私はかなり天の邪鬼な性格をしている。流行しているものがあれば疑いのまなざしを向けるし、誰かが大声で正論を述べればたとえ私自身がそれに同意していても何かしらの反論を組み立てたくなる。その天邪鬼の対象は自分自身にも及ぶ。
ささかやかな人体実験
以前「うつの原因は食べ物にあった」という本を読んだときに、「よし、しばらくサプリを飲もう」と思い立った。サプリにもピンキリあるのだが基本的なビタミンとカルシウム・マグネシウムを飲むことに決めた。
※ちなみにこれが一番安かったからだ
しばらく飲み続けていると確かに効果があるような気がする。朝の目覚めがずいぶんと楽になったし、日中でも「もうだめ」と思うタイミングがだいぶ後ろにずれた。疲れにくくなった、というわけだ。しかし、ここであの天の邪鬼が顔を出す。
「これって本当に効果があるのか?」
そういう疑念がモクモクと湧いてくる。別にプラシーボでもなんでも身体が元気になればいいじゃんか、たいした金額でもないんだし、という思いはあるにはあるのだが、ある種知的好奇心の呪いのように気になってしまう。
そして人体実験の始まりだ。といってもたいしたことをするわけではない。単にしばらくサプリを飲まないというだけ。もちろん正式には「何の効果も無いはずのサプリ」を飲まないとプラシーボかどうかは判断できないわけだが、そこまではこだわらない。
サプリ無しの生活を続けてみると確かに「身体が重く」なることを発見する。その段階で私の中で「サプリの飲むことには一定の効果がある」と初めて認められる。もちろん、これは飲まなくなったことでプラシーボ効果が無くなったというだけかもしれないので、科学的な証明としてはまったく意味はない。
ただ、「このサプリメントを飲む習慣は身体を軽くする」という効果だけは確かめられた事だけは間違いない。つまりサプリを飲まなくても何かしらの影響で_例えば季節的な変化など_で体調が改善するということはあり得る。もしかしたら、たまたまこのタイミングでそういった状況になったのかもしれない。
サプリをしばらく飲まない事で身体が重くなったとすれば、それがサプリ本来の効果であれ、プラシーボ効果であれ私の身体が何かしらの影響を受けたということは間違いない。とりあえず継続する理由はそれで十分だ。
私の中の承認はこのようにして行われる。
GTDが日本で流行しない理由
さて、上の話は長めの前置きなわけだが、取り上げたいのはこの問題である。
GTD Japan Review(3) 日本でGTDが流行らない理由(works4Life Season VI)
さて、以上の話と+αをまとめて言えることは、日本では、アメリカのように、GTDを心底必要とする人間が会社の中枢部におらず、GTDを誰かに適用した後展開が難しい。だから、日本ではアメリカほどGTDが流行らないのでは、と私は想定する。
確かに、GTDが一番の最適環境は忙しい状況に身をおいている環境である。そして日本ではそのような環境にいる人間は仕事を回している現場の人間であって、経営層に近い状態にあることは難しい。経営層はすでにそれなりの力を持っており、自分自身が能力を発揮できるように、仕事の量を調整できる立場にいる。GTDは仕事量を調整できにくい立場にいるからこそ必要となるのだ。
論点としてはなかなか面白い。確かにGTDは「ライフハッカー」の中ではかなり浸透している言葉ではあるが、ビジネスパーソン全体に裾野を広げてみると、強い影響力を持っているとは言い難い。
著者のnomico氏の論旨はまとめると
・経営陣はGTDを必要と感じていない→組織の下の方に展開されない
ということになるだろうか。もしどこかの組織の経営陣が「GTDサイコー!」と思っていれば、それが「組織全体に導入され、やがて広がりを見せる」となるだろう。しかし現状はそうなっていない、ということだ。
この仮説が正しいのかどうかはわからない。しかし現実的に今の日本ではGTDがそれほど流行しているとは言えない。そこには理由があるはずだろう。
気になるのは「そもそも現場で働く人間がGTDを必要とするかどうか」だ。以下は@shimoyamaさんのBlogより
