7-本の紹介

書評 「努力しない生き方」(桜井章一)

ほぼ日の糸井さんと同じくらいに私に影響を与えているのが桜井章一氏である。雀鬼というネーミングの方が知名度は高いかもしれない。麻雀という「勝負」の世界で培われてきたのであろう氏の世界観は厳しいながらもゆったりとした広がりを見せている。

努力しない生き方 (集英社新書)
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集英社 2010-03
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「努力しない」とは楽に生きる事とは違う。それは「努めて力まない」という一つの視点である。

章立ては以下の通り。

第一章 「努力しない」から、いい結果になる
第二章 「何もない」から、満たされる
第三章 「求めない」から、上手くいく
第四章 「つくらない」から、いいものが生まれる
第五章 「計算しない」から、負けない

重要な場面で「力んで」しまって、自分のポテンシャルを最大限に発揮できなかったという経験は誰にでもあるのではないだろうか。現代の日本の閉塞感、疲弊感はもしかしたら「力みすぎて」しまった事から生まれているのかも知れない。著者はそれを足し算的な生き方の行き詰まりと表現している。豊かさを目指して足し算を何度も繰り返してきた結果が、今の日本だ。

では貧しかった過去の日本に戻ればよいのか、というとそう言うわけでもない。

p4
ただし、この引き算は「押してもダメなら引いてみろ」の「引く」とはちょっと違う。単純に正反対のことをするというのとは違うのだ。正確に言えば、足そうとすることから「足そうとする力」そのものを「抜く」ことで成り立つ次元の引き算である。

こういった表現はストレートには理解しにくい面もある。「足そうとする力」そのものを「抜く」ことは「引くこと」とはどう違うのだろうか。私が参考として言えることは、引く事も「引こうとする力」が入っていればそれは足すのと同じということだ。結局そこにも「力み」が入ってしまう。

もう少し具体的な表現を探すと以下のような文書がある。

p15
麻雀だって「頑張った」という思いはまったくない。「努力」して上手くなったという感覚がまったくないのだ。
これをこういうふうにすれば面白いなとか、こんなふうにやれば上手くんだなとか、ただ、そんな感覚で麻雀の牌をいつもいじっていた。歯を食いしばって練習したなんていうことはなかった。

よく「量から質への転換」という表現が使われるが、これも意識の置き方の質的転換ということになるのだろう。頑張ることは次の頑張ることを要求してしまう。そしてその次の頑張るもまた次の頑張ることを要求する。頑張ることの繰り返しはきっと何処にもたどり着けない。この日本が今どこにもたどり着けていないように。

努力から工夫へ

本書の中で著者は、頑張ることを「努力」、自分が持っている感覚を「工夫」と表現し対比させている。この「努力」から「工夫」の転換ができるかどうか、そこが一番重要であり難しい所だ。

努力はなぜ行き詰まるのだろうか。それは意識の軸が自分の中に無いからだと私は思う。つまり頑張ったことを認めてもらいたいという心理。認めてもらうがゆえに頑張るという行動。これは他者の評価の中に自己を置いてしまっている。

しかし「工夫」はこれとは違う。あくまで自分がその問題とどのように対峙するかという事だけだ。そこには他者の視点は入り込んでこない。どうやったら楽しめるのか、どんな方法で上達していけるのか、という視点を持って没頭しながら問題と向き合う姿はもしかしたら他人から「努力」しているように見えるのかも知れない。しかし、本人には「努力」している感覚はない。

成功者の方の中に「自分がやりたいことを徹底的にやってきたからここまでこれた」とおっしゃられる方が多いのも、おそらく似たような感覚を持っておられたからだと思う。

他者の評価や視点は、とりあえずどうでもいいことだ。まず自分が「面白い」と思えるのか。工夫してその問題に当たれるのか。そういった視点から自分が将来進むべき道を見極める事が重要ではないだろうか。

編集後記:
当エントリーは「「新年度の始まり」に本を読んで書評を書こう!企画」への参加エントリーです。

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