7-本の紹介

書評 「トニー流幸せを栽培する方法」(トニー・ラズロ)

昨日紹介した桜井章一氏は紛れもなく私たちが住む世界とは別の世界で生きてこられた方だ。桜井氏の中には「勝負」の世界における感覚があり、それが今の日本に対する違和感を引き出しているのでないだろうか。

さて、違う世界と言えば外国人の方々も我々と違った世界で生きている。「日本」を外から見つめるもっとも簡単な方法は世界の文化に触れてみることだろう。
そういった意味で、トニー・ラズロ氏のこの本は面白く読める。

トニー流 幸せを栽培する方法 (ソフトバンク文庫 ラ 4-1)
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トニー・ラズロって誰だよという方もおられるだろう。あるいは以下の本の「ダーリン」と言えばもうちょっと理解してもらえる人が増えるかも知れない。

ダーリンは外国人―外国人の彼と結婚したら、どーなるの?ルポ。
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おすすめ平均 star
starこの漫画の良さは、ダーリンのキャラにあるように思います。
star受け入れるということ
starちょっと便利

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以下は著者のプロフィールよりの引用だ。

ハンガリー人の父とイタリア人の母の間に生まれ、米国に育つ。自他ともに認める語学好き。1985年より日本を拠点とするライター。

トニー氏の視点は、「言葉」というものの意味を深く掘り下げている。「言葉」はただそこにあるわけではない。生み出した人々たちの思いがあり、通り抜けてきた時代の足跡が刻まれている。言語の差は文化に潜む意識の差を発見するのにも役立つが、人類が共通に持つ「何か」を見つけ出す手がかりにもなる。
※一体全体シェイクスピアの言葉が古びれる時代がやってくるのだろうか。

本書の内容は、いろいろな言語で生み出されてきた名文や言葉に対するトニー氏の考えを書いたエッセイ、といったところである。

章立ては以下の通り。

芽の章
 1「嫌い」は禁止
 2ほどほどに
 3中毒は自ら選べ
 4「訊いてみよう」主義
樹の章
 1躁と鬱のまんなかで
 2我よいこと思う、ゆえによい我あり
 3それでも人を信じよう
 4したいこと・できること・やるべきこと
 5節目を前にして
 6自立してから結ばれよう
実の章
 1「黄金律」より「黄金判断力」
 2こっそり「一日一善」
 3私の幸せ、あなたの幸せ
 4愛するために生まれたのだ
 5平和は訪れるのを待つものではない
 6どうぞ、ご一緒に

トピックスのタイトルを見ただけで読みたくなる方もおられるだろう。ライフハック的な要素も多分に含まれている。今回は一番最初のトピックスだけを紹介しておく。

言葉は自覚を促す

「嫌い」は禁止。これは私も常日頃から意識している。さすがに「禁止」とまではいかないが、できる限り使わないようにしている。

著者の両親は以下のような「躾」を行っていたそうだ。

p9
「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「好きじゃない」と考えなさいと。「つまらない」とか「最低」、「不愉快」、「最悪」という言い方は許されていた。しかし、なぜか「嫌い」だけはいけなかった。

「嫌い」という言葉はどこか絶対的な響きを帯びている。それは私自身とその対象の間に太い油性インクで境界線を引くような行為だ。「嫌い」と声に出してしまえば、あたかもそれが「自分とは無関係なもの」として認識されてしまう。言葉が自覚を促してしまうわけだ。

問題はそれだけではない。一度「嫌い」として認識されたものの「良いところ」はなかなか見えてこない。脳は極めて省力指向なので、一度「嫌いフィルター」をかけられたものから、いちいち良いものを探そうとはしない。むしろ嫌なところばかり目に付くようになってしまうことがあるかもしれない。これはある種の「カクテルパーティー効果」と呼べるだろう。

そのようにして、私とその物との関係性は強く固定されてしまう。「嫌いなもの」との関係性の修復は非常に困難になってしまう。

でも、ちょっと考えてみて欲しい。子どもの頃に嫌いだったものが大人になって好きになるという経験はないだろうか。人間はそれほど強固ではないのだ。「嫌い」という言葉で関係性を断ってしまわないようにすれば、将来「好き」なものが増えるかも知れない。

私が「嫌い」という言葉を使わないのはこういう理由がある。おそらくトニー氏の両親も同じような感覚を持っていたのかも知れない。言葉、特に口に出す言葉は決して簡単に扱ってはいけないのだ。

幸せを「栽培」する

タイトルの「幸せを栽培する方法」というのはなかなか印象的なタイトルだ。

「幸せ」とは与えられるものでも、得るものでも、ましてや奪い取るものなんかではない。種を蒔いて毎日世話をしていく。それは初めは小さな芽にしかならない。でも世話を欠かすことなく続ければやがて大きな樹へと成長していく。この間のプロセスをすっ飛ばして得られる幸せはおそらく「一時的なもの」か「偽り」のどちらかだろう。

人間という存在は「思考」と「行動」で成り立っている。全てはそこから始まり、そこに帰結する。言葉は多かれ少なかれその両方に影響を与えるものだと、私は考えている。

編集後記:
当エントリーは「「新年度の始まり」に本を読んで書評を書こう!企画」への参加エントリーです。

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