効率化の罠 生産性の向上と仕事のコントローラビリティ(When you were young)
しかし、現実としてサラリーマンであれば2日の余剰を生み出しても、その2日をまたアウトプットを出すことに割り当てられます。それは仕事それ自体を自分でコントロールできないからです。よくよく考えれば生産性の向上や効率化を説く本というのはだいたい非サラリーマンによって書かれているものです。代表とも言えるGTDにしてもコンサルタントである著者の仕事術です。そして、それをうまく実践しているのも多くはフリーランスで活躍されている方です。
中略
以上は、日本でなぜGTDが流行らないのか?という疑問に答えるものでもあります。仕事に対するコントローラビリティが低い状況では効率化は逆に自分の首を締めることになるので多くの人が率先しないのです。もし、効率化によって生み出される余剰を自分の自由にできるとすればもっと生産性を上げる取り組みは活発になるのではないでしょうか。
大雑把にまとめると「GTDによってもたらされる効率化は忙しさをもたらすだけ」という日本のビジネスパーソンの状況ではGTDなど積極的には受け入れられない、ということ。確かに日本のビジネスパーソンは仕事に対するコントローラビリティが低い事は間違いない。
効率を上げるという文脈でGTDを見た場合、それが受け入れられない事はありえるかもしれない。
ただ、私はGTDを効率を上げるためのシステムとは認識していない。結果的に効率はあがる、ということはあるだろうが、まず効率化ありきというものではないと考えている。
そして、その意味では普通のビジネスパーソンでも経営者でもGTDを導入するメリットはあると思う。GTDが持つ意味については後述することにして、まずなぜGTDが流行していないかについて考えてみたい。
3つの理由
GTDが日本で流行しない理由は、「なぜ、ノウハウ本を実行できないのか」から見付けることができると思う。
この本の中で「知識を行動に移せない理由」が3つ上がっている。
- 情報過多
- ネガティブなフィルター装置
- フォローの欠如
これがそのままGTDが日本で流行しない理由の説明になると思う。
情報過多
GTDでぐぐってみると、トップが「Getting Things Done – Wikipedia」。ウィキだ。その下が「誠 Biz.ID:Getting Things Done(GTD)まとめ」で、その次が「連載:GTDでお仕事カイゼン!|gihyo.jp … 技術評論社」。その後にGTDに関連するブログ記事などが出てくる。
上の連載記事を読めばGTDについては理解できると思う。ただ、その他の「解説BLOG」の数が多いわりには、メインとなる「GTD」のサイトは存在しない。日本でGTDならこのサイトという決まり決まったものがなく、解説記事などや解釈などについてのBlogは数多存在している状況だ。
Blog記事の内容は個人の解釈によって違う部分もでてくるので、当然「共通規格」というものは存在しない。流れ自体は同じでもアレンジしている部分がたくさんあるので、初心者は一体どれをやれば良いのかまったく見当も付かないだろう。これが情報過多だ。
ネガティブなフィルター装置
これは上にも関連しているが、あまたのやり方があるので、「これで正しいのだろうか」という疑念が生じてしまう。そしていろいろなやり方を「つまみ食い」するという流れに陥りがちだ。加えてビジネス本ブームの影響もある。いろいろなやり方を試してダメだった人がGTDだけを特別視理由はない。これもダメなんじゃないかと思いながら試せば当然結果もそれに引きずられる。
フォローアップの欠如
「なぜ、ノウハウ本を実行できないのか」の中にこんな一節がある。
「行動を変え、望むような結果を得るには、仕組みとサポートと説明責任が必要です。」
そう、行動を変えるためには知識を伝達するだけではまったくもって不十分、というわけだ。そして今の日本にはこの環境がほぼ無い状況だ。
GTD人口も低く、GTDマスターがたくさんいるわけはない。英語でDavid Allenに質問することができない人も多い。こういった環境の中ではフォローアップは確実に欠如する。
