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ゲーム市場の変化~アーケード編~

たとえば、10年前のゲーム市場と現在のゲーム市場はまったく違ったものになっているといって過言で無いと思う。

その多くはハードの進化によって起こった変化であり、それ以外はユーザーの進化によって起こった変化であると思う。

まず、アーケード市場から考えていこう。
その昔、ゲームセンターというのは、ゲーマー(ゲーム熱中者)が集まるところであった。ハード面での制約もあったのだろうが、一人プレイ物が多く、パズル、麻雀、シューティング・・・。一人でしこしこと画面に向かっているのがゲーセンの日常であった。
最初の変化は、やはり対戦格闘ゲームの台頭であろう。ストリートファイターシリーズをはじめ、KOFなどカプコンとSNKが一年に一作程度の割合でどんどん新作(多くは続編)を出していった。これにより、学生が頻繁にゲーセンに顔を出すようになった。マニアックになる要素はあったが、掘り下げていけばそれほど差は無いというレベルだったと思う。
単純なCPUを相手にゲームするよりは、心理的な駆け引きのある対人戦をメインに置かれたゲームは、アーケードにとってはひとつの進歩であったといえよう。
対戦が多くなれば、すなわちゲーム機のインカム率が上がるので、ゲーセン側にもメリットはあった。ただ、この辺りから人間的な問題を抱えるゲーセンも増えだすことになる。暇つぶしの「ヤンキー」とゲーム好きの学生が同じスペースにいれば問題が発生しないはずが無い。が、まだそれは深刻な問題ではなかったと思う。
このころのゲーセンには大人の姿はほとんど無かったと思う。子供の付き添いか、大人になりきれていない大人がちらほらいるだけだったように思う。
とりあえず、一人でゲーム画面に向かっているという段階から、情報を共有したり、対戦を楽しんだりする世界が始まった。

対戦格闘ゲームが次の段階に進んだのがバーチャファイター2というゲームだ。このシリーズは3D(ポリゴンによる表現で奥行きという概念がある)で作られており、この前作であるバーチャファイターよりもはるかに作りこまれていた。これはSEGAの作品だ。
これによって、さらにゲームの熱は広がり、またマニア度が上がっていった。
もちろん他の会社も続編などを製作しており、蓄えられた技術によって、グラフィックのレベルは上がってゆき、操作も複雑化してきた。キャラクターにとらせることのできる動きの選択肢が増えてきた。それは即ちマニアック化ということだ。
このころのシューティングゲームも同様に複雑化し難易度が上がっていった。やりこんでいる人間とそうでない人間のレベルがだんだんと乖離し始める。

