7-本の紹介

書評 「街場のメディア論」(内田樹)

街場のメディア論 (光文社新書)
街場のメディア論 (光文社新書) 内田 樹

光文社 2010-08-17
売り上げランキング : 253

Amazonで詳しく見る by G-Tools

街場シリーズの4冊目。といっても私が読んだのは本書が初めて。そもそも内田氏の著作に触れることすらはじめである。率直な感想としては独特の視点をお持ちだな、というところ。興味深い話は多いが、やや突飛な印象を受ける部分もある。

本書は大学の授業がベースになっている。だから全体を通して語り口調であり文章的に読みづらい部分もところどころ見受けられる。しかし、そんなことが気にならないぐらい強いメッセージ性が本書の全体から感じることができる。それらのメッセージの矛先は当然大学の学生であり、つまりは「現代の若者」という事になる。

著者はまえがきの中で次のように書いている。

メディアが集中豪雨的に論じる論件については僕たちも選択的に詳しい。けれども、メディアが扱わないトピックについてはほとんど何も知らない。メディアが繰り返す定型的なフレーズは苦もなく再生できるけれど、メディアでは誰も口にしたことのない言葉づかいや、誰も用いないロジックは、そんなものがあることさえ知らない。

これは考えさせられる話である。いやしっかりと考えるべき話である。
旧来のメディア__つまりマスメディアで報道されるトピックスはかなり限定的である。

同時期に似たような話題が取り上げられ、異なった専門家がニュース番組で用意された話_つまり専門的な意見を開示する。それはまるでメリーゴーランドのをみているような感覚を私たちに与える。いろいろ異なったことがあったとしても、結局私たちの世界は同じところをグルグルと廻っているだけではないのか、と。

しかし、世界の有り様はメディアが報じるものだけではない。むしろそれは極めて限定的なものでしかない。が、情報を摂取媒体が限られていれば「メディア外」の話題について知ることが困難になる。一番問題なのは自分が知らないという事すら知らない、という事実だ。

できるだけ自分で情報を探す、意欲的に新しい分野に触れる、といった事を行わないとメディア・タコツボの中にズブズブと入り込んでしまう。

本書を通して感じるのは、そういった「メディア外」の世界について自分の頭を使って考えてみることの重要性だ。

章立ては以下のとおり。

第一講 キャリアは他人ためのもの
第二講 マスメディアの嘘と演技
第三講 メディアとクレーマー
第四講 「正義」の暴走
第五講 メディアと「変えないほうがよいもの」
第六講 読者はどこにいるのか
第七講 贈与経済と読書
第八講 わけのわからない未来へ

注目したいのは「第六講」」である。この講はこれらかの「本作り」を行う人が考えておくべき事柄への大きな示唆がある。それは「電子書籍」とか「リアルの本」とか垣根を超えて、コンテンツを発信する人が考えるべき事柄への示唆だ。

読者はどこにいるのか

出版業界への問題提起として読むことができる。特に昨今話題の電子書籍については、重要な指摘がある。

電子書籍がもたらした最大の衝撃はこのことにあったと思います。これまで読者として認知されなかった人たちを読者として認知したこと。これこそが電子書籍の最大の功績だと僕は思います。

確かに、今電子書籍に対する「紙の本ユーザー」の声は様々だ。喜ぶ声もあれば、「あんなものは本じゃない」という姿勢を固持している方もいる。しかし、それはそれとして今まで「本」という媒体とは距離をおいてきた__内田氏の表現を借りれば出版ビジネスモデルからはじかれてきた__人たちを読者として捉えることができたという点は大きいと思う。

一番簡単な例は電子書籍による絶版本の出版だろう。今までのビジネスモデルでは採算ラインに乗らないから、という理由で出版されなかった__つまり極少数の読みたい人が無視されてきた__現実が変わろうとしてきている。

これは次の考え方とも関連している。

そして、あらゆる贈り物がそうであるように、それを受け取って「ありがとう」と言う人が出てくるまで、それにどれだけの価値があるかは誰にもわからない。その書きものを自分宛の「贈り物」だと思いなす人が出現してきて、「ありがとう」という言葉が口にされて、そのときはじめて、その作品には「価値」が先行的に内在していたという物語が出来上がる。

作品の価値というのは読者の心に作用して初めて見いだせるもの。ということは、作品は読まれなければいけない。少なくとも公平に__つまり望めば誰でも__読める状態を維持しておく必要がある、という事だ。今までの出版ビジネスではこれを担保することはできなかった。

読者数か見込めないコンテンツ、ものすごくニッチな市場向けのものが本になることはない。あるいはなったとしてもとても高価なものになりがちだ。

電子書籍での出版コスト・流通コストの低下(あるいは激減)は、この状況に変化を加えていくことだろう。

この事は出版業に関わる人間だけではなく、コンテンツを発信していく人間や物書きといった立場にある人にも影響を与える。

さいごに

電子書籍のシステムがきちんと構築された後の世界では、何かしらの割り切りを持てば、「大衆受け」を考慮する事無く思うままにコンテンツを発信することができる、という事だ。

意識すべきは誰かしらに「ありがとう」と言ってもらえるかどうか。「おもしろかった」と言ってもらえるかどうか。それだけだ。そこで発生した「価値」が摩擦コストなく「経済的価値」に置き換わるような世界が構築されれば、受信者と発信者の垣根はずっと低くなっていくだろう。

私としては、そういう世界に思いを馳せずにはいられない。そういう世界ではメディア的タコツボなど「過去の遺産」として捉えられるようになるだろう。そこら中に自分好みのニッチなコンテンツが溢れかえっているのだ。必要なのは外に開かれた健全な知的好奇心だけ。そういう世界は、いまよりはずっとワクワクさせてくれるのではないだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です