ただ、これは今後改善することは十分考えられる。人口が増えてくれば徐々に「環境」はできてくるだろう。しかし現状では難しいと言わざる得ない。
これらの理由から「日本でGTDが流行していない」と私は考える。つまりGTDの中に潜む何か、日本社会の労働環境に潜む何かが問題を持っているわけではないということだ。GTDに関しては単にティッピングポイントを超えていないだけ、そんな印象を受ける。
では次にGTDが持つ意味について考えてみたい。それを導入すれば何が得られるのか、ということだ。おそらくGTDを効率を上げるためのものとして捉えているだけでは「参加者」を増やすことはできないと思う。GTDがもたらすものについての理解を広めることがGTDブームの下地作りになるだろう。
何のためのGTDか
私はGTDを継続し続けているし、土曜日の週次レビューは欠かすことのできない「週課」である。週次レビューに関しては「状況をコントロールできている」感覚を得るために特に重要だと思っている。しかし、ここに至るまでには例の天の邪鬼が一度登場している。
「これって本当に効果があるのか?」
こう考えた私は、約2週間週次レビューをやらなかった事がある。その二週間は本当に悲惨だった。もちろんタスク管理はしているのだが、どうにもうまく進まない。正確には「進んでいる感じ」がしない。また、気がかりな事が増えてタスク処理中のミスが増えた。
晴れた昼下がりに川沿いを散歩していたら、突然砂漠のど真ん中に地図も渡されず放り出されたような心境の変化だった。今でも時間が取れずに十分な週次レビューを実施できないと似たような感覚を覚える。
そういう状況の中では自分の意識しない部分でかなり大きな負荷(ストレス)がかかっているのだろう。とりあえず疲れるのだ。目的地を知らない軍隊の進行は兵隊の疲労度を増すというのに似ている。
逆に週次レビューを行っていると、どれだけタスクが目の前に積まれても「なんとかやれる」気がしてくる。実際は切り捨てたり、次の週にまわすタスクがあるので「完璧にこなせる」わけではない。ただマッドスルーはできる。そういう自信は湧いてくる。こうして私の中でGTDは承認された。
GTDに「ストレスフリー」という言葉がついて回るのも納得できる。それは自分自身の地図を作る行為だ。少なくともそれが目的の一つだ。そうして地図を作った結果、効率よいルートを進めるようになるかもしれない。でもそれは私は副産物だと考えている。
あくまで抱え込んだ荷物を下ろすこと。それが第一だ。100も200もタブを開いたブラウザーの動作を想像してみて欲しい。今見ないサイトは「お気に入り」に入れておけば十分だ。
もう一つの目的
もちろん、荷物を下ろすことがだけが目的ではない。もう一つは「再構築」することだ。重要なことや重要でないことを分別したり、細分化したり、膨らませたり、など。こういった変化は常に起こりうる。
ライフハックトーク「GTDの週次レビューを成功させるたった1つの問いかけ」の中で堀氏が以下のように述べている。
堀 週次レビューが「頭をもう1度空にする」という作業だけだと思っている方も多いですが、もう1つの大きな役割はプロジェクトレベルで実行可能なアクション、手元のレベルで実行可能なアクションというように、全体のバランスを見直す作業です。GTDはこのように常にアテンションをバランスさせて管理する仕事術なんです。この辺り、常に時間を管理するタスクシュートとはいい対比ですね。
これが目的の二つ目だ。リュックサックを背負ったまま中身を整理することはできない。「お気に入り」に入っていないウェブサイトは分類することもできない。地図を持たない進行はルートを決めることができない。
状況を自分の管理下に置くためにはどうしても一度荷物をレビューする必要があるわけだ。
まとめ
基本的にGTDはノウハウではなく、一つのシステムを自分の生活の中に組み入れる事である。それはシステムであり習慣でもある。他人のやり方がそのまま通用するわけではない。
GTDの軸となる考え方を理解し、他人のやり方も参考にしながら、実践し、自分なりに改良を加えて「最適化」していくしかない。そしてそのためには「メインとなるコンテンツ」と「フォローアップ」していくシステムが必要だ。
