7-本の紹介

書評 電子書籍の衝撃(佐々木俊尚)

一ブロガーとして電子書籍の存在は非常に気にかかる。ブログというのも電子媒体で情報を流しているわけだから、その延長線上に見えてくる「電子書籍」が気にならない訳はない。

このブログでも「企画もの」については、「本」を意識してコンテンツを書くようにしている。もちろん「本」になるほどまとまりある内容ではない。しかし、その土台ぐらいになるのではないかと思っているわけだ。そういうコンテンツがいつか「本」の形になったらいいな、という感触。

そして、それが現実のものになろうとしている。すくなくともアメリカでは。

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電子書籍の登場は本に関わる3つのレイヤーに変化をもたらす。

  • 読み手
  • 書き手
  • 出版社(流通)

この3つだ。

流通がどうなるかについて、興味はある。しかし、積極的にそこに絡んでいくつもりは今のところ無い。一人の本好きとして、一人の文章の書き手として、どういった変化が考えられ、どういった変化が好ましいのか。そういった情報に触れられている本書はまさに「衝撃」である。

最近の本屋への不満

最近の本屋は面白みがない。目立つ場所には話題書、新刊書が並んでいる。でも、それだけだ。その本屋がその本屋でならなければいけない理由というものが見いだせない。同じような本屋であれば、大きい本屋の方がいいに決まっている。なんと言っても在庫が多い。しかし、それを極端に考えれば「Amazon」で良いじゃないか、と言うことになる。

10年前の本屋はどうだったのだろうか。すでに思い出すことはできない。でもまだ町の小さな本屋さんはいくらか残っていたように思う。
※そう、もうそれは姿を消しているのだ。

それぞれの本屋さんには微妙な品揃えの違いがあり、それを巡る楽しみがあった、と過去を振り返るのは誇張された記憶なのかもしれない。しかし、今の本屋_つまり現存している本屋_にはそう言った楽しみは凄く減っている。

でも、全部の本屋がそうかというと、そうでもない。大型書店を回った後でも、ビレッジ・ヴァンガードに入るのは楽しい。たまに「えっ?」という本にぶつかる。この前はウエルズの「タイム・マシン」が平積みしてあった。隣にアシモフの本も並んでいた。すでに持っている本だが、そういうのが並んでいるのを見るだけで楽しくなってくるし、その近辺に並んでいる本には当然のように興味が湧いてくる。

今、楽しい・面白い・興味が湧く本が見つかるのは本屋ではなく、ネットだ。特にブログ。私は「極東ブログ」で紹介される本をよくチェックするし、実際買うことも多い。普通に本屋を歩いているだけでは、まず目にとまらないであろう本。でも、読んでみるとおもしろい。

こういう書き方をすると問題があるかも知れないが、今書店で目立つところにある本ばかり読んでいたら「読書の面白さ」は味わえないんじゃないかと思う。あまりにも「役立つ事」ばかりにフォーカスがあてられた本が多い。それはそれで、もちろん役に立つのだが、そればかりだと少々味気ない。言い方は悪いかも知れないが「広がらない」のだ。

読書の楽しみは、自分の世界を広げる事だろう。少なくとも私はそう考えている。役立つ本は役立つ本で紹介しつつも、知見を広げるような本なども読みたい。それはすくなからずの読書好きの願いなのではないだろうか。そういう要素があまりにも今の本屋には少ないように思える。

ニッチな本の萌芽

電子書籍は基本的にそれぞれの「本」はフラットに扱われる。探せば見つかるし、探さなければ見つからないというのは今の「Amazon」と同じような仕組みになろうだろう。

これをスタートに、新しいプラットフォームがうまく作られれば、「書評する人」の価値は大きく上がるだろう。書評する人を導き手として、読者が本を探す。それは大型書店で目に付く本しか選べない状況よりは、遙かに豊かな選択肢を得ることになる。

そして、読者がそういった選択肢を受け入れれば、今度は書き手がもっと自由になれる。目立つ本を書く必要ない。本当に必要とされている所にとどけば良いという情報だけを「本」という形にできる。マーケティングのコストがほとんどかからないし、「本」自体の製造コストも_物理的な部分では_ゼロに等しい。損益分岐点がかなり低いわけだ。

となると、とんでもなくニッチな「本」が生まれてくる可能性がある。今までの出版業界ではニッチな本は出版部数を抑えて、価格を高くすることで採算を合わせてきた。でも、その構造から抜け出る「本」が生まれてくる可能性がある。

アンビエント化

上のような変化が訪れるならば、読み手・書き手・流通というそれぞれの「役割」は一気に流動化するだろう。読み手がいつでも書き手になる可能性がある。読み手が流通を担うこともできる。書き手が流通を兼ねても良い。自分で自分を宣伝すればコストはゼロだ。
※流通はマーケティング部分を含んでいるとする。

電子書籍は「本」をアンビエント化すると著者は語る。

先ほども述べたように電子書籍はプラットフォームの中で「フラット」なものだ。それを土台にして周りを取り囲むシステムが進化していけば「役割」もフラット化していく。読み手・書き手・流通という役割も特別に誰かが背負うものではなく、やりたい人・できる人が行うという形、つまりフラット化していくだろう。それは書き手のアンビエント化、とも言えるかも知れない。

まとめ

誰しもが著者になれる時代。そんな時代が日本にやってくる事を想像すると本当にワクワクしてくる。もしかしたら、将来は名刺の電子データと共に自分の書いた電子書籍を交換するような時代がやってくるのかも知れない。

日本の出版業界がこれからどう動いていいくのか私には見えてこない。しかし、確かなプラットフォーム作りにおいて重要な役割を果たすことだけは間違いないだろう。その動きを注目していきたいと思う。

それと同時に、書き手である自分には何ができるのかも考えていく必要がある。プロの作家が書いた本だから内容に価値があるだろう、という推測が消えてしまう世界では、内容あるコンテンツを生み出せる事ことが「作家」の必要最低限なスキルになってくるだろう。

新しい時代の「作家」とは、激しい競争世界で内容あるコンテンツを生み出し続ける覚悟とスキルを持つ人。そんな風に私の中では定義しておくことにしよう。

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