そして、アーケードにまた新たなる風が吹くことになる。それがコナミの「ビートマニア」である。これはマニア向け路線の最たるものである。おそらくこの辺からアーケードが向かっていく方向が決まったように思える。上から落ちてくる鍵盤の表示を、それ通りにたたくというシンプルにして斬新なゲーム性は、その音楽性を含めてかなりのファンを作った。このゲームは自らが楽しむということだけでなく、他人に魅せるという新たなるコンセプトを出してきた。
これらのゲームはだんだんと新しいバージョンが出され、そのたびに難しくなっていった。もはやこの辺だとゲームの情報がないとついていけないというゲームが多く目に付くようになった。それが4,5年ほど前くらいだろうか。
ゲームがマニアックかしていくにつれ、一般客(つまりゲーマーでない)が徐々に、もうついていけないよ、ということになりだした。もちろんメーカーもそれよりも十分早く手を打っていた、それがUFOキャッチャーである。これはゲームに興味の無い女性客にゲーセンに足を運ばせるという新規開拓の意味合いが強かったが、UFOキャッチャーにお金をつぎ込んだのは、そういう女性を喜ばせたいという男性客であったのは間違いない。これも登場したころは入れ食い状態だったが、その時期が過ぎるとたんなるボッタクリマシーンと化していった。あんなのに100円つぎ込むなんて信じられないと今の私は思うが、そういうぬいぐるみを100体以上持っていることは秘密である。
そういう女性客の取り込みからステップアップして言ったのが、「プリクラ」である。
プリクラについては、全然詳しくないので省略するが、もはや女性客がゲーセンに入るのは当然となったし、一部のゲーセンでは女性用に特化したところもある。男性ONLYの客入店禁止とか今まででは考えられないコンセプトを打ち出す店も出てきた。
この流れは今も続いている。
超マニアックなゲーム、暇つぶしの一般客用のゲーム、アミューズメントと分類される女性用のゲーム、ゲーセンにあるゲームはほとんどこの分類に収まるというのが現状である。
が、その超マニアックなゲームはなかなかインカム率が上がらない。なにせマニア達がマニアックにプレイするのだから仕方が無い。しかし、毎日のようにゲーセンに通ってくれる客もまたマニアである。よってめーかー側も新たなるコンセプトを打ち出さざる得なくなった、これはもう必然的な流れであろう。何とかして儲けなければいけないというのはいつでも至上命題なのだ。
メーカーの出した答えが「カード」である。磁気情報を書き込むことのできるカード。これを使って、一人一人のユーザーを識別し、その情報を管理する。
これは思い返してみると何が一番最初だったのかいまいち記憶が怪しい。おそらくバーチャロン・フォースだったのではないかと思うが定かではない。違うゲームかもしれない。
バーチャロン・フォースとはSEGAの作ったバーチャロンという3Dロボット系のゲームの続編でなにやらコクピット型の筐体が特徴である(こういうの
カード一枚が300円で、そのカードは30回ゲームで使用すると仕様不可となる。そうなった場合ユーザーはそのカードの情報をあきらめるか、新しくカード買ってそこに継続させるかの選択を迫られることになる。(もちろんカードが無くてもプレイできる)
今までのゲームから考えると驚くほど出費のかかるゲームである。ゲームを続けるのに維持費がかかるのだから。私はこの情報を雑誌で読んだとき、これはこけるなと思った。しかし蓋を開けてみると、実にマニア達が食いついた。この辺は恐るべきSEGAと言うしかない。
当然カードを使うプレイヤーはそうでないプレイヤーに比べていくつかのメリットがある。
選べるキャラ(機体)が増える(正確には支給される)たり、自分の
戦歴が残ったり、・・・。そして一番大きいのが「階級」制度ではなかったかと私は思う。
プレイをし、戦跡を残すことで、そのプレイヤーに新しい階級がもらえる。三党兵から二等兵、一等兵、軍曹・・・。いわば「偉く」なれるのだ。
こういうロボット系が好きな人間は、同じように軍隊的な要素が大好きな可能性が高い。(ちなみに機体デザインにはカトキハジメ氏が参加している。ガンダム好きには説明は要るまい)
そういうユーザーの心をくすぐりながら、ユーザーが長期的にゲームをするというメリットを作り、またカードによる収益も作り出した。
これ以降、爆発的にカード型のゲームが増えた。そしてそれとともに、全国ランキングという今までに無かったコンセプトも出てきた。ネットである。
麻雀ゲームやクイズゲームなど、大規模な処理を必要としないジャンルではネット対戦が非常に盛んである。麻雀を好む人間にとって全然別の地域に住む人間と打つというのはなかなか楽しいことであるし、知識好きの人間にとって、全国の人間とうんちく比べをできるということは心躍ることではないだろうか。
新しいゲームのコンセプトは、カードそしてネットによる全国のゲーセンの並列化という方向に進んできている。
それ以外のゲームは、過去のゲームの焼き直し的なものは多い。それはそれでよいのだが。
いまゲームセンターに行くと、幅広年代の顔が見える。もちろん男性客が多いが、女性客が珍しいということはない。
昔は街の一角にネオジオの筐体が置いてある店舗もあったが、今はそんなものはほとんど姿を消した。どうしても大規模な設備投資が必要となっている。新しいゲームは高機能であるがゆえに、高価格なのだ。広いスペースも必要だ。雰囲気もずいぶん変わった。昔の暗い「ゲーセン」という雰囲気はどこかに行き、「アミューズメントスポット」としてがんばって経営を続けている。

こういう小規模から大規模への流れというのは、パチンコ屋や映画館、書店などでも見られる流れだ。大量消費社会では当然と言っていいのかもしれない。
それが良くないことだ、と大きな声で叫んでみてもひたすら空しいだけである。下流に向かって流れる川の中では、その流れの中必死にとどまるか、その流れに乗るしかない。それがいやならさっさと川から出ることである。

アーケード市場がたどってきた流れを見ると、「人」というのがやはりキーワードになっている。コミュニケーションと言ってもいいかもしれないし、リンクと言い換えてもいいかもしれない。人と接し、人と関わり、人を魅せ、人を巻き込み、アーケードは市場は変化を遂げてきた。今のゲームはただ単に、楽しみを与え時間をつぶすだけのものではない。
それが虚構の世界であれ、プレイヤーにアイデンティティを与えるものになりつつある。
それは現実社会においてそういうものが欠落している、ということが流れの源流であるかもしれない。すくなくとも今と昔ではユーザーが求める満足感の質というものが確かに変化しているということは間違いない。
たかだか、ゲームじゃないかと私は今では思うわけだが。

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