6-エッセイ

やがて悲しき空っぽの本棚

最初はブログをリニューアル移転されたばかりの「Find the meaning of my life.」の@kazumotoさんの「徹底した合理化の先に待つもの」というエントリーがおもしろかった。

昨今、書店や電車の中吊りなどを見ていると「減らす」ブームが来ているようです。『断捨離』なんて本も刊行されて、無駄な持ち物を捨てたり、テレビを見たりする無駄な時間を減らしたり、何かと面倒な人間関係を見直したりすれば、人生うまくいくというやつです。

しかし…物も時間も人間関係も最低限あればそれで良いというのは本当でしょうか?ちょっと考えてみたいと思います。

この問題提起は非常に重要だと思う。エントリーでは徹底的に効率化した先にある無味乾燥な生活を描いたあとで、このように続けられている。

もちろんどこからどう見ても無駄という時間はありますから、合理化や効率化が悪いと言いたいのではありません。しかし、まるで錬金術のように時間を作り出したとして、もしその時間を全て仕事に費やしたら上記のような生活になってしまうのかもしれないというのは一考に値すると思います。もちろん”仕事こそ我が命”という人はそれで良いでしょうが、できれば仕事以外で「自分は何に時間を使うのか」という基準を持っておいたほうが良いのではないかと思います。ふと気づいたら、物も人も時間も無い。あるのは後悔という空虚感だけなんてことの無いように。

確かにがむしゃらな効率化の先にまっている生活が、まるで「虚無」の人生であれば誰しもそんなものを望んだりはしないだろう。

生産性という狭い軸

もう一つ印象的だったエントリーが「企業の効率化と、家事の効率化の違い。」だ。こちらは「PlusDiary.com 手帳と文房具のレビューサイト 2nd.」の@naoahiruさんによるエントリーだ。

この記事の中では効率化の本質が考察されている。

つまり、「自分の気持ちにとって、ネガティブなものを減らし、ポジティブなものに集中する」ということだと思う。たぶん、企業における効率化も、「企業の利益にとって、ネガティブなものを減らし、ポジティブなものに集中する」ということになると思う。

効率化の本質は、「ネガティブなものを減らし、ポジティブなものに集中する」ということなのかもしれない。

・物、人間関係、時間の「無駄」を捨てる
・ネガティブなものを減らし、ポジティブなものに集中する

この両者は似ているようでいて、実際は違う。

例えば、我が家の本棚を例に挙げて考えてみよう。

まあまあたくさんの本が我が家の本棚にはある。これらの手持ちの本をもう一度すべて読み返すということは時間的に不可能だ。ということは、読み返せない本を私は保有しているということになるだろう。であれば、これは「無駄」だ。前者の理屈であれば私の手持ちの本の大半は「捨てられる」運命にある。

しかし、後者のアプローチならば話は変わってくる。明らかにこの本は私にポジティブな影響を与えている。たくさんの本に囲まれている生活は(私にとって)気分が良いものだし、実際的なメリットもある。文章に詰まったときなどに、気まぐれに本をとってぱらぱらやると「道が開けたり」する事がある。いわばインスピレーションに囲まれた生活を送っているといっても良いだろう。

こう考えると、前者の理屈も少々怪しくなってくる。多数の本は「無駄」ではないかもしれない。ここで大きな問題がでてくる。

「何をもって無駄とするか」

おそらくそれを「生産性」という限られた視点だけでみると、行き着く先は「無味乾燥人生」になるのだろう。

無駄って何か?

無駄を排除するというのは、「最適化」の考え方だ。しかし「最適化」を直線的に進めていくのはいかにも危うい。それは生物の過剰適応による絶滅をあげてもよいだろうし、過剰に最適化を目指した社会(選民思想)がどのような末路を取ったのかをみてもよいだろう。

一つ言えることは「最適化」つまり「無駄」の判断というのは、世界をある価値観で切り取った平面でしかない、ということだ。それは一つの価値観の提示でしかない。だから「正しい無駄」というものが存在するはずもない。

テレビを見て1時間過ごすことは、まったく生産的ではないかもしれない。しかしその番組を見てストレスを解消できればどうだろうか。それでも無駄だろうか。「生産性」という軸で判断すれば無駄、「ストレス解消」という軸で判断すれば無駄ではない。ただそれだけだ。

徹底的な無駄の削減が「無味乾燥人生」を作り出してしまうのは、人生の全てを一つの軸で判断しようとしていることに問題があるのだろう。人間は唯一の役割の元で生きているわけではない。その前提を忘れ去った「最適化」は「豊かな人生」とは程遠いものになってしまう。

ネガティブとは?

では、「ネガティブなものを減らし、ポジティブなものに集中する」路線でいけば全てうまく行くのか。これも実際は難しいと思う。企業活動において「何がネガティブか」を判断するのには、時間軸が必要になってくる。成果が出るか分からない_しかも10年後以降_の研究に投資することはネガティブなのかどうか。たくさん利益が出た年度ならば、あるいは赤字ならば。他のもっと魅力的で短期で利益が出る(でもコストもかかる)プロジェクトがあった場合は。このような環境の変化の中で、どんな風にネガティブとポジティブを評価するのか。

「ネガティブなものを減らし、ポジティブなものに集中する」というのは非常にシンプルで力強い指針になるが、その裏には評価軸というものが必要になってくる。

譲れないもの

以前「機能する整理法に必要な問いかけ」(R-style)というエントリーを書いた。要点だけ引用すれば

本来、新しく整理を始めようと思う人が一番最初に行うべき事は「自分自身の価値観の整理」です。今あるものは本当に必要なのか。自分が最終的に求めているものはなんなのか。

合理化でも、効率化でも、整理でも同じ事だ。それを行うことで最終的に何を手に入れようとしているのか。それが分かっていないと個々の適切な判断は下せない。どれほど他の人が進めようが私は大量の本と分かれるつもりはない。確かに処分していけば部屋のスペースは広くなるだろう。その広くなった部屋を想像しながら、後に待っている虚しさをすらすらと思い描くことができる。「No book,No life.」is 「It’s my life」.

こういうのは他人にとっては非常にどうでも良いことなのかも知れない。しかし、自分の人生にとって自分がどう感じるか以上に大切なものなどないだろう。他人の価値観に合わせていたら、誰の人生を生きているのか分からなくなってしまう。 

合理化・効率化・整理、これらは目的を達成するための手段でしかない。これらを目的にしてしまえば、待っているのは無味乾燥な迷路か他人の人生の模写でしかない。個人的にはそういうのはちょっと勘弁願いたいところである。

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