ。試みとしては面白かったし、技術的な問題点も今回の事例で明らかになっただろうから、今後の展開にはますます期待ができると思う。

以下は雑感ながら「激震 マスメディア ~テレビ・新聞の未来~」の番組内で語られていた事を考えてみたいと思う。
※長文注意

並行世界

まず、討論の内容についてだが「かみ合ってなかった」の一言に尽きると思う。私が言うところの「かみ合わなさ」には二つの意味合いがある。それは

  • そもそもの「新しいメディア像の方向性」
  • 住んでいる世界

である。

ITジャーナリストである佐々木氏の意見は始終コンパクトで適切な意見だった。その根底は「既存のメディア」は必要ないかも知れない、という考えだろう。あってもいいし、無くてもよい。逆にテレビ・新聞側はまず自分たちの企業が現状の規模で存在して当然、ということから話が始まっている。

まず、このすりあわせが行われて然るべきだが、そういった根本的な討論がまったくなかったので、意見はどこまでも平行線をたどっていた。

もう一点は、川上氏の「言葉遣い」である。おそらく川上氏はごく普通の言葉遣いをされていたのだろう。もしかしたらテレビ向けにある程度開いた言葉遣いだったのかもしれない。しかしながら、川上氏が語る言葉を、新聞・TV側の人々は正確に受け取れていたとは思えなかった。特に「違う国」という言葉は、川上氏が伝えたかったイメージはまったく伝わっていなかったのではないだろうか。

「違う国に住む人々」

  • ネットのみで情報を収集している人は、どれだけテレビが頑張っても、それが何からの手段でネット上に「伝達」されなければその情報について知ることがない。
  • そもそも、新聞などの情報を知りたいとは思っていない人もいる。
  • 同じ文化圏に住んでいても、指向するものがまったく違う人々が混在する。

おそらく川上氏が伝えたかったイメージは以上のようなものだろう。

一つ目は新聞がネットの土俵に載っからなければ「異国」の人に情報が伝わらない、ということだ。

二つ目は現在の新聞の情報の伝え方に不満、あるいは不信感を持っている人がいるということ。

三番目は特に重要だ。「日本人」という括りが外交や防衛以外においては機能しなくなってしまった、ということになる。

今回のこの討論はこのような状況を踏まえた上での新しいメディア論を模索するのが目的であったはずだ。しかし、そこに踏み込むことはなかった。

私は、この平行の議論こそが「日本の現状」を特に象徴していると感じた。そうかみ合わないのだ。

マスメディアの崩壊

まず、マスメディア・マスコミ・ジャーナリズム、この3つの言葉は区別して使う必要がある。今までの日本ではこれらを「新聞・TV」がこなしていたが、定義としては別物であり、別々に考える必要がある。しかしながら、「新聞・TV」側の人々はそのような考えはほとんど無いようだった。

これにはもちろん難しい問題をはらんでいる。今の日本では、制度や文化としてのマスメディア・ジャーナリズムとそれを担う企業の収益構造が密接に結びついている。ここを切り離して議論することは、今までまったく考えられていなかった。いや、考える必要がなかったと言うべきなのかもしれない。

情報の流通コストと保存コストが爆発的な勢いで減少してしまった現代において、その分断はどうしても必要だ。大きな新聞社が複数無くても、ジャーナリズムは存在しうる、と私は思う。

新しいマスメディア・マスコミ・ジャーナリズムの形は既存のメディア企業の規模を維持するために語られるべきものではない、ということははっきりしている。ぶっちゃけ言ってしまえば、今どこかの大手新聞社が一社潰れても、国民が情報で困るということは起こりえないと思う。

マスメディアの崩壊とはいくつもの意味がある。

  • 「情報」にまつわるコスト・構造の変化で収益が悪化しているメディア企業
  • 人々がテレビや新聞というものを読まなくなったのでマスに伝わらない「マスメディア」になっている
  • ネットの活性化により、記者が独自の視点で切り取った記事ではなく、集合知の研磨によって作り出される情報の質が上がってきている。

マスつまり不特定多数の人間が受け取らない「新聞・TV」は言葉の定義からして「マスメディア」ではなくなりつつある。新聞は若者はほぼ読まない。テレビでも同様だ。特定の年齢層に向けてだけ送られている媒体を「マスメディア」と呼ぶのはいささか無理がある。

当然ネットもマスメディアと呼べるかどうかはまだまだ疑問だ。しかしその可能性は十分に秘めている。多様性という点でネットが持っているものは大変大きい。少なくともテレビ単体で「集合知」を生み出すことは不可能といってよい。

メディアとネットの関係性の変化

今までは、新聞などの情報が有名なブロガーによって批判されたり、そもそも大手メディアが取り扱わない情報を個人のブロガーが出していくという構造で、大手メディアとネット(ブログ)・メディアは補完的な関係にあったと思う。

しかし、ネットに携わる人が増えれば増えるほど、使う人が多ければ多いほどネットには情報が蓄積されていく。時間が経てば経つほどネットの世界には「何でもある」状況がうまれてくる。そしてその様な情報を求めて、また人々がネットの世界に入ってくる。

こうなると大手メディアの存在価値は相対的に低くなってしまう。片方はコンテンツを切り売りしているだけ。もう一方は樽で眠らせるウィスキーのように価値が高まっていく。ネットに生まれる情報の大半はよく言われるようにたいした意味もないものだろう。しかしその中に1%でも0.1%でも有益な情報があればそれで十分だ。多分その10分の1でも100分の一でも十分だろう。それぐらい多くの「情報」が生み出されている。

多くの人が増えれば増えるほど、専門家が関わる可能性が増えてくる。まったく経済の知識がない記者の記事と、現役の経済学者、経営者、トレーダーが書く記事。情報の質としてはどちらが上だろうか。参加者が多くなり、情報流通のシステムが整えられれば、記事の質については考える必要はなくなるだろう。

こんな時代にあって新聞社は「何を売るのか」を真剣に考えなければいけない。今人々は何を求め、自分たちには何を提供する力があるのかを検討しなければいけない。そこを出発点として組織の形を作ることがスタートであって、既存の形を前提に話を進めていてはどこにもたどり着けないだろう。

もちろん、そのような形で描かれる組織像は現状よりももっともっと小さいものだろう。その痛みを引き受けて「報道し続ける事」を選ぶか、それとも最後まであがいて潰えるか、そんな分岐点にきてると思う。

おわりに

「東のエデン」というアニメの監督である神山氏が以下のような事を述べている。
ケータイで「大人に見えない価値を武装する」――「東のエデン」神山監督インタビュー (2/2)

「新しいインフラが生まれた時、上の人間は既得権を守るために、過去と同じように自分たちのルールでインフラを整備しようとする。それに対して若い人たちは、上の人間に見えないように世界を広げていく。

まさに、このような状況が生まれているのだろう。既存のメディアは自分のルールで新しい形を作り出そうとし、若い世代はそういった文脈から外れて新しいものを求めている。

この意識された「すれ違い」こそ日本のメディア論の根本となる問題だろう。そしてそれが非常によく伝わってきた番組であった。

私もしがないブロガーであるので、新しいメディアの形やジャーナリズムには興味がある。佐々木氏が番組中に述べていた昔の「カフェから始まる世論」というものに共感を覚える。人々が個人どうして議論してボトムアップで作り上げられる世論こそ世論らしいと思うし、「お上」のコントロールを受けない世論を生み出す手段なのだと考えている。

多分そういった世界の方が「おもしろいだろうな」というのが正直な感想である。

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