inspired by finalvent’s Christmas Story 5
突然手持ちぶさたになったクリスマスイブほど潰しにくい日もないだろう。バイトの休みは取りづらく、倍率は高かったが、一年に一度ぐらいしか発揮されないくじ運を使い切ってなんとか休みを勝ち取った。しかしながら、そういう苦労も何もかもむなしい思い出の一部に成り下がってしまった。くじ運の強さを誇れる人はもうだれもいない。少なくとも今年は、という事だが。
街をぶらつけば気が紛れる、なんて発想は嘘と考えて差し支えない。僕だってそれぐらいの知識はある。明らかに不快指数が上がるだけだ。そう分かっていながらも、僕は厚手のジャンバーを羽織り、手袋を探していた。探すまでもなく手袋は玄関に置いてあるのだが、思い出と一緒に歩けるほどタフな心は持ち合わせていない。去年無印良品で買った指先の空いた手袋を見つけて、それを今日の相棒と決めた。
まったくもって予想通りに街は賑やかだった。外れて欲しい予想ほど良く当たる、という厳粛なルールはこのクリスマスにおいても適用される全世界共通のルールらしい。
この世界において、一人で街を歩いているのは僕だけじゃないかと勘違いしそうな雰囲気が街一杯に溢れかえっていた。もちろん、仕事をしている人は山ほど居る。年末の帳尻合わせに計算表をじっとにらんでいる人も一人や二人ではないはずだ。それでも、僕はこの世界で一人っきりだった。いや、この世界から完全に無視されていた。あるいはそれは拒絶なのかもしれない。
一人きりで街を歩いている人間など不必要な存在であるばかりか、許されざる存在であるかのように、僕は徹底的に無視された。それはそうかもしれない。一体、そんな人間がケーキを買うかもしれないかと誰が想像するだろう。もちろん、僕だってケーキを売りつけられても困る。そのようにして、世界からの拒絶と僕の中の平穏は表面的なWin-Winの関係を構築していた。
スターバックスに行こう、と思ったのは一体何がきっかけだったのだろうか。ともかくどこかに行かなければ落ち着かない気持ちがすることは確かだった。思い出を刺激しない、残り香のない空間へと逃げ込みたかった。世界がどうあろうと、僕が僕でいられる場所が必要だった。
スタバの店員は、外のクリスマス騒ぎなどまったく存在しないようにいつも通り満面の笑みで僕のことを向かい入れてくれた。サンタ帽も無ければ、おすすめのケーキもない。
店内でマグカップとを向かい合う他の客もいつも通りの顔ぶれだった。40代の男性は隅っこの席で読書をしている。僕が心の中で「推理小説」と呼んでいる男性だ。表紙のデザインからペイパーバックだということは分かるが、それがなんの本かはわからない。いつも難しい顔をしているが、その難しさを彼は楽しんでいるように思える。難しさがそこに存在している事が世界の存在価値であるかのようなその顔は、僕にシャーロック・ホームズを想像させた。
その二つ隣の席には、大きめのサイズの手帳をペラペラとめくる女性が座っている。「社長秘書」だ。20代半ば、あるいは30代に入りたてかもしれない。肩口で切りそろえられた髪と黒のややタイトなスーツに白のシャツ。冷たい輝きを放つメガネのフレームは、クリスマスイブに仕事をしている状況に対して何一つ感情を抱いていない事を主張した上に、誰かから声を掛けられる事を拒否するための結界を周囲に張り巡らせていた。
あいかわらずのメンバー。でもここにいるメンバーは皆クリスマス的空気を吸いたくないが故に逃げてきたようにも感じられる。私たちは、他人に無関心を装いながら少しばかり近しい空気に安心感を覚えているのかもしれない。少なくと、こんなクリスマスを体験しているのは私一人ではないんだ、と。
いつもはトールのスターバックスラテを注文するのだが、今日はグランデにした。閉店ギリギリまではいるよ、というわずかばかりのサインだ。そのサインが通じたのかどうかはわからないが、満面の笑みともに男性の店員はカップに入ったラテを差し出してくれた。なかなかの男前だ。彼はこの時間、ここで仕事している事に違和感を感じていないのだろうか。彼女はいないのだろうか。それとも彼女もどこかのカフェで働いていて、お互いの休みはないのだろうか。あるいはイブにスタバの仕事を休むことができず、彼女を怒らせているのかもしれない。あるいは18年間彼女がいなくて、どうせ今年も、という感じで人での少なくなるイブに自ら挙手してシフトに入ったのだろうか。
すくなくとも、笑顔からはその影をうかがい知ることはできない。きっとスタバの店員になるためには、ありとあらゆる状況で満面の笑みを浮かべる訓練をしなければならないのだろう。きっとそれは僕の想像を遙かに超える厳しい訓練なはずだ。僕のちっぽけな毎日の努力など砂の一粒に見えてしまうような。
でも仕方ない、僕は僕でありスタバの店員ではない。何にせよ僕に出来ることは、ささやかな毎日を一つ一つクリアしていくだけだ。そこには「こうすべき」といった指針もなければ、「こうあるべき」という理想もない。冷蔵庫の中にある材料だけで、あり合わせの料理を作るような毎日でしかない。でも僕はそうやって今まで生き延びてきた。
それだけが僕の中での唯一の真実だ。時は流れ、痛みは消え去り、新しい変化と共に、新しい傷の可能性が表れる。それはどこまでいっても続く螺旋階段のようなものだ。そこには豊富な選択肢などというものはない。階段を上り続けるか、あるいは思い切って飛び降りるか。ある人は日々の糧を得るため、必死に階段を上る。ある人はどのような状況でも満面の笑顔を浮かべられるよう、階段を上る。そうしてネジは巻かれ、世界はその歩みを続ける。
彼が必死に訓練する姿を思い浮かべながら、僕はコーヒーの入ったカップでほの暗い空間に向けて乾杯した。この下世話な世界の中で、僕たちの聖域を頑なに守り続けてくれる彼の笑みに向けて。メリークリスマス!