昨日からはじまった、ほぼ日の「お金のことを、あえて。」という連載が興味深かったので紹介しておきます。
これは、ほぼ日刊イトイ新聞創刊12周年のテーマとして選ばれたもののようです。
お金についてあんまり考えてこなかったのが日本人じゃないのかな、という事は常々私も感じていたのでこの企画そのものが楽しみでもあります。
以下糸井さんのオコトバ。
多くの人は、お金のことをあいまいにしながら
生きているとぼくは思っています。
お金が欲しいとか、もっと稼ぎたいとか、
声高に言う人はたくさんいるでしょうけど、
それはおもに稼ぎ方について述べているだけで、
ほんとうにお金について考えているかというと
そうじゃないと思います。
やっぱり、「お金とは、何か?」ってことを
真剣に考えるということは、
愛とはなにかを考えることとか、
生きるとはなにかを考えるのと
共通する部分がありますから、
そうとう切実な自分像ってものが生まれてくるんです。
逆に、自分の考えじゃないところで
お金とつき合っている人は、
ラクしている分だけ、
ぐらつくんですよ、やっぱり。
自分がぐらぐらしているだけじゃなくて、
そうと気づかずに人に悪いことをしたり、
知らないうちに変なことをされたり、
っていうこともあるんじゃないかと思う。
さて、ここからいろいろ考えることがありそうです。(以下転調)
お金の話
何となくだが、日本人はあんまりお金の話を直接したがらない気がする。そういう話を全面的に押し出すと「ガツガツしている」とかややもすれば「下品」という評判を立てられかねない。それは影響力のある人が「お金が全てです」「お金が大事で何が悪い」と言うことを表明したときにバッシングなりクレームめいた評判に晒される事からもわかる。
それは、日本文化の「奥ゆかしさ」とか「謙虚さ」につながるものなのかもしれない。でも、そこに実害はないだろうか。
ニュースで、「元本保証、月利10%という投資話に引っかかった」という詐欺事件を聞くとかなり驚く。自分のお金で投資をしてみれば分かる話だが、そのような成績をコンスタントに収めることは「現実離れ」している。一ヶ月や二ヶ月くらいならば月利10%はできなくはない。世の中にはレバレッジという便利なものがある。ただ、それで「元本保証」は絶対無理である。
絶対、というのは少々言い過ぎかも知れない。限りなく、ぐらいに押さえておこうとしよう。でもそういう夢のような話はまずその辺には転がっていない。儲かる方法が一般的に普及すれば、たちまち儲けられない方法に変身してしまうからだ。
私は別に騙された人が無知だったのが悪い、というような事を言いたいわけではない。そういうのは騙した人間がもちろん悪い。ただ、防御策をとっておくことはできた、というだけだ。そういう話はどこにでも転がっていると思う。
お金やその仕組みについて知ることは、まずこういった現実的な側面がある。
お金って何だろう
別に経済学での貨幣機能について解説するつもりはない。
先ほど「現実的な側面」と述べたが、お金は現実でありながら、現実ではないという少々変わった性質を持っている。目の前にある硬貨や貨幣は現実のものだ。しかし、それが「価値を持つ」事は必ずしも現実ではない。お金の価値というのは一種の幻想で支えられているのだ。
「お金は、興味深いことに、人によって違うものになる。変幻自在のものになると言えよう。借金を抱えた人間には、お金は、恐ろしいものだ。なくてはならないと同時に、自分を痛めつけるものにもなっている。また、普通の人にとっては、近づきがたいけれど、近づきがたい美人やハンサムないい男のように見えるだろう。近づいてくると、自分がみじめに感じたり、拒絶されたり、バカにされているような気分を味わうことになる」
_「ユダヤ人の大富豪の教えⅡ」
お金は何か、という疑問に対する答えは経済学では明確かもしれない(※)。しかし、現実はそうではない。少なくとも私たちの心理的な面では特にそうだ。
※交換機能、蓄積機能、増殖機能 by「ユダヤ人の大富豪の教えⅡ」
解放への足がかり
だから何なのだろうか。「お金とは何か」の答えが人によって(時として同じ人においても)変化してしまう事と、お金について知ることや、真剣に考えることにどのような意味があるのだろう。
それは「お金」との付き合い方を知る、ということにつながるのだろう、と私は思う。あるいは「適切な距離感を知る」とも言い換えられるだろう。
これは、別にお金についてだけの話ではない。例えばストレスも同様だ。あるいは人間の認知についても。それが持つ性質やその力の強さ(つまりどのくらい人間に影響を及ぼすか)という事を知っていなければ、現実的に対処することはできない。
お金の束縛から解き放たれる、というのはお金のことを無視するというのは違う、むしろ、それについて一度じっくり考えてみることだ。時にはお金が人間の心理にどれだけ影響を与えるか実感してみることだ。無くなっても生活に困らないぐらいの、しかもそこそこの大金を準備して、一度デイトレードに参加してみればよい。いかに自分の「理性」とか「心理」というものが簡単に揺らいでしまうかが分かるだろう。宝くじを買うときに「確率」をどのくらい無視しているのか考えてみても良い。
※別に、宝くじを買うなといっているわけではない。
お金というのは単なる交換手段でありながら、多くの人がそれに欲望を投射しているので、それが持つ力ははどんどん大きくなっている。でも、それは現実のある種の側面でしかない。
まとめ
「お金なんて大して価値無いよ。お金にこだわるのは下品だ」
というのでも
「お金が大切。お金があれば何でもできる」
というのでもない。
「お金というのは、自分にとってこれくらい大切」ということを見いだすことが、多分必要な事なのだろう。それを見いだすためにはお金がどのくらい力を持っていて、何ができて、何ができないのか、を知る必要がある。そして、それと共にお金と自分の関係を考えていく必要がある。
それが無くては生活していけない、かといってそれだけがあれば満ち足りた人生を送れるわけではない。この間ぐらいの道を差がしていくことは、なかなか面倒な話だ。でもそういう面倒な話を一度通過しないと、心理的な意味でお金のコントロールからは抜け出せないんじゃないかな、という気がする。お金を無視している人も、お金だけを追及している人も、たぶん心の奥底は同じなのではないだろうか。どちらもお金の持つパワーを全面的に受け入れ、そこから逃げるか、あるいは単に追い求めるかという反応の差があるにすぎないと思う。
でも、お金が持つパワーはパワーとしてそれにコントロールされずに生きていく事はできると思う。それが「お金」について知ることの意味ではないだろうか。
「日常的に考えていることが人生を作る」 _ユダヤ人大富豪の教え
参考文献:
ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫) |
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ユダヤ人大富豪の教え〈2〉さらに幸せな金持ちになる12のレッスン (だいわ文庫) |
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とても勉強になりました。
『エンデの遺言-「根源からお金を問うこと」』もお金について知るのにおススメです。
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>@deckbackさん
コメントありがとうございます。「根源からお金を問うこと」、今度チェックしてみます。