フォローアップについては今後GTDを実行している人が増える中で徐々に形作られていくと思う。勉強会が増えていけば自然にその役割をこなすだろう。「メインとなるコンテンツ」はなかなか難しい。David Allen氏が日本語でのコンテンツ展開をするか、代理人的な人が出てくるか。少なくともGTDでググったときにウィキより上位に来るような「公式サイト」ができるとそれがメインコンテンツとなるだろう。
そういう状況がうまれてくれば、確実にGTDは拡がっていくと思う。今は準備段階なだけだ。
最後に一つだけ言いたいのは、GTDは特定の人が使うように限定されたものではないということだ。主婦でもボランティアでも「ストレスフリー」の状態を得ることにメリットはあるだろう。現在「ストレスフリー」の状態で無い人であれば、ビジネスパーソンだって、経営者だって、活用できる。少なくとも私にそう考えさせるだけの力がGTDにはある、ということだ。
参考文献:
「うつ」は食べ物が原因だった! (青春新書INTELLIGENCE) |
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青春出版社 2009-06-02 売り上げランキング : 1475 おすすめ平均 |
なぜ、ノウハウ本を実行できないのか―「わかる」を「できる」に変える本 |
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門田 美鈴
ダイヤモンド社 2009-12-11 おすすめ平均 |
はじめてのGTD ストレスフリーの整理術 |
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田口 元
二見書房 2008-12-24 おすすめ平均 |
私も天邪鬼なので、一連の記事に対しで別の角度から見たコメントを書きたいと思ったのですが、結果としてrashita2さんの見解と同じ所に落ち着きました(笑)
最初に「なぜ、GTDが日本で流行らないか?」という記事に対する私の考えですが、そもそも「これは一般的な仕事術で、誰でも知っている」と言えるものはあるのか?という疑問です。
仕事術というキーワードで検索しても、引っかかるのは仕事を進める上での、かなり限られた部分におけるテクニックがほとんどです。(現時点ではあまり思いつきません)
実は、GTDが流行っていないのではなく、そもそも仕事の進め方を根底から見直すような提案をしているもので、定まった呼び名がある仕事術自体が無いのでは?
もしそうだとすれば「海外で流行っているのになぜ日本で流行らないか?」ではなく「ただその波が来るのが遅れているだけなのでは?」と言うのが私の仮説です。
これは、rashita2さんが記事の中で書かれていた、まだティッピングポイントを超えていないという意見と同じですね。
もしこれからGTD人口を増やしたいと思うならば、コツコツと啓蒙活動とフォローアップの仕組みを作っていく必要があるのでしょうね。
この後は長くなりそうなので、また次の機会で(笑)
>moyoriさん
コメントありがとうございます。
確かに「仕事術」という大きなくくりはあっても、具体的に定着しているものはあんまりないのかもしれません。野口氏の「押し出しファイリング」はかなり有名だ思いますが、あれも仕事を進めるテクニックの一つですからね。「仕事術」とか「~ハッ」クという言葉は流行してもシステムとして完成したものはいまだ成立していない、ということなんでしょう。
GTD自体は優れた「システム」なので、一定の勢いができれば必ず広まっていくとは思います。おそらくそれが一つの基本とかたたき台みたいなものになるのかもしれません。
GTD人口増加についてはいくつかアイデアはあるんですけども、そこまでコミットメントする余裕が今のところないので、しばらくはこうしてBlogで紹介するだけになりそうです。
また次の機会(ブログ記事?)を期待しております。
I am back again. Thank you for another great post. Cheers